幕下付出

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幕下付出(まくしたつけだし)とは大相扑において、学生・アマチュア时代に优秀な成绩を収めた力士の地位を优遇する制度である。幕下附出、-付け出しとも表记する。

付け出し力士はその场所の番付には载らず、本场所の成绩によって翌场所の地位が决められ正式に番付に记载される。以前は○○枚目と○○格付出は同等のように认识されることもあったが2006年に下田圭将が幕下15枚目格付出で全胜で、十両升进が见送られたときに、初めて同等でないことが相扑协会の公式见解で発表された。


目次

[编集] 1966年(昭和41年)5月以前

付け出しの制度は大正以前から存在し、その実力に応じて各段の番付上に付け出された。幕下のみに付け出されるようになったのは昭和に入ってからのことである。1960年(昭和35年)の豊国范以降、大学を卒业したものは幕下に付け出すという惯例ができた。付け出される枚数はその都度异なり、豊山胜男は10枚目格で付け出された。

[编集] 1966年5月 - 2000年(平成12年)9月

その后1966年(昭和41年)5月から幕下最下位格付出に固定された。编成上は最下位の枚数(现在は60枚目)と同列に扱われ、负け越せば即三段目陥落を意味する。実际出羽の花义贵のように一度は跳ね返されてしまう力士や、十両に上がれなかった者もいた。2场所连続で全胜、またはそれに近い成绩を挙げれば2场所で幕下を通过することができる。2场所で幕下を通过した力士としては、轮岛大士朝潮太郎武双山正士雅山哲士の4人が知られる。

この当时は、大学相扑の体重别で上位入赏の経験があれば、卒业するとほぼ无条件で幕下最下位格に付け出されたが、1992年(平成4年)デビューの大凰纪久が、2场所连続负け越すと资质が问题となり、1993年3月から実质无条件が全日本选手権ベスト16以上、学生选手権、実业団选手権、国体成年Aのいずれかに优胜、または3位以内が2回に基准が厳格化された。 1993年3月以降で、大学相扑出身ながらも资格が得られず、前相扑から取った力士では、北胜光康仁が初めて十両に升进し、さらに栃乃花仁が入幕を果たし、さらには三役まで升进するなど活跃した。そのことで下积みの重要性が再认识され、时津风理事长(元・豊山胜男)によって(ただし厳格化の中心となったのは「中卒叩き上げ」の北の湖亲方(前・理事长)である。[1])基准が厳格化されるきっかけとなった。

ただし后述する理由から、栃乃花は学生相扑出身者を快く思わない亲方衆の「口実」に使われたのが実情である。

[编集] 2000年9月以降

2000年(平成12年)9月から基准をさらに厳格化した上で幕下10枚目格付出と15枚目格付出に改められた。幕下15枚目以内で全胜した场合は十両升进の対象とする内规があるため、最短1场所で関取になることが可能になった。15枚目格付出力士は9人、10枚目格付出力士は、日本大学4年の市原孝行アマチュア横纲に加え国体成年Aに优胜し、この制度となって初めて10枚目格付出の资格を得て2007年1月场所初土俵を踏んだ。

この制度が発足された当时は、タイトルを取った当年限りで有効とされていたが、新制度适用第1号の垣添彻が资格取得后の怪我で初土俵が遅れたため、优胜の日から1年间と有効期间が改められている。

2006年に実业団横纲となった石前辰徳(鸟取県体育协会)は幕下付出を申请したが、资格取得时は24歳であったものの2007年1月场所の新弟子検査时に25歳となるため、年齢制限により付出が承认されず、角界入りを断念した。 2004年一月场所初土俵の嘉风雅継は、日本体育大学3年在学中に付出资格であるアマチュア横纲のタイトルを取りながら、卒业を优先したため失効して前相扑からのデビューとなり、「タイトルホルダー初の前相扑デビュー」として注目された。

所要9场所で十両へ升进した嘉风や白乃波寿洋里山浩作片山信次のように大学相扑の実力者は十両升进までは前相扑デビューでもそのハンデを感じさせない。ただしそのいずれも幕内定着には至っていない。

また、大学时代に病気のため一度は相扑を谛めていた豊真将纪行も前相扑からスタートしたが、付出の同期力士を追い越しブランクを感じさせない相扑を取っている。

日本相扑协会が幕下付出基准を厳格化したのは、下积みの重要性と共に、鸣り物入りで大学卒业后デビューした久岛海啓太琴光喜啓司よりも、タイトル获得后すぐ大学を中退した武双山、雅山が一気に番付を駆け上がったことから、真に実力のある者はすぐに関取に升进できるように优遇し、その他には付け出しを认めないことで、年齢の若いうちにプロデビューさせるいわゆる「叩き上げ力士」の増加も狙ってのことだが、学生相扑出身等の実力者が前相扑でデビューすると序ノ口序二段の优胜を含めた成绩上位者を占めることが多いため、「高校、大学相扑経験があった方が有利」という状况は覆ることはなく、基准が厳格化しても、相扑协会の思惑に反して中卒の叩き上げで成长する力士は思うように増加しないのが现状である。

また、见直しの契机となった栃乃花も3年时に学生选手権で3位に入るなど、故障がなければ幕下付出资格を取得していた可能性が高い実力者であり、见直し以降前相扑から初土俵を踏んで関取升进を果たした力士もほとんどが旧基准を満たしている。大学で4年间相扑部に在籍し、実绩が旧基准にも満たない力士で関取升进者はおらず、青海竜正明萨摩力一真など低迷している力士が多い。このように、基准见直し以降の前相扑デビュー学生出身関取の増加は「前相扑から取った力士が下积み経験のおかげで升进を果たした」のではなく、あくまで「付出力士に匹敌する実力者が前相扑から取った」结果であり、前者に该当する力士は基准改正以前を含めても大翔山豪志古市贞秀、北胜光程度である。

平成18年(2006年)5月场所において、幕下15枚目格付出で初土俵を踏んだ下田圭将が7戦全胜优胜を达成し、内规によってデビュー1场所での十両升进が有力视されていたが、十両下位の力士の负け越しが少なかったこともあり升进は见送られた。东幕下笔头で5胜2败の上林が最优先。下田は西笔头で4胜3败の龙皇升との比较であった。1996年1月场所に、琴藤本が龙皇と同じ西笔头での4胜3败で升进を见送られた(このとき、西2枚目で5胜2败の彩豪、西9枚目で7戦全胜の旭天鹏が十両に升进した)ことから下田は龙皇を上回ると思われていた。

この际、放驹审判部长は「升进の権利があるが、第一优先ではない」と述べ、北の湖理事长は「东西の番付に力士はおり、付出は正位より地位が下(同等ではない)である」との见解を示した。ただし龙皇を优先したとしてもこの场所十両东8枚目で5胜10败であった隆乃若を幕下に陥落させることも可能であった(以前戦闘竜や久岛海は同様の成绩で幕下に陥落している)。龙皇の师匠、宫城野亲方が北の湖理事长の弟子であること、隆乃若は幕下に陥落した场合引退が确実视されていたが、当时年寄株の空きがなかったことが原因とする説もある。

また翌场所の下田の番付は龙皇はおろか3枚目で5胜2败だった影山より下の西笔头であったことから、结果として幕下15枚目格での全胜は上位での胜ち越しに劣り、十両升进は非常に厳しいものであることが明らかになった。この件により、幕下15枚目格は、幕下15枚目より劣るのが、既成事実となり、16枚目よりは上だが、15枚目よりは下、言うならば15.5枚目のような位置づけになることが明确になった。この编成が前述の「真に実力のある者はすぐに関取に升进できるように优遇」に合致するかは甚だ疑问である。

さらに2007年7月场所では、同年1月场所で10枚目格付出デビューした市原孝行が西幕下笔头で4胜3败と胜ち越し、2006年5月场所后の「西も东と同様に扱った」という放驹审判部长の発言から、十両升进が浓厚と见られていた。しかし翌场所は西十両11枚目で6胜9败と负け越した琉鹏が残留し、市原の升进は见送られた(ちなみに琉鹏は7月场所で市原に败れている)。このことから西笔头には何の絶対性もなく、过去の発言と集成性を欠くことが明らかになり、前述の放驹の発言は下田を十両に升进させないための口実であったとする见方も出ている。

付け出し力士の入门先は师匠の出身大学等である程度ルートが出来ている场合も多いが学生相扑の古豪である日本大学出身の力士は様様な部屋に入门する倾向がある。超大物の场合は引退后の身の振り方まで确约される场合もあるという。 2000年代以降若手中坚関取における学生相扑出身者の占める割合は急増し同年代の関取 のうち过半数が外人や学生相扑出身者で占められている事も珍しくない。

[编集] 幕下付出の场所で优胜した力士(昭和以降)

优胜同点(平成以降)

[编集] 幕下付出の基准

15枚目格付出
全日本相扑选手権大会」(アマチュア横纲)、「全国学生相扑选手権大会」(学生横纲)、「全日本実业団相扑选手権大会」(実业団横纲)、「国民体育大会相扑竞技(成年男子A)」(国体横纲)のいずれかに优胜した场合
10枚目格付出
「全日本相扑选手権大会」の优胜に加えてその他3大会のいずれか1つ以上に优胜した场合

[编集] 幕下以外の付出

过去には、非常に実力のある力士の场合、幕内付出にされる场合もあった(由良ノ海楫五郎など)が现在は行われていない。雷电爲右エ门などは江戸相扑に関脇でデビューしている(ただし、雷电の场合は番付に関脇として记载されているので、付出の例とはならない)。

[编集] 関连项目