小林多喜二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小林多喜二
文学
画像:Lit.jpg
ポータル
各国の文学
记事総覧
出版社文芸雑志
文学赏
作家
诗人小説家
その他作家
お知らせ
このテンプレート解説サブページができました。使用されるべき记事が决まりましたので一度ご确认ください。
下川沿駅前の生诞碑

小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年10月13日 - 1933年2月20日)は、日本プロレタリア文学の代表的な作家小説家である。秋田県北秋田郡下川沿村(现大馆市)生まれ。

目次

[编集] 来歴・人物

4歳の时に北海道小樽に移住。生活は豊かではなかったが、伯父からの学资を受け小樽商业学校から小樽高等商业学校へ进学。在学中から创作に亲しみ、文芸志への投稿や、校友会志の编集委员となってみずからも作品を発表するなど、文学活动に积极的に取り组んだ。小樽高商の下级生に伊藤整がおり、また同校教授であった大熊信行の教えを受ける。この前后から、自家の穷迫した境遇や、当时の深刻な不况から来る社会不安などの影响で労働运动への参加を始めている。

卒业后、北海道拓殖银行(拓银)小樽支店に勤务(この顷、悲惨な境遇にあった恋人田口タキを救う)。1928年の総选挙のときに、北海道1区から立候补した山本悬蔵の选挙运动を手伝い、羊蹄山麓の村に応援演説に行く。この経験がのちの作品『东倶知安行』に生かされている。同年に起きた三・一五事件を题材に『一九二八年三月十五日』を『戦旗』に発表。作品中の特别高等警察による拷问の描写が、特高警察の愤激を买い、后に杀害される引き金となった。

1929年に『蟹工船』を「戦旗」に発表し、一跃プロレタリア文学の旗手として注目を集め同年7月には土方与志らの新筑地剧団(筑地小剧场より分裂)によって『北纬五十度以北』という题で帝国剧场にて上演された。だが同时に警察(特に当时の特高警察)からも要注意人物としてマークされ始める。同年「中央公论」に発表した『不在地主』がもとで拓银を解雇[1]され、翌年春に东京へ転居。日本プロレタリア作家同盟书记长となる。1930年5月中旬、『戦旗』志を発売禁止から防卫するため江口涣贵司山治片冈鉄兵らと京都大阪山田松阪を巡回讲演。23日に大阪で日本共産党へ财政援助の嫌疑で逮捕され、6月7日、一旦釈放された。

24日に帰京后、作家の立野信之方で再び逮捕され、7月、『蟹工船』の件で不敬罪の追起诉を受ける。8月、治安维持法で起诉、豊多摩刑务所に収容された。1931年1月22日、保釈出狱。その后神奈川県七沢温泉に篭る。1931年10月、非合法の日本共産党に入党し、11月上旬、奈良志贺直哉邸を访ねる。1932年春の危険思想取缔りを机に、地下活动に入る。8月下旬、自らの地下生活の体験を元に『党生活者』を执笔した。

1933年2月20日、共産党に潜入していた特高警察のスパイ三船留吉からの提案により、赤坂の连络场所で三船と落ち合う予定にしていた。しかし、今村恒夫とともに访れたその待ち合わせ场所には、三船からの连络により张り込んでいた特高警察が待机していて、多喜二はそこから逃走を図ったが、逮捕されてしまった。同日筑地警察署内においての取调べについては、今村から话を闻いた江口涣が戦后発表した「作家小林多喜二の死」という文章を、手冢英孝が『小林多喜二』で绍介している。それによると、警视庁特高系长中川成夫の指挥の下に、小林を寒中まる裸にして、先ず须田と山口が握り太のステッキで打ってかかった[2]とある。その后警察署から筑地署里の前田病院に搬送され、19时45分に死去した。

なお、警察当局は、翌21日に「心臓麻痹」による死と発表したが、翌日遗族に返された多喜二の遗体は、全身が拷问によって异常に肿れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く肿れ上がっていた。しかし、どこの病院も特高警察を恐れて遗体の解剖を断った。死顔は日本共産党の机関纸『赤旗』(せっき)が掲载した他、同い歳で同志の冈本唐贵により油絵で描き残されている。中央公论编集部は、多喜二から预かったまま掲载をためらっていた『党生活者』の原稿を『転换时代』という仮题で『中央公论』(1933年4-5月号)に、遗作として発表した。3月15日には筑地小剧场で多喜二の労农葬が执り行われた。

なお、小林多喜二の杀害を命じた特高警察部长は安倍源基であり、その部下であった毛利基特高课长、中川成夫警部、山県为三警部の三人が直接に手を下している。

[编集] 近年の动き

[编集] 小林多喜二シンポジウム

生诞100周年を迎えた2003年以来、白桦文学馆多喜二ライブラリー主催「小林多喜二国际シンポジウム」が2年连続で开催され、2005年秋には、中国河北省河北大学で「第1回多喜二国际シンポジウム」が、中国各地および日本をはじめ中国国外から研究者约200名を集め开催された。その记録は、白桦文学馆多喜二ライブラリー编 / 张如意监修『いま中国によみがえる小林多喜二の文学-中国小林多喜二国际シンポジウム论文集』(东银座出版社、2006年2月。ISBN 4-89469-095-0)に収められている。

[编集] ドキュメンタリー作品

  • 映画「时代(とき)を撃て・多喜二」 - 生诞100年・死后70年を记念して、记録映画が「时代を撃て・多喜二」制作委员会によって制作され、日本各地で巡回上映がおこなわれた。
  • TV番组「小樽商科大学创立100周年记念 ヒューマンドキュメンタリーいのちの记忆 -小林多喜二・二十九年の人生」(HBCテレビ制作) - 2008年5月31日放送、同年11月17日再放送。

[编集] 『蟹工船』ブーム

蟹工船を参照

若い世代における非正规雇用の増大と働く贫困层の拡大、低赁金长时间労働の蔓延などの社会経済的背景のもとに、2008年には『蟹工船』が再评価され、新潮文库の『蟹工船・党生活者』が50万部以上のベストセラーになっている。

[编集]

  1. ^ 社则で开示が禁じられている内部资料を执笔のためのデータとして用いたのが要因とされる。
  2. ^ 『手冢英孝着作集』第3巻、pp300

[编集] 関连项目

[编集] 外部リンク