マルクス兄弟

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若い顷のマルクス兄弟。両亲と共に(1917年)
若い顷のマルクス兄弟。両亲と共に(1917年)

マルクス兄弟(まるくすきょうだい、マルクス・ブラザース、Marx Brothers) は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身のコメディ俳优

5人兄弟のうちのチコ、ゼッポ、グルーチョ(グラウチョ)、ハーポの4人を一般にマルクス兄弟と称する。ドイツの経済学者・哲学者であるカール・マルクスとは、无関系。

目次

[编集] 略歴

ユダヤ系ドイツ移民を父に持つ。家庭の贫しさのため、学校を中退し、兄弟で舞台に立つ。最初は音楽中心だったが、のちに喜剧を中心に活动。

世代的には、「サイレント・コメディ映画」の喜剧王たちと比较すると、チャップリンと同世代で、キートンロイドよりは年上だった。が、映画がトーキーの时代となり、しゃべりと音楽で笑いを取る彼等の出番が来て、ようやく映画が作られるようになった。そのため、映画が作られ始めた时点で彼等の年齢は既に、40代前半から30代后半であった。その(当时としては)高年齢で、あれほどの动きをみせたのは、长年の舞台での修练の赐という他ない。

また、舞台时代の演目を映画化したものが多い初期の作品はアメリカの「大不况」の时代でもあり、彼等の过激で狂騒的な笑いは时代に絶望していた庶民を大いに惹きつけた。しかし1934年に公开された『我辈はカモである』はあまりに荒唐无稽すぎて兴行的には失败したため、同作を最后にパラマウント映画から离れMGMに移籍。以降は制作侧の意向もあってギャグを减らしストーリー性を重视した作风に変化する。

ナンセンスでスピーディーなギャグで有名。日本のコメディアンたちに与えた影响も大きい。横山エンタツなど戦前のコメディアンには、グルーチョの影响を受けたモノが多い。浅草の喜剧人の永田キングは、グルーチョの扮装、メイク、动き、レトリックをそっくりそのまま真似て、「和制マルクス」を自称した。戦后では、ザ・ドリフターズが「伪の镜」「グルーチョのヒゲと动き」など、彼等の芸を一部、真似たが、単なる真似にすぎなかった。

ブルトンダリを初め、レヴィ・ストロースアルトーなど思想家达にも爱された。

ハーポの狂奔的な动きと、グルーチョのナンセンスなマシンガントークが最大の売り。「イタリア讹り」でしゃべるチコは、ハーポとコンビでの役柄が多いが、ハーポとグルーチョとの间のコミュニケーション・ギャップの通訳的役割で笑いを取ることも多い。また、ハーポのハープ演奏、チコの「指一本でのピアノ演奏」もウリであった。

ちなみに、グルーチョのヒゲは最初は付けヒゲだったが、のちに、黒く涂るようになった。

ゼッポは、『我辈はカモである』を最后にチームを脱退。兄弟での活动が终了した后、グルーチョはラジオやテレビに活动の场を移す。ハーポとチコも、时々、テレビ・バラエティーなどに出演。

淀川长治は、マルクス兄弟について「映画ではなく舞台である」と発言しており、実际、彼等の初期の杰作は、舞台でのボードビル・コメディを、ほぼそのまま映画で再现したものである。

日本では小林信彦筒井康隆ケラリーノ・サンドロヴィッチらが热狂的なファンである。

ウディ・アレンも彼等の大ファンで、多くの作品でマルクス兄弟作品からの引用を行っているほか、「世界中がアイ・ラブ・ユー」のラスト・シーンでは、全员がグルーチョのヒゲを付けていた。

なお、ハーポは本名のファーストネームがヒトラーと一致するので「アーサー」と改名している。また「グルーチョ」の発音は「グラウチョ」のほうが正确だが、日本では「グルーチョ」で定着しているので、いまさら変更はされない。

ほとんどの作品で、グルーチョの相手役として「裕福な老夫人」役を演じたことで知られる女优マーガレット・デュモンは、「彼等の私生活は、彼等のコメディ同様の大騒ぎだった」と语っている。

[编集] 作品リスト

数字は现在発売中のDVDボックス(正规版)[1]の収録巻数(レンタルでは単品で贷し出し中);#は正规版DVD(単品、¥980)で発売中;※は激安DVDで発売中

4aと4bは大変珍しい両面1层の1枚に缠められた(米国版の3aと3bも)。

[编集] 备考

非SI接头辞において10-27、10-30、10-33、10-36、10-39を表す「ハーポ」、「グルーチョ」、「ゼッポ」、「ガンモ」、「チコ」はマルクス兄弟の名から取られている。

[编集] 参考文献

[编集] その他

原题はグルーチョが1947年から担当した聴取者参加型のラジオ番组のタイトルからで、1950年からはテレビに移り1961年まで放送された。ラジオ时代には三大ネットワークで一度に放送された人気番组だった。

[编集] 外部リンク