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2008.05.31

茨城県陶芸美术馆の荒川豊蔵展

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昨年の9月、岐阜県美术馆ではじまった昭和を代表する陶芸家、荒川豊蔵の回顾展が関东に巡回してくるのを心待ちにしていた。巡回先は茨城県陶芸美术馆で会期は
4/19から6/22まで。ここへは高速道路が渋滞してなければ1时间40分くらいで到着するので、年に一度くらいクルマを走らせる。

桃山の志野を复兴した“荒川豊蔵物语”は书き物で知っているが、豊蔵の作品をこれまでまとまった形で见たことがない。今回は初期から晩年にわたる志野、瀬戸黒、黄瀬戸などが约190点でているから、気分はかなり高扬した。

嬉しいことにこの中には、荒川豊蔵が爱した志野や瀬戸黒、楽、干山などの名品が16点含まれている。その中でしっかり见たのが、豊蔵が岐阜県可児(かに)市大萱(おおがや)の山中で志野の陶片を発掘するきっかけとなった“志野笋絵茶碗 
铭 玉川”(徳川美术馆)。

これを写したのが上の“志野笋絵茶碗 铭 随縁”。モデルとした“玉川”同様、やわらかくてやさしいやきもののである。雪のようにやわらかい肌には大小二つの笋が、また后ろには山に松が描かれている。どの茶碗も絵文様は胴部全体に描かれてなく、アクセント风に一つか二つあるだけ。初期の“志野茶碗 铭 蓬莱”では山并みに松が、“志野桥の絵茶碗”では桥がごくシンプルに描かれている。ほかには蕨とか○、△というものある。

これが真ん中の“鼠志野梅絵茶碗”の梅になると、ぐっと华やいだ雰囲気になる。灰色がまじったうす青の地に描かれたV字体の梅の枝がとても美しい。また、その丸みを帯びたフォルムが心を虏にする。鼠志野はほかにも亀甲文や鹤絵のものがあった。

荒川豊蔵は志野と瀬戸黒の人间国宝。その瀬戸黒は11点。お気に入りは下の“瀬戸黒金彩木叶文茶碗”と同じ金彩の“梅絵茶碗 铭さきがけ”。中国・吉州窑の“木の叶天目”は茶碗の内侧に実物の木の叶を置いて焼成しているが、この瀬戸黒は茶碗の胴部の外侧に木の叶をみせている。黒の地が金彩の木の叶を浮かび上がらせるモダン感覚の意匠に思わず息を呑んだ。

2阶の第2会场で目を楽しませてくれたのは后年、日本画家の前田青邨や奥村土牛、雕刻家の平栉田中らとコラボした作品。とくに志野茶碗に土牛が鹤を描いたものに魅せられた。また、荒川豊蔵のすばらしい絵心にも惊かされる。浦上玉堂や池大雅に仿った“染付山水図饰皿”、“色絵秋景図饰皿”が絶品!こんなに絵が上手いとは知らなかった。

やきものの名品だけでなく、豊蔵の絵も楽しめるのだから言うとこなし。満足度200%の展覧会だった。

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2008.05.30

畠山记念馆と东博が高丽茶碗でコラボ!

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世の中には多くの美术馆があり、独自の展示方针で企画展や特别展を実施しているが、时々、复数の美术馆が同じテーマで作品を公开することがある。美术馆同士は特定のテーマで“一绪にやろうね!”と话し合ったわけではないだろうが、この见かけコラボ现象も関心のあるものだと大変有难い。

そんな思いを强くさせるのが现在、畠山记念馆で行われている“细川井戸と名物茶道具展”(4/1~6/15)と东博の特别陈列“高丽茶碗”(4/8~7/27)。畠山记念馆では“天下三井戸”に挙げられる上の“井戸茶碗 铭细川”(重文)が展示されている。図録をみていつかお目にかかりたいと思っていたが、やっと登场した。

李氏朝鲜时代(1392~1910)の16世纪顷につくられた高丽茶碗のなかでも、最も格が高いとされるのが井戸茶碗。もとは雑器だったものが、侘び茶の流行で桃山期の武将、茶人に好まれ、沢山日本に入ってきた。そのなかでとくに人気の高かったのが“喜左卫门”、“加贺”、“细川”。

一度见たことのある大徳寺蔵の国宝“喜左卫门”を思い出しながら、“细川”をじっくりみた。明るい枇杷色でゆるやかな碗形がとても美しい。“喜左卫门”は腰のまわりの辘轳目がいくつも残り、高台の梅花皮(かいらぎ、釉薬のちじれのこと)が荒々しいのに対し、“细川”はゆったりした辘轳目で梅花皮もすっきりしている。今回、井戸茶碗はほかに“田中”など5点あった。

ここで一度目を惯らして东博の本馆14室へ出かけると、高丽茶碗の楽しみが倍加するのは请け合い。全部で19点あり、茶碗の种类としては、三岛、粉引、坚手、井戸、鱼屋(ととや)、熊川(こもがい)、雕三岛などが一通り揃っている。

真ん中は“大井戸茶碗 铭有楽”(重美)。织田信长の弟、织田有楽(1547~1621)が所持したのでこの铭がついている。赤みのある枇杷色だが、“细川”ほど明るくない。素朴で穏やかな感じのする茶碗である。もう一点の井戸茶碗は“佐野井戸”。

井戸茶碗同様、気に入っているのが“熊川茶碗”。下は“田子月”。これは3年前、五岛美术馆で开催された“茶の汤 名碗展”で见て、その形に魅了された。腰が丸く张ったところがたまらなくいい。古唐津茶碗にこの形を仿ったものがある。

东博の高丽茶碗の多くは松永安左エ门氏と広田繁氏から寄赠されたもの。高い鉴识眼をもったコレクターのおかげで、こうした名品を楽しむことができる。感谢々!

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2008.05.29

出光美术馆の柿右卫门と锅岛展

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出光美术馆で开催されるやきもの展は毎回质の高い优品がでてくるので见逃さないようにしている。昨年の“志野と织部”、“干山”に続いて现在行なわれている“柿右卫门と锅岛”(4/5~6/1)も期待を里切らない一级のやきものが沢山展示されている。

今回はほかの美术馆から借りてきたものもあるが、出品作约160点の大半は出光の所蔵品。そのうち、目玉である柿右卫门様式は32点、锅岛が30点。柿右卫门の壶や角瓶、皿をこのようにまとまって鉴赏するのは久しぶり。过去、ここであったやきもの展で何回かみているものもあるから、大兴奋というほどではないが、やわらかい乳白色の素地に潇洒に描かれた鸟や花の文様をみていると次第にいい気分になってくる。

好みの形はのっぺり丸い壶より角ばった六角瓶や角瓶のほう。だから、よくみる大きな壶“色絵花鸟文八角共盖壶”(重文)より上の“色絵松竹梅文六角瓶”の前にいる时间のほうが长い。简素に描かれた松に比べ存在感のある鹤が二羽、対角线上に配されている。柿右卫门で魅せられるのは何といっても余白を生かした构図。白い素地の占める部分が多いため、松の枝ぶり、ペアの鹤の姿がすっと目の中に入ってくる。隣にある一対の“色絵花鸟文角瓶”も心に响く。

兴味深く见たのがマイセン窑で焼かれた“色絵花鸟文六角共盖壶”。ここに描かれている花鸟文様は松冈美术馆にあるもの(拙ブログ05/9/30)を写している。皿に“これぞ、柿右卫门の美!”と念らせるのがあった。“色絵松竹梅凤凰文菊花皿”と日本桥三越であった“美の壶展”にでていた“色絵松竹梅鸟文轮花皿”(07/12/1)、そして“色絵梅粟鹑文皿”。

真ん中は二度目の対面となった“色絵狛犬”。とても迫力のある大きな狛犬の置物が二つあり、こちらは明るく装饰性に富み、青、緑、黄色、茶色の丸点は胴体だけでなく头のてっぺんまで描かれている。ほかにも鶏、鹦鹉があったが、笑わせるのが鹦鹉。どうみても鹰か鹫にしか见えない。3点あった“柿右卫门人形”では、游女が脇息にもたれている“色絵座姿美人像”に魅了された。立ち姿の人形は何度もみたことがあるが、こういう座った女はじめてなので新鲜だった。

锅岛は06年にあったMOAの大展覧会を体験しているから、さらっと见た。ここでも手抜きがない。ちゃんとMOA蔵の名品“色絵桃文大皿”(06/2/28)、“染付鹭文三足大皿”(佐贺県立九州陶磁文化馆、06/12/7)が展示されている。下はぐっと惹かれた“色絵野菜文皿”。器面いっぱいに描かれている茄子、瓜、豆、エンドウ、唐辛子はぐるぐる回転运动をしているよう。一度见たら忘れられない构図である。ここのやきもの展はまたまた二重丸!

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2008.05.28

鎌仓大谷记念美术馆特别展 东西の水辺の情景

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现在、鎌仓大谷记念美术馆で行われている特别展“东西の水辺の情景”(4/1~
6/28)は开幕直后に出かけた。お目当ては心待ちにしていた镝木清方の“道成寺・鹭娘”(双幅、上と真ん中の画像)。4年近くこの絵が登场するのをひたすら愿ってきたが、やっと思いの丈が叶えられた。

この絵だけは特别扱いで畳のある部屋に饰られている。目が自然と吸い込まれるのが上の絵。桜が咲き夸る春烂漫のなか、眩しいほど鲜やかな赤の衣装を着た清姫を息を呑んで见た。赤の衣装に色の白い丸顔が映え、黒地がアクセントになっている帯には金の龙の模様が浮かび上がっている。ここ何年か清方の絵を追っかけてきたが、一人の女を描いたものとしてはこれが一番ぐっときた。

ご存知のように清姫は美しい僧、安珍に恋焦がれている。でも、安珍は熊野へ参诣する身だから、ここで恋の诱惑に负けるわけにはいかない。こういうときの男の対応は难しい。安珍は悩むのは嫌だから清姫とろくに话もしないで、逃げていってしまう。こうなると清姫は“なんで、こそこそ逃げるのよ。许さないからねー!”と可爱さあまって憎さ百倍。もう手がつけられない。

安珍が“ストーカー的な行为で言い寄られてくると困るんだよね、こちらの事情をちょっとは察してよ”と言たってダメ。道成寺の钟のなかにもぐりこんだ安珍は大蛇に変身した清姫に焼き杀されてしまう。恋の情念はかくも激しい。白い化粧顔の清姫の内面では安珍に対する憎しみと怨みが涡まいている。

真ん中は白无垢姿の町娘に変化した鹭を描いた“鹭娘”。上から雪の积もった木の小枝がでているのはいいのだが、娘の体が手前を横切る木と后ろの木で挟まれているため、穷屈な感じがする。この“道成寺・鹭娘”と対面したので镝木清方作品の追っかけはひとまずお休み。

今回、清方の弟子、伊东深水が描いた下の“若叶の顷”も展示されている。和伞を手にもつ女性のすらっとした立ち姿がなかなかいい。また、山々を背景にしたもみじ模様の着物や片轮车の意匠がはいったあでやかな帯にも惹きつけれられる。

ほかの日本画で足が止まったのは前田青邨の“红白梅図”(拙ブログ06/4/12)と川合玉堂の风景画。西洋画では、ヨットが海面に浮かびすがすがしい朝の雰囲気が伝わってくるマルケの“ヴェニスの朝”、ホテルの黄色や赤い壁と澄み切った青い空が目にとびこんでくるデュフィの“ニースのホテル”に魅了された。

最后にご注意をひとつ。この美术馆は鎌仓駅の西口から歩いて10分くらいのところにあるが、月曜だけでなく日曜も休馆しているので、访问されるときはお间违えなく!

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2008.05.27

国宝 薬师寺展

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东博で开催中の“薬师寺展”(3/25~6/8)は会期が残り少なくなってきたから、混雑がひどくなっている模様。この展覧会は4月上旬に出かけ鉴赏済みだから他人事みたいに言ってられるが、5月10日(土)、平常展の浮世絵を见にでかけたときも9时半の时点で、列の最后が入り口から平成馆へ向かう20mのところまできていた。“ええー、、ここまで列ができているの!”とにかく国宝“日光・月光菩萨立像”の人気はすさまじい。

展覧会へ行くと帰りにだいたい図録を购入する。図録もいろいろで、やたら分厚いだけですぐ本棚に直行するのもあれば、频繁にながめてみたくなるスグレモノも时々ある。今回の図録は后者のタイプ。目玉の“日光・月光菩萨立像”、国宝“圣観音菩萨立像”を前から后ろから、全体像、拡大図を目いっぱい见せてくれる。このため、会场で像のまわりをぐるぐる回ってみて目に焼き付けたものが図録をみながらまた鲜明に思い出すことができる。

この特别展を企画した人たちは菩萨像が薬师寺の金堂、东院堂にあるときはよく见れない侧面や背面をじっくりみれるように特别な展示スペースを确保し、なおかつレベルの高いライトアップ技术を使ってその美しいフォルムを浮かび上がらせてくれた。これだけでも拍手したいのに、すばらしい写真を多く载せた図録をつくり、世界に夸るこの究极のブロンズ像が体の隅々まで沁みこんでいくのに一役买ってくれる。まさに至れり尽くせりである。

展示されている作品は全部で47点。だから、1时间くらいで见终わる。大きな感动が得られる菩萨像が三点、“八幡三神坐像”、“吉祥天像”があるから、このくらいの数で充分。菩萨像はまず、上の“圣観音菩萨立像”をみて、そのあと“日光菩萨立像”(真ん中の画像)、“月光菩萨立像”(下)へと进む流れになっている。

三像とも薬师寺で过去2回见たことがあるが、こういう展示の仕方で眺めると别物の菩萨像を见ている感じ。絶妙な角度から当たるやわらかい光が菩萨の神々しさを一层引き立てている。腰の捻りがなく、U字体の衣文が左右対称で、両腕や腰あたりにかかる天衣がバランスよく曲がるところなど均整のとれた美を感じさせる“圣観音菩萨立像”に较べると、“日光・月光菩萨立像”のほうはだいぶ柔らかい感じがする。

像の高さは“これほど大きかった?”というくらいある。日光が3.17m、月光が3.15m。これは谁しも思うことだろうが、顔が相対的にデカイ。ともに腰を捻っている。この腰のくびれに痹れる。どういうわけか好みは“月光菩萨”のほう。隣の方もこちらがいいと言う。ふくよかな頬やすっきりしまった胸は同じなのに、“月光菩萨”のほうに惹かれるのはくびれの形、“く”が逆になっているからかもしれない。

すばらしい菩萨像三体を堪能した。今年はこの図録を何度もみることになりそう。

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2008.05.26

茨城県近代美术馆の175/3000展

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荒川豊蔵の回顾展をみるため茨城県陶芸美术馆を访问したので、そのあと、北関东自动车道を利用すると30分くらいで到着する茨城県近美に寄り、4/19から昨日までやっていた开馆20周年记念の所蔵作品展“175/3000”を见てきた。タイトル名は馆が所蔵する3000点をこえる作品のなかから175点を选りすぐったという意味。これだけ多くの所蔵の名品を展示するのははじめてのことらしい。

この美术馆は昨年、加山又造展でやって来たので、展示室の导线は头に入っている。Ⅱ章“横山大観と五浦の画家たち”から“见るぞ!”モードになった。大観は“水国之夜”、“春曙・秋夜”など5点あったが、いずれも见たことのある絵だから、さらっとみて、上の木村武山の“阿房劫火”(あぼうごうか)に多くの时间を割いた。これはいつか见たいと思っていた絵。秦の始皇帝が造営した“阿房宫”が纪元前206年、楚の项羽に攻められて炎上する场面である。“史记”によると3ヶ月间も燃え続けたという。

どす黒い烟が左下から斜めにもくもくと立ちのぼり、金色の线がくっきりみえる宫殿の屋根や柱が燃え上がる炎につつまれている。ボストン美が所蔵する“平治物语絵词・三条殿夜讨巻”に描かれた红莲の炎にも圧倒されるが、この絵は画面全部が炎につつまれているから、ただ见ているだけで脉拍数が上がっていく。歴史画の杰作である。

Ⅵ章に今回のお目当て、小川芋銭(おがわうせん)の作品が展示してある。全部で11点。真ん中の絵は长らく追っかけていた“狐队行”。やっと见ることができた。狐火をくゆらせながら10匹の狐が湖畔を行进している。この横からのシルエットに限りなく魅せられていた。前から4番目は背中に子狐を乗せている。狐のむこうに広がる水面、一直线にのびる対岸、右の大きく曲がる道と构成が憎いくらい上手い!

ユーモラスな絵は隣にもある。芋銭お得意の河童やイモリ、カワウソ、ナマズなどが描かれた“水魅戯”。小川芋銭が住んでいた牛久にある沼の水の精、“水魅”は涡巻き水烟のなかを自由に戯れている。また、“春日遅々(鱼鸟と童子)”もほっとする絵。桥の上から钓り纟をたらしている男の子を二人の子が囲み、后ろには幼い女の子が反対侧に顔をむけてちょこんと座っている。これを见れたのは大収获。

下は小杉未醒が描いた“楽人と踊り子”。踊っている女のふっくらとした顔と腰から下のボリューム感に钉付けになる。出光美にある“天のうづめの命”(拙ブログ06/11/22)や日光の记念馆にある作品をみて、小杉未醒が少し近くなったから、この絵にも体が敏感に反応する。ここに未醒のこんないい絵があるとは想定外。それほど长くはいなかったが、満ち足りた気分で馆をあとにした。

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2008.05.25

亲鸾圣人750回大远忌记念 本愿寺展

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一ヶ月前、今日まで広岛県立美术馆で开催されていた“本愿寺展”(4/18~5/25)を见た。この展覧会は2012年(平成24年)が亲鸾圣人の750回忌にあたるのを机に记念事业の一环として企画されたもので、広岛のあと、次の3个所を巡回する。
★徳岛市立徳岛城博物馆:10/4~11/16
★名古屋市博物馆:09/4/18~5/31
★石川県立歴史博物馆:9/19~11/3

展示品は亲鸾圣人や本愿寺の歴代门主の肖像、“亲鸾圣人絵伝”などの絵巻物、浄土真宗の教えを记した“教行信证”、日记・书状、そして本愿寺に伝来する“熊野懐纸”、“三十六人家集”(いずれも国宝)などのお宝が150点あまり。

お目当ての一番は华丽な料纸が心を虏にする“三十六家集”。5年前、东博であった“西本愿寺展”をみているから、展示品の多くがそのときとダブることが予想されたが、この装饰料纸の限りを尽くした册子本が展示されるとなると何をさておいても出かけざるを得ない。

上は“亲鸾圣人图象(安城御影 副本、国宝)”。亲鸾(1173~1263)83歳の肖像である。ただし本物ではなく、第八世莲如のときに作られた模写本。亲鸾が実际、こんな顔をしていたかは谁もわからないが、80%は似ているのではなかろうか。浄土真宗では宗祖の御影を尊ぶ伝统があり、ほかにも3点あった。

今回、とても兴味深くみたのが“织田信长起请文”。これは11年も続いた石山合戦に终止符をうつため、天正8年(1580)、信长が本愿寺へ提出した血判の起请文。信长の优势が明白となり、本愿寺は孤立する状况に追い込まれたので、顕如は信长の出した条件を受け入れ、和睦に応じた。歴史好きなので、こういうものをみると目が辉いてくる。

目玉の“三十六家集”は会期を5期にわけ3点づつ、全部で15点展示された。1期に出ていたのは真ん中の“能宣集上”、“友则集”、“信明集”。どれも美しいひらがなで和歌がさらさらと书かれているのは同じだが、料纸に施された文様や细工はバラエティに富んでいる。

三つのなかでは“能宣集上”が最も美丽。多彩な纸が重ね継ぎされてできる云のような色面に花や鸟が描かれている。白く见えるところは银箔で、见る角度によって花弁や轮が浮かび上がってくる。わずか3点とはいえ、西本愿寺展のときと违うものが见れたから、大感激。

下は最后のコーナーに饰られていた絵画で足がとまった“雪中柳鹭図”(元时代、14世纪、重文)。前もこの絵の白鹭にぐっと惹きつけられた。9羽いる。これほど动きのあるフォルムで白鹭を写実的に描いた中国画はほかにない。

全体と通して初见の作品は少なかったが、これははじめから承知の上。まだ本愿寺の所蔵品を见られてない方にとっては大きな満足の得られる展覧会であることは间违いない。

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2008.05.24

その五 ゴヤ  アングル  ルノワール

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アメリカの美术馆をまわると、大富豪コレクターたちが印象派と同じくらいグレコ、ベラスケス、ゴヤの絵の収集に热を上げたことがよくわかる。フリックもその一人で、ここにはグレコ3点のほか、ベラスケスの“フェリペ4世の肖像”、ゴヤの上の“锻冶屋”、“オスナ公ドン・ペドロ”がある。

ゴヤ(1746~1826)の“锻冶屋”はワシントンナショナルギャラリーにある“ポンテーホス女侯爵”(拙ブログ4/14)やメトロポリタン蔵の赤い衣服を着た男の子の絵(5/6)とは画风ががらっと异なる絵。これはゴヤ70歳ころの作品で、メトロポリタンにある“バルコニーのマハ”と“黒い絵シリーズ”(プラド)との间あたりに描かれた。

下层社会に生きる労働者を主题にした作品では以前ブダペスト国立美术馆でみた“水瓶を运ぶ女”と“刃物を研ぐ男”が强く印象に残っているが、それ以上に心を打つのがこの“锻冶屋”。手前の男は足を踏ん张り重いハンマーを振り上げ、相方は真っ赤に焼けた鉄をはさみでしっかり支えている。そして二人の间にいる年嵩の男はふいごを手にしている。荒い笔使いで分厚く涂りこめられた暗い色调の画面からは3人が息をあわせて鉄と格闘している様子がひしひしと伝わってくる。

アングル(1780~1867)が65歳のとき描いた真ん中の“ドーソンヴィル夫人”はお気に入りの一枚。アングルが65歳から73歳にかけて制作した女性画はいずれも魅力に溢れている。“ジェイムス・ド・ロスチャイルド夫人”(パリ、个人蔵)、“モテシワ夫人”(ワシントンナショナルギャラリー)、“座るモテシワ夫人”(ロンドンナショナルギャラリー)、“ブロイ公妃”(メトロポリタン、5/13)。

この4点に描かれたモデルは“モテシワ夫人”を除いて、皆手が顔や髪に軽くふれるポーズをとっている。なかでもそのポーズに吸い込まれそうになるのが“ドーソンヴル夫人”。どこかファッション雑志に载っているスーパーモデルを彷佛とさせる。次の狙いは画集でとても魅せられる“ロスチャイルド夫人”。个人蔵だから无理かもしれないが、谛めずに対面を梦见ていたい。

下の絵は前回の鉴赏でどういうわけか记忆に无いルノワール(1841~1919)の“母と子供たち”。どこかへ贷し出中だったのかもしれない。だから、シカゴ美术馆にある“テラスにて”、“サーカスの少女”(4/5)同様、対面を楽しみにしていた。これは第二回印象派展に出品された初期の作品。期待通りの心が和むいい絵である。毛皮で縁取りされた緑の外套を着た可爱い二人の少女の背中にそっと手をやる母亲の姿が実にいい。

本日でアメリカ美术馆めぐりの感想记は终了します。お楽しみ顶けましたでしょうか。シカゴ、ワシントンナショナルギャラリー、フリーア、ボストン、メトロポリタン、フリックには心を夺われる名画が沢山ありました。感动の総量は相当大きいので、今年いっぱいはその余韵に浸っていられそうです。

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2008.05.23

その四 ブーシェ  フラゴナール

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前回ここを访れたときはロココ絵画に関心が薄かったから、“ブーシェの部屋”や上の“フラゴナールの部屋”にいた时间はごく短かったように记忆している。だから、饰られている絵ははじめてみるのと同じ。もともとロココの絵はこういう邸宅のなかに饰られていた。で、仮面をかぶり贵族になったつもりで絵に向き合った。

ブーシェ(1703~1770)は3点ある。“ブーシェ夫人の肖像”、8枚の絵からなる“芸术と科学”、そして真ん中の4枚の连作“四季”。“芸术と科学”はルイ15世の宠爱を得たばかりのポンパドール夫人の依頼で制作された絵で、爱らしい子供が一人前に大人の仕事をする场面が描かれている。

16ある仕事のなかでは、化学実験中に爆発した场面の“化学”や少年が望远镜を逆さに覗いている“天文学”が面白い。こういう子供の絵はこれまで见たことがなかったので、とても新鲜だった。

“四季”には仲むつまじい男女が描かれており、真ん中は若者が恋人に花の髪饰りを赠る场面。二人の人形のような丸ぽちゃ顔をみていると幼稚园の“お游戯会”を思い出す。ルーヴル、ボストン、メトロポリタン(拙ブログ5/10)、フリックで予定通りブーシェ作品を沢山みることができた。

息を呑むほど官能的というよりは健康的なエロティシズムの漂う裸妇像、ラファエロ、ティツィアーニが描いたのではと错覚するくらい可爱らしいクピドにこれほど惹かれるとは思ってもいなかった。My好きな画家の会员として丁重にお迎えした。

下はフラゴナール(1732~1806)の“恋のなりゆき”。これが饰られている“フラゴナールの部屋”は客间として使われていたが、フリックはこの絵を有名な収集家J・P・モルガンから买い求めたあと、多额の金を投じて家具や雕刻、陶磁器などの调度をしつらえ、内装も変えた。フラゴナールはワシントンナショナルギャラリーやメトロポリタンでお目当ての絵が见られず、消化不良の思いが强かったが、この絵がそれを一扫してくれた。

大作の4枚は谁しも経験する恋物语の“爱の四段阶”を表す。すなわち、“求爱”、“逢引き”、“恋人の戴冠”、“恋文”。下は“逢引き”で、右には花园の壁をよじ登る若者がいる。両手を横にあげる恋人は“会いに来てくれたのね、嬉しいわ。でも谁かに见られてないでしょうね!”とそわそわしている様子。

フラゴナールは両手を挙げるポーズがお得意。この絵の10年くらいあとに描いた“かんぬき”(ルーヴル、4/7)では、女性の内面の揺れを切実にあらわすほど大胆になっている。

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2008.05.22

その三 フェルメール

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フリック・コレクションを访问する人が年间どのくらいいるのかデータ的なことはわからないのだが、フェルメール(1632~1675)の絵を目当てにやってくる人が结构多いのではなかろうか。メトロポリタンが5点(拙ブログ5/8)所蔵していることだってすごいが、美术馆の规模ではメトロポリタンの何十分の一のこの邸宅に3点もあるのだから惊き。フリックの高い鉴识眼にはまったく恐れ入る。

上は“仕官と笑う女”。フェルメールは女性のいろいろな表情を描いている。多いのはじっとこちらを见ているところを描いたもの。“青いターバンの少女”(07/10/6)や下の“中断された音楽の稽古”など8点ある。この絵の女性は笑っている。この笑顔がすばらしい。女性画を沢山みてきたが、笑っている女性で200%惚れているのはこの絵とルノワールが描いた“田舎の踊り”(2/18)、“女优ジャンヌ・サマリの肖像”(エルミタージュ美)。

フェルメールの絵のなかにはもう一枚、女が笑っているようにみえるのがある。まだお目にかかってないが“青いターバンの少女”と同じくらい魅せられている“真珠の首饰りの女”(ベルリン国立美)。フェルメールに対する好感度がすごく高いのはこの亲しみを覚える3枚の絵があるから。

真ん中の“妇人と召使”も好きな絵。フェルメールの絵には女主人と召使が登场する絵が3点あるが、これが一番気に入っている。召使の“奥様、手纸が届いているのですが。。”という声が闻こえてくるよう。これは舞台で演じられる芝居の一场面を见ている感覚に近い。

こういう絵をみると、フェルメールの描く风俗画はほかのオランダ人画家のものとはまったく别物だなと思う。写実的で现実らしい絵ではあるが、単なる风俗画とちがい、演出のテイストも効いているから、こちらもいろいろイメージをふくらませて见てしまう。女主人にとってこの手纸は特别の意味を持っているのだろうか?とか。

Myカラーが黄色&緑であるということもこの絵に近づけている。白い毛皮の縁取りがついた黄色の上着が目に心地いい。これとまったくデザインが同じベビー服のような上着を“真珠の首饰りの女”と“手纸を书く女”(ワシントンナショナルギャラリー)も着ている。

下の“中断された音楽の稽古”は“ワイングラスを持つ娘”(ヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ美)と“ぶどう酒のグラス”(ベルリン国立美)と构成がよく似た絵。ころらを振り向く女性の目が気になって、楽谱を覗き込んでいる教师の存在はうすい。

フェルメールの全作品を通じていえることだが、描かれた男に目をとめることはほとんどない。できることなら居なくなって欲しいといつも思っているから、この絵でも女性のまなざしと窓から差し込むやわらかい光だけをみている。

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2008.05.21

その二 ホルバイン  ブロンツィーノ  レンブラント

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ここに饰られている絵画はコローやコンスタブル、ターナーが描いた风景画もあるが、大半が圣人、王、贵族、歴史上の人物などを描いた肖像画や人物画。自分の邸宅に饰って毎日ながめていたい絵となると、やはり肖像画なのであろう。昨日绍介したグレコの“圣ヒエロニムス”とベリーニの“圣フランチェスカ”は広间で向かい合う形で壁にかけられている。

その“圣ヒエロニムス”の両隣の暖炉にかかっているのがホルバイン(1497~1543)の描いた上の“トマス・モア”と“トーマス・クロムウェル”。16世纪のころのイギリスにタイムスリップして、屋敷で二人と対面しているみたい。悪役面のトーマス・クロムウェルより无精ひげを生やしているトマス・モアを见ている时间のほうが长い。

ずっしり重みのある顔つきに紧张させられるが、なめらかな质感が见事に描かれたベルベットの袖に目が点になる。ホルバインの力量はとにかくすごい!ロンドンのナショナルギャラリーにあった“大使たち”(拙ブログ2/5)同様、言叶を失う。ダリが描いた“リチャード3世”(06/10/2)を见るといつも思い出すこの絵との再会をこころゆくまで楽しんだ。

この“トマス・モア”と同じくらい魅了されるのが真ん中のブロンツィーノ(1503~
1572)の“ロドヴィコ・カッポーニ”。これは前回见逃したか、见たのに当时は関心がうすいため忘れたためか、记忆にまったくない。だが、今はマニエリスム絵画のなかではブロンツィーノはパルミジャニーノとともにかなり心が倾いている。だから、これとメトロポリタンにある“若い贵族の肖像”と対面するのを楽しみにしていた。

目を夺われるのが気品のある顔と女性のようなきれいな手、そして细部まで丁宁に描かれた黒い上着のひだや后ろの深緑色の布のドレープ。“若い贵族の肖像”にすごく惹きこまれたが、この肖像画の前でも思わず立ち尽くした。ブロンツィーノが描いた女性の肖像画で最も気に入っているのはウフィツィ美术馆にある“ルクレツィア・パンチアティキの肖像”だが、男性を描いたものはこの2点がとびぬけていい。

レンブラント(1606~1669)は3点あった。いずれも画集に掲载されている有名な絵。下の“ニコラース・リュッツの肖像”、“自画像(52歳)”(07/1/28)、“ポーランド人の骑手”。レンブラントが25歳のとき描いたのが贸易商のニコラース・リュッツ。

こちらにまっすぐにむけられた眼差しには生気があり、仕事热心で真面目な人柄がそのままでている感じ。手纸を差し出す动きのあるポーズもこの存在感に富んだ肖像画をより魅力的なものにしている。レンブラントは若くしてもう巨匠の风格を感じさせるこんなすごい絵を描いていた。やはり、大きな画家である。

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2008.05.20

フリック・コレクション その一 ヤン・ファン・エイク  ベリーニ  グレコ

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メトロポリタン美术馆から歩いて15分くらいのところにフリック・コレクションがある。前回ここを访れたのは18年前で、そんなに长い时间いなかったから、この邸宅の入り口から部屋の配置まで情けないくらい忘れている。が、鉴赏した作品については、色のよくでた大きめの図録(英文)のお阴で半分くらいは覚えているから不思议。

鉄钢王のヘンリー・クレイ・フリック(1849~1919)が住んでいた豪华な邸宅の中に入れるだけでも嬉しいのに、フリックが収集した珠玉の名画や18世纪のフランスの家具や陶磁器、ブロンズ小像をとてもくつろいだ気分でみられのだから、赘沢モード全开といったところ。で、究极のプライベイトコレクションをできるだけ多く绍介したい。

15の部屋や廊下に展示してある絵画はルネサンス、バロック、ロココ、新古典派、イギリス、スペイン、オランダ絵画、印象派の一级品。上はヤン・ファン・エイク(1390~
1441)の“ヤン・フォスの圣母子”。圣母子にかしずいているのがこの絵の制作を依頼した修道士ヤン・フォス。后ろの赤いマントを着ているのは圣バルバラで、右できらきらする质感が见事にでている王冠を手にもっているのは圣エリザベート。

背景に描かれた川、桥、舟、都市の景観はルーヴルにある“ロランの圣母子”とよく似ている。ロンドン、パリ、ワシントン、NYで见たヤン・ファン・エイク絵画の辉く色彩と质感を微妙に表现する神业的な细部描写に200%感动した。一生の思い出である。

真ん中はフリックコレクションの至宝、ベリーニ(1430~1516)の“圣フランチェスカ”。前回最も感激したのがこの絵。以来、ベリーニをイメージする3枚の絵のひとつになった。ちなみにほかの2枚はロンドンのナショナルギャラリーにあるすばらしい肖像画“统领レオナルド・ロレダン”と亲しみやすく人间味あふれる圣母子像が描かれた“圣カタリナとマグダラのマリアのいる圣母子”(ヴェネツィア、アカデミア美)。

“圣フランチェスカ”で视线が集まるのが左上から岩肌を照らす光のほうにむかって大きく手を広げるフランチェスカの姿。手のひらに“圣痕”(キリストが受难の际に手足に受けた伤)を授かる奇迹の场面をこれほど剧的に表现した絵はほかにない。また、克明に描かれたフランチェスカのまわりの石ころとか左奥の远景にみられる小道や木々の叶にも目を夺われる。

下はフリックの生存中そのままの状态で残されている広间にあるグレコ(1541~
1614)の“圣ヒエロニムス”。これは5点存在する“圣ヒエロニムス”のひとつで、メトロポリタンのものとここのがベストと言われている。レーマンギャラリーで见た时同様、枢机卿が着ている礼装の朱赤が目に飞び込んできた。本当にいい肖像画をみた。

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2008.05.19

名古屋市美术馆のモディリアーニ展

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现在、名古屋市美术馆で行われている“モディリアーニ展”(4/5~6/1)を存分に楽しんだ。感想を书く前にまず、名古屋のあと巡回する美术馆のことにふれておきたい。
★姫路市立美术馆:6/8~8/3
★岩手県立美术馆:8/12~10/5

名古屋市美术馆が开馆20周年を记念する企画展にモディリアーニの回顾展を选んだのはわかりすぎるくらいわかる。なにしろここにある“おさげ髪の少女”(下の画像)は代表作のひとつに数えられる名作。だから、馆の目玉作品として常日顷展示しているこの少女に感谢をこめて、世界中から名作のお仲间を集めてきたのだろう。作品は油彩30点、水彩・素描30点。少女もさぞかし満足しているにちがいない。

日本で西洋画家の一级の回顾展を开催するのは容易なことではない。国立西洋美术馆とは美术馆の规模がちがう名古屋市美が世界的に名の通ったモディリアーニの作品をこれほど多く集めてきたのはもう大快挙!拍手々。

上は追っかけていた“髪をほどいた横たわる裸妇”。これを所蔵しているのは大阪市近美准备室。大阪市近美はなかなかできずお気の毒だが、准备室がこれまで购入した西洋画の质はびっくりするほど高い。この裸妇も自慢の作品。画集に载っている代表的な裸妇図を见较べてみて、见たい度NO.1はこれとミラノの个人蔵となっている“バラ色の裸妇”。

その絵が目の前にあるのだから、体が热くなる。大きな目をした女はティツィアーノの“ウルビーノのヴィーナス”(拙ブログ4/11)と同じポーズをして、こちらをじっと见つめている。息を呑んでみた。隣のアントワープ王立美からやってきた“座る裸妇”がまたすばらしい。その目の迫力は“横たわる裸妇”と変わらない。

着衣画で心を打つのが気の强そうな性格がすごく伝わってくる“アルマイサ(アルジェリアの女)”(ルートヴィッヒ美)、真ん中の“召使いの少女”(オルブライト=ノックス美)、そして下の“おさげ髪の少女”。“召使いの少女”は作品中一番大きな絵で、縦1.53mある。目に瞳が描いてない女性は退屈な気持ちになり、絵に引き込まれないが、この少女は瞳がなくてもぐっと向かい会える感じ。これは目が大きく描かれているから。

豊富な资金と高い鉴识眼をもったアメリカ人コレクターが集めたモディリアーニの名作が现在、シカゴ、ワシントンナショナルギャラリー、メトロポリタン、オルブライト=ノックス、MoMA、グッゲンハイムなどにおさまっている。その名作のひとつが楽しめるのだから、これほど嬉しいことはない。

名古屋に住んでいたとき见たことのある“おさげ髪の少女”と再会したのも感慨深い。半开きの口から白い歯がみえる少女の顔が実に生き生きしている。髪の毛、椅子の背、后ろのドアに使われた茶色と肌の色、衣服の赤の配色がいい感じで、见ててとても爱着を覚える。

ここでとりあげた作品以外にも魅了されるのがいくつもある。満足度200%のすばらしい回顾展だった。名古屋市美に感谢!

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その十六 ポロック  リキテンスタイン  ケリー

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近代美术の作品は2阶の19世纪ヨーロッパ絵画の向こう侧とその下の1阶で展示してある。印象派の部屋と较べると见ている人はかなり少ない。この现象はどこの美术馆でも同じ。抽象絵画より具象的でわかりやすい絵のほうが絵のなかにすっと入っていけるから、どうしてもこうなる。

図録をみて前回见逃した作品のなかから是非対面したいものをいくつかコピーしていた。数は多くないから、すべて见られるだろうと思っていたが、予想に反して30%くらいのヒット率。ステラ、ホフマンの几何学的な絵がダメで、ホックニーの“富士山と花”もなかった。

现代アートはどんどん新作がでてくるから、展示する作品はとびっきり有名なのものでないかぎり固定できないのかもしれない。逆に面食らうほど沢山あったのが、クレー、デイビス、オキーフ。お気に入りのオキーフがこんなに楽しめるとは思ってもいなかった。

ポロック(1912~1956)の上の“秋の律动”や“パーシパエ”は前回みたときの记忆がすぐ戻ってきた。とくに“秋の律动”はポロックのアクション・ペインティングを代表する絵だから、忘れようがない。ドロッピングはとてもわかりやすい技法なので、この絵のように密でなければ自分でもやれそうなる気がする。これを见た多くの人はそう思うにちがいない。でも、行为するポロックの姿を记録した映像や写真をみると、このあさはかな考えはすぐ打ちのめされる。

黒、白、グレー、そして黄土色の线が互いに重なり、络み合いながら、自由に踊っている感じ。具象を暗示させるフォルムには见えないし、絵の中心というか焦点がないのだが、この厚涂りの描线がぎっしり埋め尽くすオールオーヴァーな画面からは心の奥深くにあるとらえどころのない情感のうごめきとか、复雑系の自然现象をイメージさせるものが伝わってくる。いつかメトロポリタン、あるいはMoMAでポロックの回顾展が开催されることがあったら、万难を排して駆けつけたい。

真ん中はポップ・アートの旗手、ロイ・リキテンスタイン(1923~1979)の“外出”。拙ブログでも一度とりあげたリキテンスタイン(05/10/7)は大好きなアーティストなので、ワシントンナショナルギャラリー蔵の“积みわら”、“ミッキーマウス”とここの“外出”との対面を楽しみにしていたが、実际展示してあったのは“外出”のみ。

これは近现代の巨匠たちの名画などの画题を引用してポップアート风に描いたシリーズの一枚。明るい黄色で彩色し、太く明快な轮郭线で描かれた男女の奇妙な重ね合わせが目を楽しませてくれる。男性はレジェの絵からとり、女性はシュルレアリスムのイメージを使ってフォルムをつくっている。

このシリーズのなかには笑えるのがある。それはポロックのドリップ絵画をパロディ-化した“ブラッシュストローク”や“大きな絵”。また、昨年あったモネ展(国立新美)に出品された“ルーアン大圣堂”(サンフランシスコ近美)も见ごたえのある作品だった。

下のまぶしいほど鲜やかな色彩の絵はエルズワース・ケリー(1923~)の代表作“青・緑・赤”。ケリーやステラの絵にとても魅せられているのはフォルムがすっきりしていて色が辉いているから。轮郭がはっきりした青、緑、赤の色面の组み合わせは超シンプル。絵を见る楽しみは形态より色彩にあるから、このハード・エッジ・ペインティングの名作を梦中になってみた。

これでメトロポリタン美术馆はおわり。明日からは最后となったフリックコレクションの珠玉の名画が続きます。

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2008.05.18

その十五 ゴッホ  ダリ  バルテュス

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今回访问したシカゴ、ワシントンナショナルギャラリー、ボストン、メトロポロタンはどこもゴッホ(1853~1890)の名画を揃えており、メトロポリタンにある静物画、风景画、人物画も魅力一杯。

静物画で惹きつけられるのはゴッホが死の数ヶ月前に描いた“アイリス”。背景の白地のほぼ中央におかれた花瓶には紫が目にしみるアイリスが沢山差し込まれている。ここではあのゴッホ独特の荒々しい笔使いは抑えられ、花の絵らしいやわらかい雰囲気が见る者を和ませる。纟杉が描かれた2点にも足が止まる。燃え上がるような鲜烈なタッチが印象深い厚涂りの縦长の絵とロンドンのナショナルギャラリーにあるのと构成がほとんど同じ“纟杉のある麦畑”。

人物画はお驯染みの“自画像”、“ルーラン夫人”、上の“ジヌー夫人(アルルの女)”が目を楽しませてくれる。ジヌー夫人はアルルの駅前でカフェを営んでいた。一绪に生活していたゴーギャンが夫人にモデルになってくれないかと説得している间に、ゴッホは一気に描き上げたという。背景の黄色に映える夫人の雕刻的な顔と黒い衣装に圧倒される。ローマ近代美术馆で别の角度から描いたジヌー夫人をみたことがあるが、顔が丸く描かれていた。好みはメトロポリタンにあるほう。

ゴーギャンもカフェの中にいる夫人を描いているが、ゴーギャンは“ゴッホはこの店が気にっていたが、俺はここの色が好きではない”とベルナールへ宛てた手纸に书いている。ゴーギャンにとってアルルは心を虏にする町ではなかったようだ。

真ん中は対面を心待ちにしていたダリ(1904~1989)の“超立方体:磔刑のキリスト”(部分)。縦1.94m、横1.24mの大きな絵である。必见リストに入れていたダリの絵はこれとワシントンナショナルギャラリーにある“最后の审判”の2点。“最后の审判”は展示してなく、ガックリだったが、これは1阶の近代美术とアフリカ美术の间にある通路の壁に饰ってあった。

圣职者に见立てられたガラが见上げているキリストの体は手にも胸にも钉の迹はなく、筋肉のしまったアスリートのように美しく描かれている。目を见张らされるのが十字架のフォルム。よくみると、表面のなめらかな8个の立方体でできている。ルービックキューブの形をした宇宙船がキリストを背中に乗せてこれから宇宙に向けて打ち上げられるようなイメージである。

下はバルテュス(1908~2001)の代表作“山”。これは近代絵画のなかではピカソの“ガートルード・スタインの肖像”(拙ブログ05/2/11)などとともに馆自慢の作品。一度みたら忘れられない絵である。02年の“メトロポリタン美展”(京都市美)にも出品されたから、これで3度目の対面。黄色の岩肌にあたる强い阳光をみると、ホッパーの絵を连想させるし、手前に描かれた3人の男女の姿态はデ・キリコやシュルレアリストのデルヴォーが描く形而上的でシュールな絵を见ている感じもする。

バルテュスの絵では、隣に展示してある大人じみたポーズでこちらを挑発するように见ている少女を描いた“目を覚ましたテレーズ”がドキッとする。バルテュスの絵をまとまった形でみた経験はないが、この“テレ-ズ”とかポンピドーにある下着がちらっと见える“アリス”やMoMA蔵の床の上で少女が肘と膝をついてうつぶせになって本を読んでいるところを真横から描いた“居间”をみると、バルテュスは“危険な少女”を描く画家というイメージが强い。

少女たちの鋭い目つきやポーズ、エロティックな描写は不安な感情を掻き立て、心をざわざわさせるが、絵のなかにぐっと引き込まれるから、絵の力はかなりある。どこかの美术馆でバルテュスの回顾展をやってくれると有难いのだが。

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2008.05.17

その十四 スーラ  ゴーギャン

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メトロポリタンにあるスーラ(1859~1891)の“サーカスの客寄せ”(上の画像)を见るのは三度目。今回は念愿の“グランド・ジャット岛の日曜日の午后”(シカゴ美、拙ブログ4/4)をじっくりみて、点描技法を目に焼きつけたあとだから、この絵は以前より深く味わえる。

描かれているのはサーカスの団长(右の横向きの男)がこれからはじまるショーのプログラムを绍介している场面。団长のむこうに见えるのが切符売り场。画面の下に描かれた観客は右端のほうにいるものがもう売り场に向かっている。“グランド・ジャット岛”では人物の大半が横向きで左のほうを眺めていたのに対し、この絵では谱面台の向こう侧で横一列に并んでいるブラスバンドと坛上にいる道化の格好をしたトロンボーン奏者は真正面を向いている。

この奥行き感のない平面的な描写が强く印象に残る。斑点は光の色を表す橙色と青が多い。青白くて暗い色调の画面のせいで、阳気なサーカスの前口上の场面なのに、不自然なくらい寂しい感じがする。スーラの絵は“ブランド・ジャット岛”を目の中に入れたから、済みマークがつけられる。あとはクレラー=ミューラー美术馆にある“シャユ踊り”やいくつかある海洋画と遭遇するのを気长に待ちたい。

今回の美术馆めぐりで収获の多いのがロートレック、ドガ、ゴーギャン。メトロポリタンにあったゴーギャン(1818~1903)でお気に入りは真ん中の“イア・オラナ・マリア(マリアを拝す)”、下の“昼寝”、そして“赤い花と乳房”。ゴーギャンがタヒチに渡った年に描かれた“マリアを拝す”をエルミタージュにある“果物を持つ女”(06/11/3)とともにこよなく爱している。平板な青や紫、黄色の帯で描かれた地面の装饰的な配色にまず惊くが、子供を肩の上に乗せている顔立ちのいい健康的なタヒチの女にも魅せられる。憧れの楽园にやってきたゴーギャンのハイな気分がそのままでているような作品である。

レーマンギャラリーにあった初见の“昼寝”には200%参った。喜びが溢れ出た鲜やかな色彩にもうクラクラ。これは手元にある画集でよくみていたが个人蔵となっているから、チェックリストには当然入ってない。その作品が目の前に现れたのである。ゴーギャン作品のなかではこの絵の色彩が最も强烈かもしれない。とくに、右の寝そべっている女が着ている服の赤と左の女のピンクの辉きがすごい。そして、ぐっとくるのが背中を向けて横座りをしている女の対角线的な动き。

初见の絵としてはシカゴの“神の日”、ワシントンナショナルギャラリーの“自画像”に魅了されたが、この絵のインパクト度は数倍。一生忘れることのない絵になりそう。

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2008.05.16

东山魁夷展 その二

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东山魁夷展の后期(4/22~5/18)に出品される15点を见るため、先周土曜日に再度东近美へ出かけたら、チケットの购入に长い列ができていた。ここでこういう体験をするのははじめて。あらためて东山魁夷の人気の高さを思い知らされた。明日、明后日は终日、相当混雑するのではなかろうか。入馆するのに思わぬ时间をとられたが、中に入ってしまえば、后は楽。前期に大半の作品(拙ブログ4/9)はみているから、今回の15点をみるのには30分もかからない。

ファン気质というのは傍からみれば“ちょっと度が过ぎてない?”というところがたぶんにある。15点が全部が全部魅力いっぱいというのではないから、これを见逃しても気にすることはないのは确か。ところが、好きな画家となるとそうはいかないのである。折角见る机会があるのだから、一応漏れなく见ときたい。“东山魁夷を全部见たぞ!”という达成感だけでなにか満ち足りた気持ちになるのである。

上の最后のコーナーに饰ってある“沼の静寂”は何度もみているのに、いつも立ち尽くしてしまう。そして、“この絵をモネがみたら喜ぶだろうな!”と胜手に想像する。静かな雰囲気のただよう緑のグラデーションがえもいわれず美しく、木々の映りこんだ水面が睡莲の花を浮かび上がらせている。

同じ部屋にある“静唱”も心に响く。この絵では水面が白と灰色で彩色されているので、林立する木の映り込みがよりリアルにみてとれる。水面が微妙に揺れている感じをだすため、映りこんだ木を畳の目のように细かい横の线を縦にていねいに并べて表现している。霞がうすくたちこめる中、凛として立つ木々の静かな息づかいが闻こえてくるよう。

时间があまったので2阶にあがり、もう一度お気に入りの唐招堤寺障壁画“涛声”(下の画像、部分)を见た。この絵の前に立つと、波が岩に打ち寄せ下に落ちる音や波立ちが横に広がり、そしてザブーンと消えていく音が闻こえてくるような気がする。すばらしい波の絵である。

近代日本画家で波の絵がとびっきり上手いのは横山大観、东山魁夷、加山又造。大観の杰作“海に因む十题・波騒ぐ”(2/24)と东山魁夷のこの絵は海の色や波しぶきの描き方がよく似ている。また、加山又造の水墨画“月光波涛”に描かれた岩に激しくぶちあたる波のダイナミズムは东山魁夷の“涛声”に通じるものがある。またいつかこの絵と対面したい。

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