廃车 (鉄道)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鉄道车両における廃车(はいしゃ)とは、鉄道车両の本来の用途における使用(人や物を运ぶこと)をやめ、车籍を抹消し、廃弃すること、またはそうされた车両のことである。
目次 |
[编集] 廃车の原因
ある鉄道车両が廃车となる理由には、大きく分けて次の3种类がある。
- 経年廃车
- 用途(余剰)廃车
- 事故(天灾によるものも含む)廃车
[编集] 経年廃车
鉄道车両は、整备や手入れを多额の费用や时间をかけて行えば、30年あるいはそれ以上の期间使用することも可能である。长期间使用された车両の一例としては、戦前のベルリンオリンピック时に制造されたSバーン用电车がドイツ分裂・东西统一を経て21世纪初头まで运行していた例や、西日本旅客鉄道(JR西日本)小野田线において运用离脱する2003年まで70年间にわたって使用されていたクモハ42形电车などが挙げられる。また、経年が100年を超える蒸気机関车が、车籍のない游戯施设扱いであるものの动态保存され、客车を牵いて运転されている例もある。しかし、これらは非常に稀であり、大抵の车両は早くて10年前后、遅くとも30〜40年(新干线は15〜20年)で役目を终えている。
これは以下のような理由による:
- 技术的要因
- 技术の向上により时代に合わなくなった理由で廃车することである。制造された当时は最新鋭の技术を使っていたとしても、技术革新によりいずれ陈腐化することは避けられない。また、新たに开発された保安装置を设置することができなくなることもある。鉄道车両は、长期间に亘って法定の保守点検を行うため、新造费用だけでなくランニングコストが多く挂かる。このため、保守コストを低减できるように设计されたより新しい车両に置き换える方がトータルコストを低减できることがあるため、寿命に达していなくても廃车されることがある。あまりにも古い车両の场合、交换用の部品が制造中止になってしまい、修理が行えなくなったために、やむなく廃车になる场合もある。先述の42系の场合、001号を走らせるため、稼动中の006号を廃车して部品取り用にした。
- 老朽化
- 鉄道车両は使い続ければ老朽化が进んでいく。各种机器の老朽化による动作不良が事故を招くこともあるので、ある程度の期间使用した时点で廃车となる。特に新干线车両では在来线よりも高い安全水平が要求されることや、高速・长距离走行のため各部の摩耗や伤みが在来线车両より早く进行するといった理由から、车両の寿命が15年程度と短くなっている。
- 日本では、鉄道车両の减価偿却期间は大蔵省令により定められており[1]电车は13年である。つまり、少なくとも13年间使用することを前提に设计されている。ただし、これを基准に设计された车両は东京都交通局(都电)8000形电车、东日本旅客鉄道(JR东日本)209系电车など例は少なく[2]、大抵は设计上の耐用年数を20〜30年程度とし、内装や车体、机器等の更新を行いながら法定耐用年数の13年を超えて使用される。しかし、この长さも事业者の事情によってまちまちであり、老朽化・陈腐化したものを短期间のうちに一気に置き换えてしまう事业者もあれば、これと同じものを更新しながら相当长期间にわたって使い続ける(使い続けなければならない)事业者もある。
- この设计上の耐用年数も时代によって変迁しており、一般に1950年代前半までに制造された车両は顽丈に造られており、軽量构造が一般化した1950年代后半以降に制造された车両に比べて、同一経年であっても一般に老朽化の度合いは小さい。例えば、1940年代后半から制造された国鉄スハ43系客车が、后継车として制造された軽量构造のナハ10系客车が老朽化により全廃された后も大量に残存した事例がある。それゆえ、その后に制造された车両は、行き过ぎた軽量构造を改善し、やや顽丈な构造として重量も増加している。また、アルミ合金车とオールステンレス车は、普通钢制の车両に比べて锖の発生による劣化が少なく、涂装の省略等による保守上のメリットも大きいため、车体デザインの陈腐化などさえ考虑しなければ、半永久的に使用可能である。
- また、特殊な构造を持つ车両や极端に性能の异なる车両(例えば试作车や、何らかの理由で少数しか制造されなかったグループ)はその特殊さゆえ保守に手间がかかったり、交换部品のコストが嵩んだりするため、特に多数の车両を运用する大手鉄道事业者では早期の整理対象となりやすい。多少古い车両であったとしても、数がまとまっていれば量産効果により维持コストは削减可能であるし、性能が揃っていれば运転上の特殊な取り扱いもしなくて済むのである。极端な例としては0系新干线のように、老朽化した车両を新造した同系列によって置き换えるといったことも行われている。
- 旧型车から下回りや机器を流用した车体新制车は、流用机器の老朽化から完全新造车に比べて短い期间のうちに新造した车体ごと廃弃されてしまう例も多い。流用机器の老朽化や陈腐化が理由であるが、コストなどの保守面等でのデメリットが更新当时の想定以上に急速に表面化するなどの理由によって、早期に廃车されてしまう例も见られる。一方で、老朽化の进んだ机器を新造あるいは余剰のものより新しいものと交换して、経年の浅い车体がさらに活用される例も少なくない。
- 特殊なもの(他と违うもの)は、一般に短命である。
[编集] 用途(余剰)廃车
[编集] 环境の変化による廃车
鉄道车両を取り巻く输送环境は廃车となった车両の走る路线についての内部的な変化のみならず、その车両の走る路线そのものとは何の関系もない外部的要因による変化など様々な理由で変化する。
前者の内部的な変化としては、まず运用体系の変化や输送力増强などに伴う编成の组み换えに伴う余剰车両の廃车が挙げられる。
例えば小田急电鉄旧3000形「SE车」を「SSE」化した(8両×4本を5両×6本に组み替えた)际、余剰となった2両が廃车となった。
また京成电鉄AE形电车においても、6连×7本から8连×5本に组み替えたため余剰となった2両が廃车となり、3400形电车の更新改造に机器を供出している。
名古屋鉄道1000系电车に至っては、车齢が若い(10〜20年程度)ながらも特急列车の运営方针の転换(一部特别车化)によって运用が减少し、余剰廃车となった车両はその主要机器を新5000系に供出することとなった。また、余剰となった1600系の4両(ク1600)は、転用先、譲渡先が见つからなかったために车齢9年と短命に终わった。
大阪市交通局10系电车は、10両编成化する时は新20系が制造を开始していた为、车齢が古い01〜03编成を分割・改造及び电装删除の末他编成に组み込み、残った4両は余剰廃车となった。
また、新型车両を投入した后にそれまでの车両を廃车にせず他の线区へ転出しその线区の旧形式车を淘汰させることがある。この时には编成は适宜组み替えられるが、この组み替えた结果として余った车両が廃车となることがある。
编成组み换えによって余剰となるのは大抵付随车であり、転用する场合は电装(モーターなどを取り付け、动力车に改造すること)などが必要となり、莫大なコストが挂かる。ただし、転属や増発による短编成化で制御车(先头车)が不足する场合には、改造されて制御车になる场合もある。457系电车におけるグリーン车や165系电车などからの改造车、80系电车・205系电车・485系电车などの例がある。
また営団地下鉄东西线乗り入れ専用车であった国鉄301系电车の场合、営団との协定でJR侧の乗り入れ数が减少したために余剰となった1编成が廃车となった。さらにこの形式は、それ以前に営団に合わせた10连化のため、7连8本を10连5本に组み替えた际、余剰6両が廃车となった。
他にも廃线や列车廃止の影响による廃车もある。
信越本线の横川〜軽井沢间の碓氷峠の急勾配区间の専用补助机関车として使用された国鉄EF63形电気机関车は、长野新干线开业と引き换えの碓氷峠区间の在来线廃止に伴い全车廃车となっている。碓氷峠では先代の国鉄ED42形电気机関车も粘着运転への切り换えに伴うアプト式运転廃止で全车廃车となっており、この区间では路线切り换えによる车両の用途廃止による廃车が2代続いたことになる。
长野电鉄10系电车は、木岛线の廃线の影响で余剰となり、普通列车の运用が3500・3600系电车に车种统一できることから3500・3600系より车齢が短いながらも廃车となった。
后者の外部的な変化としては、他社他路线もしくは他车両・新しい规制や法令の影响などで廃车された例がある。
例えば东京都电6000形6152号车は都电全盛时代を伝える唯一の车両として、またライトの形状から「一球さん」という爱称で保存车として亲しまれていたが、京福电気鉄道越前本线列车冲突事故が起きた际にその事故车両についてブレーキ机构が1系统しかなく、これの故障によって停止不能となったことが事故原因として明らかとなり、同様のブレーキシステムであった6152号も运転に不安があるとして休车となりその后廃车された。
また、小田急10000形电车(ロマンスカーHiSE)は交通バリアフリー法施行に伴い鉄道车両にもバリアフリー対策が求められる中で、特徴でもあったハイデッカー构造のためにバリアフリー対応工事が困难であることが理由の一つとなり、より古い电车である7000形电车(ロマンスカーLSE)よりも早く淘汰されることとなった(长野电鉄へ譲渡された2编成)。
横浜市営地下鉄ブルーラインに2006年まで运用された2000形では3000A・N・R形とドアの幅が异なり2007年より开始予定のホームドアによるワンマン运転に対応できず、车体をすべて解体・廃弃せざるを得なくなった。なお第16编成以外の台车や空気圧缩机・ブレーキ装置等の一部机器は3000S形へ流用された(この辺りの事情は东京メトロ07系が东京メトロ东西线へ転属した理由と同様。详しくは当该项目を参照)。
新干线においては1985年に登场した100系は0系と基本性能は変わらない。その为、300系や500系等の270〜300km/h超の车両の投入によるスピードアップに対応できず、车両自体の寿命を迎える前に大量淘汰を受けることとなった。100系の最高速度は275km/hであるが、騒音基准を満たすことができなかった事も要因の一つである。
また、食堂车はその外部的要因と内部的要因による影响を复合的に受けた例の一つである。
まず、1972年の北陆トンネル火灾事故によって国鉄10系客车の食堂车火灾に対する安全性が问われ(外部的要因)、早期に全廃された。また、国鉄末期になると、新干线网の発达や自动车の普及による特急电车の短距离化・短编成化の倾向の影响を受けたり(内部的要因)、さらに近年の旅行形态の多様化の影响を受けるなどして(外部的要因)、昼行特急列车の食堂车の多くが廃止され、车両の大部分は余剰であるとして廃车となった。
- 新干线においても、国鉄期の车両には食堂车が通用であったのに対して现在の车両には连结されていないことから、この倾向を伺うこともできる。
- なお、廃止となった昼行特急列车の食堂车のうち、廃车を免れた少数の例として国鉄485系电车において雷鸟の食堂车を廃止する代わりに和风电车「だんらん」に改造した例がある。この车両は后のスーパー雷鸟新设时、ラウンジ付グリーン车に再改造されている。JRに継承した一部は国鉄24系客车(北斗星やトワイライトエクスプレス)の食堂车に改造された。
珍しい例としては、新干线1000形电车の「解体设备の运転试験のために廃车」といったものや、国鉄DD54形ディーゼル机関车や阪神3801形电车第1编成のように「あまりにも故障や事故が多発し过ぎて廃车」といったものなどがある(両形式とも约12年と全车法定耐用年数に达する前に廃车された)。
[编集] 试験终了による廃车
试験车は大きく分けると次の3タイプになる。
- A 新造车…试験のためだけに开発された车両。今までと全く违う机器を搭载していたり、车体形状が突飞であったり(例…新干线500系电车900番台《WIN350》)、编成内でバラバラであることも多い(例…JR东日本E993系电车《ACトレイン》)。
- B 改造车…台车やモーターなど一部分のみの试験を行う车両。在来の车両に改造や仕様変更を行っただけなので、旅客运転をしながらデータ収集を行うことも多い(例…国鉄103系电车DDM駆动改造车《モハ103-502》)。
- C 先行试作车…次期新造车両の性能を确认するための车両。新造车と违うのは、量産を念头に置いた车両である点と、実际に客扱いを行う点で、突飞な姿をしていることはまずない(例…JR东日本901系→JR东日本209系900・910・920番台)。
- また、客の评価や运用上の问题点などを调べ、量産车に反映させる役割も担っている(例…JR西日本681系电车(现在の681系1000番台))。
このうちAが旅客车に改造されることはまずなく、试験终了と共に引退するものがほとんどである。その际に耐久试験として重りに溃されたり、壁などに激突させたり(例…JR东日本E991系电车 (初代)《TRY-Z》)して原形を留めない姿で解体されて行くものも多い。ただし、国鉄キハ391系気动车や新干线955形电车《300X》・新干线500系电车900番台《WIN350》・新干线952形・953形电车《STAR21》などの高速试験用新干线电车のように试験终了后も现在に至るまで保存されているものもある(ただし、新干线955形电车と新干线500系电车900番台の中间车はすべて解体され现存しない)。
また、Bは试験终了后は一般型に戻されるケースもある(例…JR西日本221系电车160km/h走行対応改造车)が、基本的にはそのままの姿で使用され続ける。しかし、种车に旧型の车両を选んでいた场合は牵引车や入れ替え车として再利用される场合を除いて廃车されてしまう场合がほとんどである。また一部の试験车などでは一旦は运行を开始したが、保守などの取り扱い上の问题から早期に廃车となる例もある。
Cは量産型に合わせた量産化改造が行われ、新形式の一员として使用され続けるものがほとんどである(例…JR西日本207系电车量産先行车、新干线700系电车)。しかし、量産が中止になったり、量産时に大幅な设计変更が行われた场合、その车両は异端车として早めに休车・処分されたり(例…国鉄415系电车クハ415-1901)、新形式登场后も引き続き试験用として使用されたりすることもある(例…新干线N700系电车)。また、无事に运用を开始したとしても量産编成の中间に组み込まれたり(例…国鉄201系电车900番台)、支线运用に就き続けたりする场合が多い(例…営団6000系电车1次试作车)。中には国鉄207系电车など未だに本线で运用されている例もある。同车は1986年に次世代型VVVFインバータ制御试作车として登场したが、当时はまだ半导体技术が未熟であったため、コストが挂かり过ぎるなどの理由で、同タイプの车両の量産に至らなかった(国鉄分割民営化后にJR西日本が新设计で207系を新造・量産した)。また国鉄DE50形ディーゼル机関车のように量産先行形として试作を行い実际の営业运転でも良好な成绩を残したたものの、その后の环境の変化(全国的な电化の进捗)により量産しても需要が见込めないなどとして、结局1形式1両の先行试作机だけが残ってしまったというケースもある。
[编集] イベントトレイン・ジョイフルトレインの廃车
イベントトレインとジョイフルトレインは多くが旧型车の改造によって制造されており车齢が高いものが多い。そういった车両に展望化やハイデッカー化など无理な工事を施せば当然各部が老朽化してくる。また特定の列车専用の改造をした车両が多いために転属も难しい。そのため、その列车が廃止されればそのまま廃车にされる场合が多い。特に最近では不况も后押しして廃止が相次ぎ、これらの车両の数も减少倾向にある。
これらの车両が残存する场合には次のようなものがある。
- 団体専用车になる场合…イベントトレイン・ジョイフルトレインは元々団体用の车両もあるだけに、これが最も多いパターンである。ほぼ无改造で転用される场合がほとんどであるが、一部の客车列车などには欧风→和风の改造(逆もあり)など内装の変更が行われる场合もある。このパターンではJR西日本の国鉄キハ65形気动车エーデル・シュプール&リゾート改造车などがある。
- 别のジョイフルトレインに改造される场合…経年の浅い车両では再改造されて别のジョイフルトレインになる场合もある。国鉄キハ183系気动车1000番台がいい例で、「オランダ村特急」→「ゆふいんの森(II)」→「シーボルト」→「ゆふDX(赤→黄)」と5回も変わっている。このパターンの场合の改造は主に内装と涂色変更を中心に行われる。
- 全く别の车両になる场合…非常に稀な话だが数例がある。例えばクロ212-1がクヤ212-1U@Tech试験车に改造された例が挙げられる。
- 一般车に戻される场合…改造が涂装の変更など少しであった场合や、各种ビアホールトレインなど、元々期间限定であった场合などに行われる。元に戻った后は他车と全く区别が付かなくなる场合もしばしばである。また戦后の混乱期には车両数を确保するために展望车などを无理矢理改造したこともあった。前者の例としては1000系「ブルーライナー」などが、后者の例としては江ノ电の纳凉电车などが挙げられる。
- 一般车に格下げされる场合…これには2パターンあり、元々グリーン车や座席指定の车両を普通车(自由席)にする场合と、运用がなくなったイベントトレインとジョイフルトレインを一般车と共通运用にする场合がある。前者の场合、リニューアル改造などが同时に行われることも多いが、后者の场合は无改造であったり、座席の固定化などの简単な改造で済ますことも多い。前者の例ではKenjiなどが、后者の例では近江鉄道700系电车などが当てはまるほか、最近の国鉄色复元车もこれに含まれる。戦中・戦后の混乱期には输送力を确保するため、一等寝台车などを三等车(普通车)に改造した例もあった。
- 地方私鉄に譲渡される场合…大手私鉄で余剰となった车両でも、バスや自家用车との乗客确保争いに明け暮れる地方私鉄では重要な戦力になる场合も少なくない。后述のようにその鉄道会社に合わせた改造が行われることがほとんどだが、内装はそのまま使われることも多い。会津鉄道キハ8500系気动车や富士急行2000形电车など例も多い。
[编集] 特别廃车
日中戦争が勃発した1937年以降、军の要请により日本が支配する外地(植民地)の鉄道整备のため、鉄道省に在籍する车両が改造のうえ彼地へ送られた。これを一般に戦时供出といい、対象となった车両には特别廃车の手続が取られた。
1937年から1938年にかけては、主に中国の华中鉄道や华北交通向けに9600形やC51形などの蒸気机関车のほか、スハ32600形客车やキハ40000形、キハ42000形気动车などが、标准轨に改造のうえ供出された。
太平洋戦争が始まると、今度は南方のタイやビルマ、海南岛などの占领地で建设された军用鉄道向けに、多数の机関车が供出された。泰缅鉄道に供出されたC56形が代表的であるが、C12形、C50形、C58形、D51形なども対象となっている。これらは1m轨间に改造のうえ発送されたが、途中で输送船が撃沉されるなどして失われたものも多い。
戦后残ったものは所在する国に接収され、その国の鉄道で使用された。タイ国鉄に引き継がれたC56形のようにその后の消息が比较的闻かれ、その后日本に帰还したものもあるが、ほとんどの消息は不明となり人知れず异郷の土となった。
[编集] 事故・灾害廃车
事故により损伤し廃车となることもある。JR福知山线脱线事故に被灾したJR西日本207系电车Z16编成に见られるような原形を留めない场合や、そうでなくても修理费用が新制とほとんど変わらなくなるような场合が典型例である。しかしながら、鉄道车両の场合は台枠と呼ばれる部位について、歪んだり変形したりした场合その修复は极めて难しく、新舄県中越地震で脱线した新干线200系电车K25编成など修复可能のように见える车両であっても実际には修理不能として事故廃车(K25编成は修理不可というよりも脱线の状况の研究のために廃车となった)となることがある。また、修理可能であったとしても、事故地点の地形的な问题から车体の搬出が困难であったり、被灾路线の迅速な复旧作业に支障が出ると判断された场合、现地で解体されることもある(阪神・淡路大震灾で被灾し41両が廃车となった阪神电车の例など)。
- 损伤が激しい事故廃车の场合、基本的に现地で解体されることとなるが、警察や検察、裁判所から证拠对象の保持命令が出された场合はそれが解かれるまで车籍の抹消は一切できない。そのため、2005年(平成17年)4月に発生した鉄道事故である福知山线脱线事故の207系Z16编成は、大破しており既にレール上には存在していないが翌2006年内の车籍抹消はされていない(连结していたS18编成は重要证拠としてZ16编成の台车と共に兵库県警に押収された)。三鹰事件の际の先头车であった国鉄63系电车モハ63019の场合、裁判の资料として事件后十数年间に渡って留置され続けた(その结果、モハ63型が実际には消灭したかのように见えていたが、长年1両だけ残存していた)。また东中野事故で唯一1両被灾を免れた国鉄201系电车クハ201-3も事故以来17年间予备车扱いとなり、その后ほとんど営业运転することなく2005年12月20日に廃车されている。
- 事故で廃车になった分は补填をしなければならないため、事故廃车となった车両が古い场合、あるいは既に制造停止になっていた场合は他形式の车両を回す(最新型の车両を追加で新造投入[3])か、编成替えや运用の変更で代替车両をまかなうこととなる。まだ新しかった场合には事故廃车となった车両と同じ形式の车両を新造する。これを代替新造と呼ぶ。ただし、事故车が廃车対象车であったり、残った车両が极端に少ない场合、また1形式1编成などの异端形式であった场合、残った车両も一绪に廃车となることもある。そのため、名鉄1380系电车のように修理改造までして残すのはかなり稀な例である。事故车が廃车対象车の场合は代替车が既に発注済みの场合もあり、その场合は追加で投入せずに発注済みの分だけでまかなわれることも考えられる。
- 鉄道车両には1両毎に番号が付いている。代替新造された车両には、事故廃车となった车両の番号と同じものを付ける鉄道事业者もあるが、廃车车両と番号を区别する必要がある、事务上の処理において障害になる、あるいは縁起が悪いなどの理由から新しい番号を付番して、事故廃车となった车両の番号は欠番とする鉄道事业者もある。
- 例えば、営団地下鉄(当时)で営団5000系电车5818・5252号が荒川鉄桥上で竜巻に巻き込まれて脱线した际、同じ番号で5000系电车を制造し直したが、阪神电気鉄道では、阪神・淡路大震灾で被灾した阪神8000系电车の代替新造车に8236→8536のように元の番号に+300を付番している。JR九州で长崎线特急列车脱线転覆事故で被灾した885系の代替新造车は元の番号に+400を付番している。また国鉄(当时)内房线で国鉄183系电车が踏切事故に遭遇し先头のクハ183-17が大破、廃车されたが代替新造车は続番のクハ183-39で新造されている。
- また、车体全体あるいは车両そのものを制造し直し修理复旧扱いで再度営业运行に投入する例もある(これらの场合は事故车の部品を流用することが多い)。极端な例としては东武鉄道があり、基本的に事故车は修理する方针のため8000系など踏切事故で过去に大破した车両があるにもかかわらず、生産から30年以上経った2004年まで廃车は1両もなかった(现在は数両の廃车が出ている)。8000系は车体と机器の大半を再度制作した上で新造に限りなく近い形で复旧させた。同社で事故廃车扱いにされた车両は7800系の1编成2両及び5070系の5174F(电気系统の火灾)のみであり、かつて2000系が営団日比谷线内で火事を起こして全焼した时や、営団日比谷线脱线冲突事故で20000系が営団地下鉄03系と冲突、大破した时も同番号での修理复旧となっていた(営団03系は廃车)。また、事故廃车となった7800系にしても、その台车や机器类は修理して保管され、后の7800系の5000系列への更新の际に利用されている。
连接车やユニットモーター车など构造的に复数両数で1セットとなる车両においては、制造中止になっている场合、その中の1両でも廃车になると残った车両はそのままでは使えず、代替新造もできないということで再利用不可能となり、廃车される场合もある。ユニットモーター车の场合は电装删除して付随车(もしくは运転台を取付て制御车)となることもある。
事故から复旧しても、加速やブレーキ作动时の挙动に特有の癖が出る、あるいは故障が多発するなど不具合が残る场合もある。そういった场合、モーターを载せ换えるなどの修理を行うが、修理工程が新制に近いものになる、もしくは縁起が悪い、取り扱いが他の车両と异なるなどの理由で乗务员や検修员から极端に嫌われると、廃车処分される场合もある。例として电気机関车EF66 55が1992年に山阳本线で脱线事故を起こし大破、后に复旧されたが他の车両より早く廃车されたケースがある。
[编集] 戦灾廃车
鉄道は物资输送や生産の面で、戦争遂行において重要な役割を果たすことからその机能を削ぐことは戦争に胜利するための戦略の一つとなる。そのため、鉄道はしばしば敌対势力からの重要な攻撃目标となる。鉄道车両もその一要素をなすものとして攻撃対象となり、戦场となった地域では多くの车両が空袭や舰炮射撃などによって破壊された。また、退却の际に鉄道施设を敌対阵営に使用させないため、自军の手により破壊されることもある。
日本においては、太平洋戦争末期の空袭により多くの车両が焼失した。これらは戦后に除籍されたが、戦后に発生した输送状况の逼迫を打开するため、廃车体の一部は応急的に复旧されて复籍し、复兴输送の一翼を担った。一部は私鉄に譲渡されている。しかし、これらは火灾の际の热により台枠等の基本构造にダメージを受けていたり、复旧自体が物资不足の时期におこなわれた応急的なもので质量が悪く、多くは早期に非旅客用车両への転用や车体更新が行われた。
[编集] 车体振替え
旧型车の置き换えの际に置き换え対象车の廃车の手続きを取らず、新规导入车を置き换え対象车両の改造名义で振り替えてしまう事例もあり、一部の私鉄ではかつては多く行われていた(东武鉄道で近年まで运行されていた5000系列や3000系列はこの手法を応用した形である)。こうした振替えを缲り返していくと、実车はどう见ても新车であるが、书类上は100年以上も前の车両の改造车ということも起こりうる。钢体化改造や事故车の复旧名义による代替新造も広义にはこの范畴に含まれ、车体新造や部品流用だけでなく他事业者から购入した中古车体(台车や机器まで含めた一切合财)によることもある。こうした场合、车籍は存続しているものの、旧车体は振替えの时点で実质的に廃车になったと见るべきである。
こうしたケースは、改造として当局に届け出られるべき事项であるが、まれに无届のまま现车の振替えが行われてしまうことがある。事例は私鉄ばかりでなく国有鉄道においても见られる。当然「违法」であるため、その事実が公にされることは少ないが、公然の秘密としてファンの间で脍炙されることも多かった。
[编集] 廃车までの道のり
ここに、1000系という鉄道车両があるとしよう。この度1000系の置き换え车両2000系が投入され、1000系に代わって営业运転(乗客を乗せて走ること)を开始した。こうなると1000系は営业运転から外れ(これを运用离脱という)、万一2000系が故障した际の予备车は休车となる。この时点では1000系はまだ必要とあらば自走できる状态にある。
2000系に问题がないと认められて量産されると、国土交通省へ1000系の廃车届けが出される。これが受理された时点で1000系の车籍が抜かれることになる。自动车でいうところの抹消登録であり、この时点で正式に廃车となる(つまり廃车=解体ではない)。こうなるともう本线(旅客列车が走っている线路すべて。车库や工场内は本线ではない)を自走できなくなる。なお、鉄道车両にも一定期间毎の検査があり、検査にも一定のコストが発生する事などから、これの期限が切れた车両から廃车されていくことが多い(若番车から廃车されていくとは限らない)。
廃车により、ある形式(同じ形质を持っている车両の総称 例:モハ101形)の车両が全车廃车になった场合、その形式を廃形式と呼び、ある系列(いくつかの形式が集まってできたグループ 例:国鉄101系电车)の车両が全车廃车になった场合はその系列を廃系列と呼ぶ。なお、特定の番台区分の车両がすべて廃车になった场合は廃区分番台と呼ぶ。また、车籍こそあるものの、付随车しか残っていない、运用离脱后屋外に放置されたまま朽ち果てているなどの理由で事実上本线走行が不可能になっている状态のものも廃形式・廃系列に含むこともある(例:国鉄165系电车→车籍がJRに残っているものはサロ165-106しかなく、営业运転は不可能)。ただし、その系列単独での编成は消灭したが、他の系列の编成に组み込まれて営业运転を行っている车両がある场合はこの対象外となる(例:最末期の阪急2800系电车・现在は廃系列)。
廃车になると、ほとんどは解体、もしくは他社売却となることが多いが、中には各种鉄道保存展示施设や鉄道公园、あるいは一般の公园などに保存されたり、个人の宣伝用などに譲渡されることもある。珍しい例としては、名古屋市交通局では廃车车両を渔礁として海に沉めた例もあり、海外では多く见られるが、日本では规制が厳しいため、爱知県や山口県など一部でのみ行われている。
新车は车両メーカーに発注して営业运転に使えるようになるまでには1年程度挂かるため、事故などによる廃车を除いては、车両の更新(置き换え)计画は绵密に立てられている。
[编集] 廃车后の処置
[编集] 廃车解体
解体される场合は、动力车であれば解体场まで自力回送され、解体を待つことになる(解体场に着いた时点で籍が抜かれ、正式廃车となる)。动力がない场合は他の动力车により牵引されることになる。解体场は车両基地や工场の片隅を使用することが多い。近年は、环境上の问题から、自社に解体场は持たず、车両基地で2つないし3つに轮切りにしてトラックに积んで解体业者まで陆送される场合も多くなっている。例えば、群马県馆林市内にある东武鉄道の北馆林荷扱所には解体业者が驻在し、自社の廃车车両の処理だけでなく、他の大手私鉄や地方私鉄の廃车车両の解体も引き受けている。そのため相模大野(小田急电鉄)や若叶台(京王电鉄)などの他社の车両基地からも车両がトラックで陆送され、解体されている。
解体の顺番が来ると、编成を解かれ、入れ换え机械により解体线に移されて、解体作业が始まるが、大体、次のような方法で解体されている。
- 机器や内装装置を取り外した后、バーナーで真横に焼き切り、重机(油圧ショベルのアタッチメントを替えたり、クレーンなどを使う。フォークリフトを使う场合もあり)を使って上部を外す。さらに下部も台车から外す。最终的にさらに裁断する。
- 机器や内装装置を外した后、重机(油圧ショベルのアタッチメントを解体用のものに替えて使用する)を使って裁断していく。
- 重机は使用せず、バーナーのみ使い手作业で解体していく。补助的にフォークリフトや小型クレーンを使うこともある。
- JRでは、解体场が复数あるため、3つの方法すべてで解体されている(JR东日本の场合、解体业者との契约は各工场毎のため旧大船工场では1,旧大宫工场大成地区(现在の鉄道博物馆のある场所)では2など、各工场で异なっていた)。
- 解体业者に委托している鉄道会社の场合、既に台车や机器が取り外された车体のみで送られて来るので、2の方法が多い。
- 东京地下鉄や东叶高速鉄道などでは特に机器や内装装置は外さず、そのまま重机での解体后に分别している。
- 西武鉄道などでは重机は使わず、3のバーナーによる手作业で解体している。
- 东海道新干线浜松工场では、1の形を応用した専用の设备を使用する(まず屋根を外す→妻面を外す→车体下部を电动カッターで切断→切断した车体と床をまとめて细かく切断、となる)。
- 半钢车が多く环境规制がゆるやかだった时代には、车体に放火して木造の内装や座席等を焼却し、焼け残った构体等のみを解体する方法も用いられた。大気汚染の原因となるなどの问题から、日本の现行法规では禁止されている。
解体された后は素材毎に分别してリサイクルされる(例えば鉄屑は制鉄所へ运び再生鉄へ)が、再生できないものについては産业廃弃物としての処理がなされる。
取り外した机器などは他の车両の予备として残されたり、他の鉄道事业者向けに中古部品として贩売されることもある。
ナンバープレートなどは车両基地一般公开やイベント时に即売会や鉄道会社の通贩などで贩売されることもある。しかし、近年では悪戯防止や金储けの転売を阻止するためなどの理由で、贩売されず鉄道会社の仓库に死蔵されたり、除籍と同时に廃弃処分されることも多くなっている。また、过去にイベントで贩売された部品の涂料などにアスベストが含まれていることが発覚し、回収や除去などを行っている会社もあることから、今后はさらに贩売されることは少なくなると思われる。
いずれにしても、廃车となった车両が解体されるまでには数日程度の时间しか必要としない。
[编集] 他の鉄道事业者への譲渡
廃车になった后、他の鉄道事业者へ譲渡される车両もある。大都市では性能的に古くなった车両でも、车体や机器は极端に劣化しているわけではなく、地方の私鉄から见れば十分な质量性能を保っているし、线路がつながっていたり系列会社であったりすれば、なおさら交渉もスムーズに行われ易い。例えば能势电鉄の车両はすべて元阪急电鉄の2000系・2100系・3100系の系列である。また、旧性能电车を使用していた顷の新京成电鉄は京成电鉄から譲渡を受けていた。なお、车両を丸ごとだけではなく、台车や车体、あるいは部品1个単位といった、いわゆる「バラ売り」で譲渡されることがある(元営団日比谷线の3000系电车が银座线の2000形电车や京王电鉄の5000系电车の譲渡用に台车を提供した例や営団东西线5000系の冷房用电源装置を长野电鉄が通勤车冷房化用に譲り受けた例など)。
太平洋戦争中は、鉄道车両も统制物资の一つとなり、中古车両の譲渡も政府机関の鉄道轨道统制会を通じて行われた。戦后の复兴期には输送状况の逼迫を打开するため、大型の新制车両を大手私鉄に割当てる代わりに、その会社の保有する小型车や中型车の地方私鉄への譲渡义务付けが政策的に行われたことがある。
譲渡される场合は、相手の鉄道会社の设备に合わせた车両改造が必要になる。主なものは次の通り(すべてが実施されるとは限らない)。
- 先头车化改造(具体的には运転机器の取り付け(主に短编成化される时))
- 列车便所の取り付け
- ATS・ATCなどの改造(取り付け・取り外し)
- モーターの改造(搭载车両の変更、出力の変化、付随车化など)
- 台车の改造・交换(轨间の异なる场合のみ)
- 集电装置の改造(第三轨条集电→架空线集电など)
また、転用先がワンマン运転をしている场合、当该路线のニーズに応じて、自动放送装置、デッドマン装置、紧急停止装置、运赁回収机、乗车駅证明书発行机、バックミラーの设置が行われたり、ドア回路についても特定ドアのみの开闭が可能なように改造が行われる。
また、転用を期に各部のリニューアルが行われたり、冷房が取り付けられたりすることも多い。
2000年代では首都圏を中心に各社が车両交代时期に入り、廃车が続出しているが、そのまま解体されることの方が多い。一般形电车と呼ばれる、安価かつ他社车両と同规格で造れる电车が出现したのも一因となっている。
これは鉄道会社によっても考え方があるようで、积极的に譲渡先を探す鉄道会社もある。例えば、东急电鉄では昔から积极的に譲渡先を探すようで、そのために地方で使用される车両が现在でも多いようである。
[编集] 地方私鉄に比较的多く譲渡された国鉄(JR)・大手私鉄の车両
[编集] 譲渡元でいまだに稼动している事例
- 国鉄キハ35系気动车(现在はJR东日本にのみ在籍)
- 东急7000系电车・7700系电车
- 东急8000系电车
- 东急8500系电车
- 西武101系
- 京王3000系电车
- 京阪3000系电车(初代。现8000系30番台)
※以上には譲渡先で全廃となったものも含まれる。
[编集] 譲渡元で既に全廃している事例
- 国鉄101系电车
- 秩父鉄道(秩父本线)
- 东急5000・5200系电车
- 西武401系电车
- 上信电鉄
- 三岐鉄道(三岐线)
- 近江鉄道
- 西武701・801系
- 京王5000系电车
- 営団2000形电车
- 営団3000系电车
- 长野电鉄
- 阪急2000・2100系电车
※以上には譲渡先で全廃となったものも含まれる
[编集] 日本国外に譲渡された事例
[编集] 保存展示や个人などへの譲渡
廃车となった车両のうち、産业考古学的、鉄道史的などの観点から保存する価値があると认められた车両は保存されることがある。保存には2种类あり、线路上を自走できる状态で保存するものを动态保存といい、自走はできずに主に展示目的で保存するものを静态保存という。
なお、静态保存されていた车両が整备され、もう一度本线を自走できるように车籍を再び入れることもある。これを车籍复活という。蒸気机関车などに多い。ただ、本线の保安装置や定格速度などが大幅に変化していた场合、旧型の车両を走らせるのは不可能なので、あえて车籍を戻さない场合もある。阪急100形电车や江ノ岛电鉄100形电车などが当てはまる。 一方で国鉄D51形蒸気机関车498号机のように、现役のATS-P保安装置を导入してまで车籍复活した动体保存机もある。
また、名车であることから廃车を延ばすこともある。最近の例ではJR西日本が北陆地区にサンダーバード増発のあおりで国鉄489系电车が廃车になる时に廃车予定だったクハ489-501・1の2両が歴史的観点から廃车が延期となり、别编成に组まれていた502・2が代わりに廃车となり、両编成の先头车が入れ替えられ、当分の间延命することになった。JR东海では保存目的でキハ80系や165系电车のグリーン车サロ165形などを车籍を抜かずに保管している(なお103系、キハ30系、165系普通车は车籍なしで保存されている)。
数は少ないが、个人が保存目的や仓库代わりに买い取る场合や、「思い出の车両」として地元自治体が引き取り、管理する场合もある。また、车両の制造会社が自社内で保存したり、「机械扱い」として车籍のない状态で工场内の牵引用に使用する场合もある。个人が买い取るケースは以前はよく见られたものの、近年では输送费の高腾や土地の减少といった理由であまり行われていないことや、鉄屑の価格の方が「车両そのまま」で売却する価格より高いため、会社の方针として认めない场合も多い。个人が车両を丸ごと1両払い下げて何かに利用しようとすると、输送费・土地代・改装费など込みで大体1,000万円くらいにはなる上、トレーラーなどでの输送には警察その他多くの関系机関の许可が必要になり、その后の固定资産税も莫大なものになると言う。
これらの対象とならないほとんどの车両は先に述べたように、解体场に运ばれて解体され、屑鉄となる。また、一旦保存されても、特に个人や财政基盘の弱い団体の场合は维持・管理が难しく、雨ざらしの状态で维持管理も十分になされずに置かれているうちに锖や破损、部品の盗难などが目立つようになり、无残な姿をさらし続けたあげく危険とされて解体されてしまう场合もある。
近年では、自治体の财政が悪化していることや、国际的に鉄屑の価格が上升していることから、売却や保存より解体する方が金になるため、保存される例は减ってきている。2003年に相鉄6000系电车が引退した际、最后まで残った32両の无偿譲渡を発表していたにもかかわらず、1両も引き取り手が现れなかった事例もある。また旧马込车両工场に2両が留置されていた东京都交通局5000形や南海20000系もほぼ同様の理由に従って解体されている。