急行列车
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
急行列车(きゅうこうれっしゃ)とは、普通列车(缓行)に対し、一部の駅を通过して、主要駅にのみ停车し、速达输送を行う列车のことをいう。 狭义には、停车駅が特别急行列车(特急)より多く、准急列车(または快速列车)よりは少ない列车として认识される。ただし、名称、位置づけに関しては、列车を运行する鉄道会社によって様々である。通常、急行列车の英訳にはExpressが当てられるが、事业者によってはExp.と略される。
また、利用にあたって、运赁とは别に急行料金の支払いが必要な场合がある。
目次 |
[编集] 急行列车の各国の呼称
急行列车の英语訳は"Express"であるが、これは日本语の「急行列车」とは必ずしも一対一で対応するとは限らない。日本の急行列车に相当する列车に与えられる列车种别をあらわす名称としては、高速性が示せる言叶から自然発生した、"Flyer"、"Mail Train"、"Rapide(フランス语。英语の"Rapid"に相当)"、"Schnelzug(ドイツ语。"Zug"は英语の"Train"に相当)"といった用语と、事业者の创作・命名に由来するが、个别列车の爱称とははっきり区别できる"InterCity(IC)"、"InterRegio(IR)"、"EuroCity(EC)"などといった名称が存在する。また、日本语の「特别急行列车(特急)」「快速急行」と同様の、Expressという名称の変形として"Trans Europ Express(TEE)"、"InterCityExpress(ICE)"、"RegionalExpress(RE)"といったものが用いられる事がある。一部の都市内路线や地下鉄では"Skip Stop"という表现も用いられる。
[编集] 日本国外の急行列车
急行列车の歴史については不明な点が多いが、最古の急行列车は"Mail Train"という名称を用い、他の列车とは速度の面で特に区别されて运行された1830年代のイギリスの邮便と旅客の混合列车であると推定される。19世纪のイギリスの鉄道は高速化に热心で、"Express"、"Flyer"といった名称のついた列车が散见されるが、反面需要の有无に関わらず、各駅停车に相当する列车の运行にきわめて不热心で、议会で低运赁の各駅停车の运行が义务づけられ、各駅停车の方が「议会列车"Parliament Train"」として认识されているほどであったことや、"Express"呼称と特别料金の有无が一致しなかったことから、こうした高速列车が优等列车として意识され、急行列车という名称が列车种别として意识されていたかどうかについては疑问の余地がある。なお、"Mail Train"はイギリスの植民地であったインドの鉄道の列车种别として现在でも用いられている。
急行列车が発展した地域としては、他にアメリカ合衆国、ヨーロッパなどを挙げることができよう。长距离を走るアメリカの列车には速达性が求められ、19世纪末にはニューヨーク-シカゴ间の"Empire State Express"など、"Express"の呼称を用いた列车が多数存在した。ただし、20世纪以降は"Express"という名称は、フェデラルエクスプレスなど现在の宅配便に相当する小口荷物を输送する「急行货物列车」もしくは「急送便」といった意味合いで用いられることが多くなり、また、竞合路线が多い中で旅客诱致をするためにも特别さをアピールできるものが相応しいことから、旅客列车には"Limited"という名称を用いることのほうが标准になった。现在のアムトラックの列车名を见ても、その路线の唯一の列车で、取り立てて高速でもない列车が"~Limited"を名乗るケースが多い。例外は、近郊鉄道や都市高速鉄道で、急行线を运行する电车を"Express"と名付ける习惯は现在のニューヨーク地下鉄に残されている。アメリカにおいても"Express"呼称と特别料金の有无は现在でも一致していない。
ヨーロッパでは、1883年に国际寝台车会社(Compagnie Internationale des Wagons-Lits)の寝台车によって国际急行列车"Orient-Expres"(オリエント急行)が运行された。国际寝台车会社の寝台车によって运行された国际急行列车「ヨーロッパ大急行」"Grands Express Europeens"は豪华さと共に、速达性によって第二次世界大戦前の花形列车としてヨーロッパで活跃した。ヨーロッパではこのほかにも座席车连结の国际急行や国内急行列车が存在した。これらは第二次世界大戦后に、国际特急TEE(后にECとして発展的解消)やインターシティ(IC)サービスとして発展的解消を遂げたが、"Express"の名称自体はスペインやイタリアの列车种别として残されている。大陆ヨーロッパの诸国では、かならずしも"Express"呼称の列车に対してではないものの列车种别によって特别料金を取る列车が多く、列车本数も多いことから、急行という名称は列车种别として定着している模様である。
[编集] 国鉄・JRにおける急行列车の歴史
[编集] 「急行列车」の登场
日本初の「急行列车」は、1894年(明治27年)10月に山阳鉄道(现JR山阳本线)が神戸駅~広岛駅间で走らせたものとされている。3往复のうち1往复を主要駅だけの停车にしたもので、両駅间を9时间弱で结んでいた。これ以前にも、1882年(明治15年)3月1日に新桥駅~横浜駅间で运転を开始した列车を始めとして、「官报」掲载の时刻表で「急行」と表记された列车は存在したが、それらは现在の快速列车に近い存在で、长距离旅客の利便性やサービス向上を本格的に意识した列车はこれが初めてであった。翌1895年(明治28年)10月20日には官设鉄道に乗り入れ、京都駅発着となった。官设鉄道では1896年(明治29年)9月1日に、新桥駅~神戸駅间での急行列车を登场させた。それまで约20时间かかっていた両駅间が、17时间强で结ばれることになった。その后1899年(明治32年)には食堂车が、1900年(明治33年)に寝台车がそれぞれ山阳鉄道の急行列车に日本で初めて连结された。
その后急行列车の本数は増えていき、「最急行」・「最大急行」などといった急行より上の格の列车も登场するが、日露戦争中は削减または廃止されスピードも大幅に低下した。
日露戦争が终结した后には急行列车券规定が公布され、1906年(明治39年)4月に新桥駅~神戸駅间に设置された最急行列车の利用に、初めて急行料金が必要となった。急行料金を必要とする列车は徐々に増加していき、明治最后の年である1912年(明治45年)6月には、最初に急行料金が科された最急行列车が格上げされ、日本初の「特别急行列车」(特急列车)となった。
[编集] 急行列车の黄金期
大正から昭和时代初期にかけては急行列车の黄金时代で、日本の多くの干线で设置された。その顷の特急列车は东海道本线・山阳本线の「富士(ふじ)」・「樱(さくら)」・「燕(つばめ)」・「鴎(かもめ)」の4种类しかなかったので、东北本线などその他の干线では急行列车は「最优等列车」として君临し、「特急列车」にも引けを取らない列车も多く存在した。1934年(昭和9年)12月、丹那トンネルなどが开通した时に行われたダイヤ改正时の、そのような列车には次のようなものがある。
- 7・8列车
- (东海道本线・山阳本线・呉线)东京駅~下関駅间运転。终点下関駅では、関釜航路(下関~釜山)と接続し、朝鲜、満州、中国、そしてシベリア鉄道を経由してモスクワ(ロシア)、ベルリン(ドイツ)、ロンドン(イギリス)などへという、国际连络运输の一翼を担うという役割も果たしていたほか、呉线全通后は同线を経由することで、呉镇守府及び呉在籍の舰船に赴任・出张する海军士官の足となった。格别な列车として、一等・二等・三等の各等の座席车・寝台车をすべて连结した。食堂车は他の多くの列车が「和食堂车」である中、「洋食堂车」であった。当时、「洋食堂车」のほうが高级感があったからである。昼行区间(京都~下関间)では一等展望车も连结した。
- 17・18列车
- (东海道本线)东京駅~神戸駅间运転。関东と関西を结ぶ夜行列车で、神戸では満州の大连などへの航路にも接続していた。一・二等寝台车と洋食堂车を连结していたが三等车は连结されず、また座席车は二等车の一両のみであり、ある意味では「寝台列车」の走りともいえるような列车であった。その高贵性から政府などの要人や着名人などが多く使用し、「名士列车」と呼ばれた。
- 201・202列车
- (常盘线・东北本线)上野駅~青森駅间运転。东北本线の列车には、北海道・桦太连络の使命も与えられていたが、この列车はそれらのなかでも最も重要な位置付けをされていた。二・三等车のみで一等车は无かったが、二等寝台车の一部には「特别室」と呼ばれる一等寝台车并みの设备を持った车両が连结されていた。またこの改正时に大幅な速度向上が行われており、上野駅~青森駅间を下りが12时间45分、上りにいたっては12时间25分で走破し、上り列车の平均时速は60.46kmにも达していた。1940年(昭和15年)10月、上り列车は所要时间をさらに5分短缩し、この记録は1958年(昭和33年)10月に、东北初の特急列车「はつかり」が登场(上野駅~青森駅间を上下列车とも12时间で运転)するまでの18年间も破られなかった。
- 1・2列车
- (函馆本线・室兰本线・宗谷本线)函馆駅~札幌駅・稚内駅间运転。上记の201・202列车と青函连络船をはさんで接続する列车で、下りの场合长万部駅で函馆本线経由札幌駅行きと、室兰本线経由稚内駅行きとを切り离した。(上りも同駅で并结した)この列车にも「特别室」が设けられていて、稚内駅では桦太の大泊(现、コルサコフ)への航路と接続した。
急行列车は日中戦争に突入しても、そのために満州や桦太などへの需要が増したことから、各地で増発が続けられるが、太平洋戦争の戦况が悪化してきた1943年(昭和18年)2月ごろから削减されるようになった。
1944年(昭和19年)4月に特急列车が全廃、そして1945年(昭和20年)3月に、全国でも急行列车は东京駅~下関駅间(6月から东京駅~门司駅间)の1往复のみとなってしまう。
[编集] 复兴と特急への置き换え
戦后は石炭・车両・整备の事情が戦时中以上に悪化し、1947年(昭和22年)1月~4月にはついに急行列车が消灭するという事态も迎えている。しかし同年6月ごろからは、日本全国に准急列车とともに増発・新设されていくことになる。戦后はいわゆるローカル线などにも広く设置されていった。しかし准急列车は急行列车に统合される形で1966年(昭和41年)3月に本来の意味での「准急列车」は消灭、残りも1968年(昭和43年)10月に姿を消す。
かつては、首都圏の中央线や関西地区の东海道本线・山阳本线、阪和线といった路线では、急行料金不要の列车として、急行列车ではなく「急行电车」(急电とも)という列车が运行されていた。しかし、同様の种别名称で料金が必要なものとそうでないものが混在するのは、旅客案内上好ましくないことから、1958年(昭和33年)10月に「急行电车」は「快速电车」に改称された。
戦时买収私鉄であった阪和线では「特急电车」・「准急电车」も存在したが、この时に「特急电车」を「快速电车」に、「急行电车」と「准急电车」は「直行电车」(后に「区间快速」)とした。なお、东海道本线・山阳本线での「急电」については新快速の项目も参照されたい。
急行列车の最盛期となる昭和40年代には数多くの列车が设置されたが、その中には非常な长距离を走るもの、运転区间が独特なもの、分割・并结を缲り返すものなど、さまざまな特徴を持った列车も多く存在することとなった。1968年(昭和43年)10月改正(通称「ヨン・サン・トオ」)时の、それらの一例には下记のような列车がある。
- 高千穂
- (东海道本线・山阳本线・日豊本线)东京駅~西鹿児岛駅间运転。日豊本线周りで东京から西鹿児岛までの1574.2kmを、この当时は28时间15分もかけて走破するという、屈指の长距离列车であった。なお、1965年(昭和40年)10月~1980年(昭和55年)10月の寝台特急列车(いわゆるブルートレイン)「富士」も同区间を运行していたが、「急行列车」の中では最长であった。なお、1968年10月のいわゆる「ヨンサントオ改正」より东京駅から门司駅までは鹿児岛本线経由の「雾岛」(のちに「桜岛」と変更)と并结して运転し、またこの当时の东海道本线では唯一の昼行客车列车であった。
- さんべ
- (山阴本线・美祢线・山口线・山阳本线・鹿児岛本线)米子駅~小郡駅・小仓駅・博多駅・熊本駅间运転。この当时は昼行2往复、夜行1往复の计3往复が设置されていたが、下りの「さんべ2号」と上りの「さんべ1号」は运転経路が复雑であった。下りの「さんべ2号」の场合、米子駅を発车して益田駅で山口线経由小郡駅行きの列车をまず分割するが、长门市駅でも山阴本线経由と美祢线・山阳本线経由の列车を分割して、その分割した编成を再び下関駅で并结するという运用を行っていたのである。この后もこの列车は昭和50年代末まで运行され、西村京太郎の作品の影响だろうか、いつしか「再婚列车」と呼ばれるようにもなっていた。
- 陆中
- (东北本线・釜石线・山田线・花轮线・奥羽本线)仙台駅~秋田駅间运転。この列车は当时、仙台駅から秋田駅までを最短経路の北上线を経由する急行「きたかみ」では、同区间は当时4时间半で运行できるものを釜石线、山田线、花轮线を経由し13时间半もかけて运転するという、运転経路も奇妙なものであったが、それ以上に分割・并结の复雑な多层建て列车が多く存在した东北地区を象徴するような列车でもあった(详しくは、はまゆり (列车)の记事を参照)。
特别急行列车が文字通りの「特别」な列车であった时代は、急行列车は庶民の足として日本全国津々浦々で运転されていたが、1964年(昭和39年)10月に新干线が、そして1972年(昭和47年)10月にエル特急が登场すると特急の大衆化が进む。経済の高度成长に伴う鉄道输送の逼迫から列车运行速度の异なる急行形车両(运転最高速度95km/h~110km/h)がダイヤ上のネックとなった。中长距离は特急列车に格上げし、近距离や一部の中距离列车を快速に格下げすることにより、列车速度の単纯化と陈腐化していた急行列车のサービス向上とを図った。こういった施策は自动车の普及したこの时期においては不可避だったとはいえ、特急格上げの际に车内设备の改善はともかく、所要时间短缩が少なかったことから、国鉄の増収手段の一つという批判も强かった。
この时期には、いわゆる新性能电车との置き换えなどにより、临时列车(「はりま」など)や大都市圏(とりわけ首都圏・「かいじ」など)では、所定の车両が揃わない等の理由で、近郊形电车や一般形车両により运行される急行列车もあった。それらの列车は「逊色急行」(そんしょくきゅうこう)と一部の鉄道ファンから揶揄された。これはかつての准急行列车が速度を第一とし、その対価として急行料金に比べ安価な准急行料金を徴したのだが、その准急以下と见られたからである。
急行全盛期の列车编成に欠かすことのできない车両として、特别二等车・二等车(共に后の一等车・グリーン车)、食堂车(ないしは、ビュッフェ)・荷物车が挙げられたことから、ダイヤグラム作成に际して速度を含めて优等车両を备えた列车のことを、略して「优等列车」と呼ぶようになったともいわれている。
こういう経过の中でも存置された急行列车は、次第に特急と普通列车にはさまれた中途半端な存在として利用客が减少していった。
[编集] 衰退から消灭への流れ
1980年代以降の新干线延伸等によって、それまで在来线特急列车で使用されていた特急形车両が余剰になり、时を同じくして急行列车に使用していた车両が老朽化してきた。そのため急行列车は特急列车へ格上げされるものと、快速列车・普通列车へ格下げされるか廃止されるものとに分化し、大きく数を减らしていった。
前者の代表として、当初から间合い时间における普通列车での使用を前提とし、それにあわせた客室构造を持たせながら「特急形车両」とした185系电车を使って、それまでの急行列车を格上げして特急列车とした「踊り子」や、いわゆる「新特急」などが存在する。1982年(昭和57年)11月15日の国鉄ダイヤ改正を皮切りに、JR発足后もその流れは止まらず、ほぼ毎年のように急行列车が廃止され、もはや急行列车の数は指で数えられるほどになっている。
JR化后、急行専用车(急行形车両)として开発された车両は一つもなく、わずかにキハ110形に急行仕様の车両が存在するのみである。ただし、现在は定期列车としては、快速列车运用のみとなっている。
JR化后に制造された车両を使用していた「かすが」が2006年(平成18年)3月18日に廃止された后の定期急行列车は、すべて国鉄时代の车両を改修して使用している。车両自体も、専用とされた急行形车両を使用する定期列车はすでに全廃され、特急形车両・一般形车両を使用している。とりわけ、寝台车両の场合、「急行形车両」という定义付けされているものはJR化される以前に廃车されている。また、以前は特急の间合いなどで、JRの特急形が使用された列车もあった。
急行形车両はその多くが1970年代初头までに制造されたものであるため、既に耐用限界が近づいており、今やJRにおける定期急行列车は风前の灯となっている。『朝日新闻』2006年(平成18年)2月28日号によれば、JR各社のデータとして各急行の乗车率は20~40%と低迷していると报じられ、新车の投入も検讨されていないことから消灭は秒読み段阶に入っているといわれる。既に、JR东海・JR四国・JR九州管内での定期急行列车は消灭している。
全国各地で见られていたグリーン车を连结した急行列车も减少している。上に述べたとおり、长距离昼行急行は必ず编成中にグリーン车があった。最后まで编成中にグリーン车が连结された「たかやま」も1999年(平成11年)12月4日の特急化により前日で廃止された。辛うじて半室グリーン车キロハ28形を连结していた「つやま」も、2003年(平成15年)9月30日をもって编成から外され、グリーン车を连结する昼行急行列车は完全に消灭した。なお、夜行急行列车では「能登」・「きたぐに」にグリーン车が现在でも连结されているが、どちらも特急形车両を使用している。
但し、一部からは、特急よりも安い料金が适用され、普通列车や快速列车より设备が良いということから需要があるといわれる。
単纯な料金の比较については特别急行券ないしは急行券を参照されたい。例えば、自由席では、急行券は201km以上乗车すると一律1,260円となるが、自由席特急券では300kmまでで2,310円(在来线A特急料金)・1,890円(在来线B特急料金)と割高になる。
[编集] JR(国鉄)の急行列车
JR(国鉄)の急行列车は、利用の际に急行券を购入し、急行料金を支払う必要がある。本来、定期乗车券による乗车はできず、急行券のほか普通乗车券または回数乗车券で乗车しなければならないが、従来も列车・区间を限定して乗车を认めている场合があった。
2008年现在では、定期急行列车のうち、深夜帯に津軽海峡线を介し北海道対本州连络を行う「はまなす」を除いて、定期乗车券と急行券の组み合わせでの乗车が认められている。
なお、正确には普通急行列车と特别急行列车(特急)の総称が急行列车であるが、一般に「急行」といえば普通急行列车のことを指す。このほか、かつては准急行列车(准急)も运行されていたが、普通急行列车に统合されて消灭した。
以下、この节において急行列车という场合は、普通急行列车のことを指すものとする。
旧・国鉄において急行列车向けに设计された车両については、急行形车両を参考にされたい。
[编集] JRグループの定期运行の急行列车
2008年3月15日以降、定期的に运行されている急行列车は、以下のとおりである。なお、2008年3月15日に寝台急行「银河」が廃止されたため、以后全车寝台の定期急行列车は运行されていない。
| 列车爱称 | 运行区间 | 昼夜行别 | 使用车种 | その他特色 |
|---|---|---|---|---|
| はまなす | 青森駅 - 札幌駅间 | 夜行 | 客车 一部寝台连结 |
2008年3月15日に寝台急行「银河」が廃止された事により、现存する唯一の客车の定期急行列车となっている。 |
| 能登 | 上野駅 - 金沢駅间 | 电车 全车座席车 |
同一行程で运行する寝台特急列车「北陆」があるが、その补完とされている。 | |
| きたぐに | 大阪駅 - 新舄駅间 | 电车 一部寝台连结 |
新舄行きは新津駅より快速列车として运転。 | |
| つやま | 冈山駅 - 津山駅间 | 昼行 | 気动车 | 2007年7月1日に「みよし」が廃止されたため、现存する唯一の昼行急行列车かつ现存する唯一の気动车急行列车となっている。2009年3月14日のダイヤ改正をもって廃止される。 |
このほか、多客期に运行される临时(多客临)急行列车がある。これは、特急列车を设置しているが、运行している特急列车のものに比べ设备が古いなど车両自体の问题や、特急列车として定期列车と比べてあまりにも遅くなることから、「格下げ」をする形で运行するためである。
[编集] 急行电车
[编集] 概要
昭和初期より、急行列车とは异なる运行种别として、急行电车(きゅうこうでんしゃ)と呼ばれる列车が运行される路线があった。急电(きゅうでん)と略してよばれることもあった。
急行电车は、复々线化に际して近距离を利用する都市近郊客と远距离利用客を分离ないしは、货客分离を意図した场合において、各駅停车(缓行电车)に対し、一部の駅を通过して速达サービスを提供した。
こういった列车には通常、急行料金を徴収せず、车両にも近距离仕様の车両のそれに比べて、特别なサービス设备のないものが用いられるが、駅间が长くなるためサニタリー设备を持つ车両が提供される场合もある。また、座席配分も近距离のそれに用いられるロングシートではなく、セミクロスシート等が用いられる场合もある。
1950年代以降、国鉄では顺次「快速」へと呼称が変更され、私鉄では「急行」について特に「列车」「电车」の区别なく用いられている。
[编集] 歴史
日本の鉄道では、高速度电気鉄道(路面电车などの軽轨道に対し、本格的な鉄道设备の上を电车によって高速运転する鉄道)が普及し始めた顷、机関车と无动力の客车によって运転される动力集中方式の列车と、动力分散方式を采る电车は、「単に同じレールの上を走りうる、まったく别の性格の乗り物」と定义されていたことによる。
旧国鉄でもかつては、电车で运転される急行のことをこの呼称で呼び、急行料金を徴収する急行列车とは别の存在として位置づけていた。また、阪和电気鉄道を母体とし戦时买収により国鉄が所有した阪和线では、料金不要の特急电车・准急电车も存在した。
しかし、1958年(昭和33年)に151系电车、153系电车が登场し、急行料金を定める特急列车や急行列车に投入されたのにあわせ、急行料金の不要な列车は顺次「快速」へと呼称を変更した。このため歴史的には、「特急电车・急行电车」の语について、153系以降のような「电车を使用した急行列车」とは异概念である场合がある。
[编集] 私鉄での事例
私鉄では1906年(明治39年)の鉄道国有法によって、国鉄のような动力集中方式で长距离列车を运行する路线を有する会社は东武鉄道・南海鉄道(これらも后には分散方式へ移行する)などを除いてほぼ皆无となったことや、现在存在する私鉄はその后アメリカにおけるインターアーバンを摸した高速度电気鉄道として出発した会社がほとんどであるため、このような区别にとらわれず、「急行」を设置した。そのため、必ずしも急行列车が标准的な速达列车とならない场合もある。
ただし、东京と群马県・栃木県とを结んできた东武本线系统では、国鉄の制度に准じた急行券を要する伊势崎线急行「りょうもう」や日光线の急行とは别に料金不要の「急行」の名称を使用していた。しかし1951年には运転系统の改正により、料金不要の「急行」を名称上廃止し、「快速」・「准快速」・(停车駅が少ない)「准急」などと呼称変更したため、无料かつ途中停车駅が比较的精选されていない「准急」と座席指定制かつ速达性がある「急行」の间に位置する列车种别として存在するものもあった。これらについては、2006年3月のダイヤ改正までにそれまでの「急行」は「特急」に格上げされたため、本线においても「急行」は再び料金不要となった。东武に関しては「スペーシア」の歴史ないしは「りょうもう」の歴史も参照されたい。なお、快速列车が急行列车より停车駅が少ない会社もあるが、これについては列车种别#日本のその他の鉄道会社の列车种别・快速列车の项も参照されたい。
また、以上のような経纬から、都市近郊输送手段としての性格の薄い一部の会社では、急行列车に急行料金を设置している场合がある。また、かつての富士急行・长野电鉄・岛原鉄道など観光地の路线などでは、旧国鉄からの乗り入れを行う関系で别途急行料金を徴収する事例もままみられた。
[编集] 私鉄の急行列车
现在の私鉄において「急行」は、料金不要列车のうち速达运転を行うものの种别の一つとして用いられることが多く、JRにおける「快速」と同义のものとして设置されていると考えることができる。最初にそれを导入したのは京阪电気鉄道の京阪本线で、1914年(大正3年)のことである。同社はその后1916年(大正5年)になると、ノンストップ运転であった従来の急行を「最急行」に改称し、「急行」を主要駅停车の列车としている。→(京阪特急#前身も参照されたい。
急行料金が必要な急行列车を运行している私鉄も存在する。大手私鉄では、东武鉄道の日光线系统各线に唯一国鉄~JRと同様の有料急行列车が存在したが、2006年(平成18年)3月18日の改正で特急に格上げされ、同时に「急行」は料金不要列车の种别となった。以后は、秋田内陆縦贯鉄道、秩父鉄道、大井川铁道でのみ运転されている。
昨今では千鸟停车による停车駅分散や、乗客数ごとに駅の停车列车本数に格差を设ける関系もあってか、快速急行や区间急行、通勤急行など、「急行」を元とした种别も多様化する倾向がある。
広岛高速交通広岛新交通1号线(アストラムライン)では、1999年 - 2004年に新交通システムとしては特笔される急行列车が运転されていた。広岛高速交通広岛新交通1号线#急行列车に详述。
[编集] 私鉄の有料急行列车
中小私鉄で运行されている一部の急行列车は、JR同様急行券が必要となる。
会社名を50音顺で记す
[编集] 2008年现在运行されている列车
| 运行会社 | 爱称 | 运行区间 | 备考 |
|---|---|---|---|
| 秋田内陆縦贯鉄道 | もりよし | 角馆駅~鹰巣駅 | |
| 秩父鉄道 | 秩父路 | 羽生駅・熊谷駅~三峰口駅 | |
| 大井川铁道 | SL急行 | 新金谷駅~千头駅 | |
[编集] かつて运行されていた列车
| 运行会社 | 爱称 | 运行区间 | 备考 |
|---|---|---|---|
| 东武鉄道 | りょうもう | 浅草駅~赤城駅、伊势崎駅、葛生駅 | 特急に格上げ |
| しもつけ | 浅草駅~东武宇都宫駅 | 特急に格上げ。详细はスペーシアを参照のこと。 | |
| ゆのさと | 浅草駅~鬼怒川温泉駅、新藤原駅 | ||
| きりふり | 浅草駅~新栃木駅、东武日光駅 | ||
| 东武鉄道・野岩鉄道・会津鉄道 | 南会津 | 浅草駅~会津田岛駅 | |
| のと鉄道 | 能登路 | (金沢駅~)七尾駅~轮岛駅・珠洲駅 | JR线直通 |
| のと恋路号 | 七尾駅~珠洲駅 | 自社线内のみ运行。 | |
[编集] 私鉄の无料急行列车
乗车券以外に特に料金を徴収しない急行を运行する路线は以下の通り。なお、各路线の列车についての详细な説明は、各路线记事を参照のこと。
「( )」(カッコ)つき路线はかつて运行されていた路线
| 関东地方 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 运行会社 | 运行路线 | 派生种别 | 备考 | |
| 通过駅あり | 各駅に停车 | |||
| 小田急电鉄 | 小田原线 ・江ノ岛线 ・多摩线 |
多摩急行 快速急行 |
||
| 箱根登山鉄道 | (鉄道线) | 小田急线直通列车のみ、2008年3月のダイヤ改正で廃止 | ||
| 京王电鉄 | 京王线 高尾线 相模原线 |
新线 竞马场线 动物园线 |
都営新宿线とも直通して运行 | |
| 井の头线 | ||||
| 京浜急行电鉄 (京急) |
本线 | 空港线 | 本线は泉岳寺駅~京急蒲田駅间のみ | |
| 京成电鉄 | 押上线 | 本线 | 本线は青砥駅~京成高砂駅间のみ | |
| 北総鉄道 | 北総线 | |||
| 相模鉄道 (相鉄) |
本线 | |||
| 西武鉄道 | 池袋线 | 狭山线(临时列车のみ) 秩父线(临时列车のみ) |
通勤急行 | |
| 新宿线 | 西武园线 拝岛线 多摩湖线 |
通勤急行 | ||
| 东京急行电鉄 (东急) 横浜高速鉄道 |
东横线 みなとみらい线 |
|||
| 田园都市线 | ||||
| 目黒线 | ||||
| 大井町线 | ||||
| 东武鉄道 | 伊势崎线 | 日光线 | 区间急行 | |
| 东上线 | 快速急行 通勤急行 |
|||
| 东海地方 | ||||
| 运行会社 | 运行路线 | 派生种别 | 备考 | |
| 通过駅あり | 各駅に停车 | |||
| 名古屋鉄道 (名鉄) |
名古屋本线 犬山线 広见线 各务原线 常滑线 河和线 津岛线 西尾线 |
豊川线 空港线 知多新线 尾西线 |
快速急行 | 准急 |
| 瀬戸线 | ||||
| 北陆地方 | ||||
| 运行会社 | 运行路线 | 派生种别 | 备考 | |
| 通过駅あり | 各駅に停车 | |||
| 富山地方鉄道 | 本线 立山线 |
快速急行 | ||
| 福井鉄道 | 福武线 | |||
| 関西地方 | ||||
| 运行会社 | 运行路线 | 派生种别 | 备考 | |
| 通过駅あり | 各駅に停车 | |||
| 近畿日本鉄道 (近鉄) |
大阪线 山田线 |
鸟羽线 | 快速急行 区间快速(区间快速急行) |
|
| 奈良线 | 难波线 | 快速急行 | ||
| 京都线 橿原线 |
天理线 | |||
| 名古屋线 山田线 |
铃鹿线 鸟羽线 |
|||
| 南大阪线 | 吉野线 长野线 |
区间急行 | ||
| 京阪电気鉄道 | 京阪本线 | 中之岛线 鸭东线 |
通勤快急 快速急行 深夜急行 区间急行 |
派生种别ではない急行そのものは早朝と深夜のみの运転 |
| 阪神电気鉄道 | 本线 | 区间急行 | ||