东京大学
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| 东京大学 | |
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东京大学大讲堂(安田讲堂)
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| 大学设置 | 1877年 |
| 创立 | 1684年 |
| 学校种别 | 国立 |
| 设置者 | 国立大学法人东京大学 |
| 本部所在地 | 东京都文京区本郷七丁目3番1号 |
| キャンパス | 本郷(东京都文京区) 驹场(东京都目黒区) 柏(千叶県柏市) 白金(东京都港区) 中野(东京都中野区) |
| 学部 | 法学部 医学部 工学部 文学部 理学部 农学部 経済学部 教养学部 教育学部 薬学部 |
| 研究科 | 人文社会系研究科 教育学研究科 法学政治学研究科 経済学研究科 総合文化研究科 理学系研究科 工学系研究科 农学生命科学研究科 医学系研究科 薬学系研究科 数理科学研究科 新领域创成科学研究科 情报理工学系研究科 情报学环・学际情报学府 公共政策大学院 |
| ウェブサイト | 东京大学公式サイト |
东京大学(とうきょうだいがく、英称:英语: The University of Tokyo)は、东京都文京区本郷七丁目3番1号に本部を置く日本の国立大学である。1877年に设置された。大学の略称は东大(とうだい)、UT。
目次 |
概観
大学全体
东京大学は、日本唯一の近代的な大学として设立され、后に帝国大学と改称した。その后、同大学卒の人材を教授阵に迎えて、各地に官立(国立)大学が设置されていき、同大学も东京帝国大学と改称した。戦后、旧称に复帰して东京大学となった。
东京大学に対する外部(诸外国からの)からの客観的评価としては、公式サイトに掲载されているThe Times Higher Education Supplement (THES) による大学ランキングでは2007年に世界17位[1]に、2006年夏にNewsweekによって発表された大学ランキングでは世界16位[2]にランクされた。评価机関による顺位は、概ね二桁台を维持しており、日本国内1位、及び东洋1位であるという点はいずれも同じである[3]。
宪章
东京大学では特に创立时に定められた建学の精神はない。しかし、国立大学法人化に伴い、现在は「东京大学宪章」というものが定められている。
教育および研究
东京大学は、キャンパスによって教育内容・研究内容を大きく异にしている。教育内容の面からは、主に教养课程を実施する驹场キャンパス、専门教育を行う本郷キャンパス、大学院课程のみの教育を行う柏キャンパスに分けられる。また研究内容の面からは、伝统的な学问领域の研究を行う本郷キャンパス、学际的な研究を行う驹场キャンパス、新しい学问领域の研究を行う柏キャンパスに分けられる。こうしたキャンパス分立体制は、学部によってキャンパスを分けることの多い日本の大学では珍しい形态である。さらに现在でも入学时の教养课程を分化して设置している大学も日本では数が少なく、日本国内では珍しい存在となっている。
リベラル・アーツ教育を重视しているのが东京大学の教育の大きな特徴である。后述の特色ある大学教育支持プログラムは各大学1件ずつしか応募できないが、そのプログラムに东京大学が「教养教育と大学院先端研究との创造的连携の推进」を応募したことも、そのことを表している。教育内容の详细は东京大学大学院総合文化研究科・教养学部を参照。
现在においては、东京大学のより一层の国际化推进を図り、総长直辖の本部组织である国际连携本部を中心とした国际化推进计画が进行中である。
なお、最近では「知の开放」プログラムの一环として、一般向けの讲义を中心に讲义のビデオをポッドキャスティングで配信している。
东京大学からは今までに5人のノーベル赏受赏者を辈出している(详细は日本人のノーベル赏受赏者を参照)。
学风および特色
东京大学は自由な学风を特色としている。この学风は东大安田讲堂事件に代表されるような学生运动にも现れている。大学の自治が问题となった东大ポポロ事件も起きている。
国立大学法人になって以降、积极的な改革を见せている。マッキンゼーのコンサルティングによる组织改革、ブランド力向上の施策、学内にレストランなど外部テナントの诱致を进めてきた。
沿革
略歴
东京大学の起源は、1684年(贞享元年)に江戸幕府が设立した天文方と、1858年(安政5年)に江戸の医者の私财によって设立された神田お玉ヶ池种痘所まで遡る。1797年(寛政9年)に创设された昌平坂学问所(昌平黉)も东京大学の源流となっている(1871年に廃止されたため组织的に直接のつながりはない)。天文方はその后、1857年(安政4年)に蕃书调所、1862年(文久2年)に洋书调所、1863年(文久3年)に开成所と変迁していった。また、种痘所も1860年(万延元年)に江戸幕府へ移管された后、1861年(文久元年)に西洋医学所、1863年(文久3年)に医学所と変迁していった。
これら3つの教育机関は1868年(明治元年)に、开成学校、医学校、昌平学校となった。それぞれ洋学、西洋医学、国学・汉学の教育机関であったが、1869年(明治2年)にはこれらを统合するため、昌平学校が大学校(本校)となり、开成学校および医学校が大学校分局とされた。同年のうちに大学校、开成学校、医学校は大学、大学南校、大学东校と改称されたが、1870年(明治3年)には学制改革により大学が闭锁されてしまう。1871年(明治4年)に大学は廃止され、大学南校、大学东校は南校、东校と改称された。両校は1874年(明治7年)にそれぞれ东京开成学校、东京医学校と改称された。1877年(明治10年)4月12日に东京开成学校と东京医学校が合并して东京大学となり、日本で初めての近代的な大学が设立された(なお、4月12日は现在「东京大学记念日」となっており、この日に入学式が行われている)。
本稿ではこの経纬から创立は天文方の设置年である1684年、设立は东京大学が诞生した1877年としている(なお、日本最古の大学については大学寮参照)。东京大学设立后の沿革については以下の年表を、歴代の総长については东京大学の人物一覧#歴代総长を参照のこと。
年表
- 1877年4月12日 东京开成学校と东京医学校が合并し「东京大学」设立(旧东京开成学校を改组して法・理・文の3学部、旧东京医学校を改组して医学部を设置、东京大学予备门を付属)
- 1878年12月 文部省、东京大学に学位(学士号)の授与権を与える
- 1879年4月 东京大学の授与する学士号を法学士・理学士・文学士・医学士・制薬士とする
- 1880年8月 法理文の3学部に学士研究科を设置(大学院の前身)
- 1881年6月 东京大学职制を制定(东京大学に総理を置き、4学部と予备门を统括)
- 1884年10月 东京大学副総理を置く
- 1885年9月 东京法学校を法学部に统合。工芸学部设置(理学部より分割)
- 1886年3月 工部大学校を统合し、帝国大学令により「帝国大学」と改称(法・医・工・文・理の5分科大学および大学院を设置)
- 1887年7月 分科大学卒业生に授与する学士号は称号とし法学士・医学士・薬学士・工学士・文学士・理学士とする
- 1888年11月 东京天文台を设置
- 1890年6月 东京农林学校を统合し、农科大学を设置
- 1897年6月 京都帝国大学の设置に伴い「东京帝国大学」と改称
- 1916年4月 伝染病研究所を设置。
- 1919年2月 分科大学制を廃し学部を设置。経済学部を新设
- 1921年4月 学年を4月1日から翌年3月31日までとする
- 1921年7月 航空研究所を设置
- 1925年11月13日 地震研究所を设置
- 1939年1月 平贺粛学により、経済学部が壊灭状态となる
- 1941年11月 东洋文化研究所を设置
- 1942年3月 千叶県千叶市に第二工学部を设置。本郷の工学部は第一工学部に改称
- 1944年1月 南方自然科学研究所を设置
- 1945年1月 辐射线化学研究所を设置
- 1946年 南方自然科学研究所を改组して立地自然科学研究所を设置
- 1946年3月 航空研究所を改组して理工学研究所を设置
- 1946年8月 社会科学研究所を设置
- 1947年9月 「东京大学」に改称
- 1949年5月 旧制第一高等学校・旧制东京高等学校高等科を并合し、新制の东京大学となる(法・医・工・文・理・农・経済・教养・教育の9学部)。第二工学部を廃止し生産技术研究所へ改组。新闻研究所を设置
- 1950年 辐射线化学研究所を廃止
- 1950年5月 文学部附属の史料编纂所を东京大学附置研究所とする
- 1951年3月 教育学部附属中学校・高等学校を设置
- 1952年 立地自然科学研究所を廃止
- 1953年3月 新制の大学院を设置(人文科学・社会科学・数物系・化学系・生物系の5研究科)
- 1953年7月 応用微生物学研究所、宇宙线観测所(全国共同利用研究所)を设置
- 1955年3月 全国共同利用研究所として原子核研究所を设置
- 1957年4月 全国共同利用研究所として物性研究所を设置
- 1958年4月 薬学部设置(以后の学部新设はない)。理工学研究所を改组し航空研究所を设置
- 1962年4月 前期课程の4科类(文科一类・二类、理科一类・二类)を现在の6科类に再编。全国共同利用研究所として海洋研究所を设置
- 1963年4月 大学院人文科学研究科・社会科学研究科を改组し、人文科学・教育学・法学政治学・社会学・経済学の5研究科を设置
- 1964年4月 航空研究所を改组し全国共同利用研究所として宇宙航空研究所を设置
- 1965年4月 大学院数物系研究科・化学系研究科・生物系研究科を改组し、理学系・工学系・农学系・医学系・薬学系の5研究科を设置
- 1967年6月 伝染病研究所を改组して医科学研究所を设置
- 1969年2月 东大纷争の余波で入学试験见送り
- 1976年5月 宇宙线観测所を宇宙线研究所に改组
- 1981年4月 宇宙航空研究所を廃止(→宇宙科学研究所)
- 1983年4月 大学院総合文化研究科を设置
- 1987年5月 先端科学技术研究センターを设置
- 1988年7月 东京天文台を廃止(→国立天文台)
- 1991年4月 大学院重点化を开始
- 1992年4月 大学院数理科学研究科を设置
- 1993年4月 応用微生物学研究所を分子细胞生物学研究所に改组
- 1994年4月 大学院农学系研究科を大学院农学生命科学研究科に改称
- 1994年6月 地震研究所が全国共同利用研究所となる
- 1995年4月 大学院社会学研究科を廃止し、人文科学研究科を人文社会系研究科に改组
- 1997年4月 大学院重点化が完了。原子核研究所を廃止(→高エネルギー加速器研究机构)
- 1998年4月 大学院新领域创成科学研究科を设置
- 2000年4月 大学院情报学环・学际情报学府を设置。教育学部附属中学校・高等学校が中等教育学校へ移行
- 2001年4月 大学院情报理工学系研究科を设置
- 2003年3月 东京大学宪章を制定
- 2004年4月 国立大学法人法の规定により「国立大学法人东京大学」となる。大学院法学政治学研究科法曹养成専攻(法科大学院)、大学院公共政策学连携研究部・公共政策学教育部(公共政策大学院)を设置。先端科学技术研究センターを附置研究所へ転换。特别栄誉教授制度を创设
- 2005年4月 全学的な海外学术交流拠点として北京代表所を设置
基础データ
所在地
その他、创立以来日本全国各地に研究施设、実习施设、课外活动施设を设けている。
象徴
スクールカラー
东京大学のスクールカラーは淡青(ライトブルー)である。これは东京大学ボート部が京都大学とボート対抗戦を行った际、乗るボートをくじ引きで决めたところ、京都大学は浓青、东京大学は淡青となったことに由来する。
また、各学部ごとのスクールカラーも存在し、例えば法学部は緑、医学部は赤、理学部は橙色、农学部は紫、などとなっている。
シンボルマーク
东京大学のシンボルマークは、黄色と青(淡青)の2枚の银杏の叶を组み合わせたもので商标として登録(商标登録第4871651号)されている。このシンボルマークは「东大マーク」と呼称されているが、商标は図案のみの登録で「东大マーク」という名称は商标登録されていない。
この「东大マーク」は国立大学法人化された时に制定されたが、东京大学にはそれ以前から様々なところで使用されてきた银杏のマークがあり(银杏の叶の形状は「东大マーク」と类似している、中央に「大学」と书かれている)、「东大マーク(旧)」と呼ばれている。「东大マーク(旧)」は1948年に「银杏バッジ」として制定されたものであり、正式な校章ではない。「东大マーク(旧)」も商标登録(第4868079号、図案のみ)されている。
これらシンボルマークのほかに「东京大学」(第4845999号、第4868078号)、「东大」(第4846000号、第4853892号、第4872824号、第4872825号、第4872826号、第4872827号、第4878617号、第4901389号、第4903509号、第4903510号、第4903511号、第4928970号、第4928971号)、「UNIVERSITY OF TOKYO」(第4871650号)も国立大学法人东京大学によって商标登録されている。
「东大マーク」および「东大マーク(旧)」の図柄は公式サイト内の「东大マーク・校歌」に掲载されている。
なお、驹场Iキャンパスでよく见られる3枚の银杏の叶を组み合わせたマークは、大学院総合文化研究科・教养学部のシンボルマークである。
校歌・応援歌
东京大学には校歌が存在しないが、応援歌『ただ一つ』と运动会歌『大空と』が「东京大学の歌」として公认されている。
2004年6月に东京大学の校歌についての検讨会が设置され、『大空と』を暂定的に校歌とする提案がなされた。しかし、『ただ一つ』の方が亲しみがあるという意见が多く寄せられたため、『ただ一つ』と『大空と』を校歌ではなく「东京大学の歌」と位置づけた。
これに加えて新しい「东京大学の歌」の歌词を公募したが、入选作品はなく、今后の対応は2005年4月现在検讨中である。
东京大学で现在も歌われている歌には以下のようなものが存在する。
- 応援歌『ただ一つ』
- 校歌に代わって、式典での斉唱や运动部の试合でのエール交换に使用されている。曲名の表记は、大学当局は『ただ一つ』、応援部などの运动部は『ただひとつ』とすることが多い。
- 运动会歌『大空と』
- 北原白秋作词、山田耕筰作曲。1932年に诞生。制作当时は校歌としての制定を意図していたが、手続上の混乱で校歌とはならなかった経纬がある。北原は格下げともいえるこの処遇に不満を抱いていたという。
- 学生歌『足音を高めよ』
- 上の2曲とならんで东京大学の関系者には有名。
- 応援歌『闘魂は』
- 第一応援歌に相当する。
- 第一高等学校寮歌『呜呼玉杯に花うけて(第十二回纪念祭东寮寮歌)』
- 「少年倶楽部」に连载された佐藤红緑の少年小説 「あゝ玉杯に花うけて」で広く人口に脍炙した。
楽谱・歌词などは公式サイト内の「东大マーク・校歌」に掲载されている。また、これらの歌が収録されたCDも东大生协で贩売されている。
入学状况
2008年度の入学者3,100人中、出身高校所在地别入学者比率は、関东地方が48.1%と最も多く(东京都29.8%)、以下、中部地方14.9%、近畿地方14.9%、九州・冲縄地方8.7%、中国地方5.0%、四国地方3.1%、东北地方3.0%、北海道2.0%となっている [4](帝国大学#入学状况も参照)。
教育および研究
组织
学部
东京大学の入学者は全员が6つの科类に分かれて教养学部に所属し、2年间の前期课程を履修する。その后、教养学部も含めた10学部に分かれて2年间(ただし医学部医学科と农学部獣医学课程、薬学部薬学科は4年间)の后期课程を履修する。前期课程から后期课程への进学时に行われる进学振分けについてはこちらを参照。
なお、后期课程(3年次)への编入学、学士入学を行っている学部もある。
法学部
法学部は1951年に従来の学科が类に改称された。类によって必修科目に多少の相违が见られるが、他学部の学科ほどの差はない。进学振分けは类を区别せずに行い、3年に进学する前に各自の希望で类に分かれる。
法学部自治会の通称を元に法学部のことを緑会と呼ぶことがある。ちなみに法学部自治会の通称は、东京大学法学部のスクールカラーが緑であることに由来している。
- 第1类(私法コース)
- 第2类(公法コース)
- 第3类(政治コース)
医学部
医学部は1877年の东京大学设立と同时に医学科、制薬学科(1887年に薬学科に改称された后、1958年に薬学部として独立)が设置され、1953年に卫生看护学科が设置された。卫生看护学科は看护妇养成を目的としており、入学者を女子に限定していた(卫生看护学科は前期课程とは别枠で入学者を募集していた)が、1965年に保健学科と改称し、健康科学の教育・研究を主体とする学科になった。さらに1992年には、健康科学・看护学科と改称された。
1962年に前期课程に理科三类がおかれるまでは、医学科は理科二类または理科一类の学生の中から选抜试験を行って学生を受け入れており、上で述べたように卫生看护学科も别枠募集であったため、通常の进学振分けを行う学科は薬学科のみという、东大内では少し変わった学部であった。なお、现在はすべての学科で通常の进学振分けを行っている。
医学科では、3-6年生のことをそれぞれM1-M4と呼び(他学科ではM1-M3は修士课程学生を表す)、医学科に内定した2年生をM0と呼ぶ。また、鉄门系サークル(鉄门倶楽部参照)では理科三类1年生、2年生をそれぞれC1、C2と呼んでいる。
また、基础医学研究者を早期养成するために、医学科生を対象に、M2あるいはM3から大学院医学系研究科博士课程に飞び入学できる「Ph.D.-M.D.コース」が设けられている。
- 医学科(6年制)
- 健康科学・看护学科
- 健康科学コース
- 看护学コース
工学部
理学部より分割された工芸学部と工部省所辖の工部大学校を统合して1886年に工科大学が设置された。当时は土木工学科、造家学科、机械工学科、造船学科、电気工学科、采鉱及冶金学科、応用化学科の7学科で构成されていた。その后、学科新设・改称を経て、1949年に新制东京大学工学部となった时は、土木工学科(现・社会基盘学科)、建筑学科、机械工学科、精密工学科、船舶工学科(现・システム创成学科)、电気工学科、计测工学科(现・物理工学科・计数工学科)、石油工学科(1951年廃止)、鉱山学科(现・システム创成学科)、冶金学科(现・マテリアル工学科)、応用化学科(现・応用化学科・化学システム工学科・化学生命工学科)の11学科で构成されていた。その后さらなる学科统合・新设・改称を経て、现在は以下の17学科となっている。
工学部は科学技术の进歩と産业界からの要请に合わせて学科组织の改编を行ってきたため、他学部に比して学科の変迁が激しい。近年では、社会基盘学科、マテリアル工学科、システム创成学科といった分野横断的な学科が新设されている。
- 社会基盘学科
- 设计・技术戦略コース(社会基盘学A)
- 政策・计画コース(社会基盘学B)
- 国际プロジェクトコース(社会基盘学C)
- 建筑学科
- 都市工学科
- 都市环境工学コース
- 都市计画コース
- 机械工学科(机械工学A)
- 産业机械工学科(机械工学A)
- 机械情报工学科(机械工学B)
- 精密工学科
- 航空宇宙工学科
- 航空宇宙システム学コース
- 航空宇宙推进学コース
- 电気电子工学科(电子・情报系B)
- 电子情报工学科(电子・情报系A)
- 物理工学科
- 计数工学科
- 数理情报工学コース
- システム情报工学コース
- マテリアル工学科
- バイオマテリアルコース(マテリアル工学A)
- マテリアル环境・基盘コース(マテリアル工学B)
- 情报・ナノマテリアルコース(マテリアル工学C)
- 応用化学科
- 化学システム工学科
- 化学生命工学科
- システム创成学科
- 环境・エネルギーシステム(E&E)コース(システム创成A)
- シミュレーション・数理社会デザイン(SIM)コース(システム创成B)
- 知能社会システム(PSI)コース(システム创成C)
机械系3学科
机械工学科、産业机械工学科、机械情报工学科の3学科は合わせて「机械系3学科」と呼ばれている。机械工学科は1886年の工科大学设置と同时に设置され、産业机械工学科は1960年に设置された。また、机械情报工学科は1961年に设置された舶用机械工学科が前身であり、1991年に现学科名となった。
机械系3学科は机械工学A(设计・産业・环境)および机械工学B(情报・制御)の2コースに分かれており、机械工学科、産业机械工学科の2学科が前者に、机械情报工学科が后者に対応する。进学振分けもこのコースごとに行われ、机械工学Aは后期课程进学时に2学科のいずれかに所属することになる。
これら3学科の教育カリキュラムは共通している部分も多く、特に3年生前半までは共通の授业科目となっている。
精密工学科
工科大学设置の翌年、1887年に设置された造兵学科が精密工学科の前身である。造兵学科は1946年に精密加工学科、1947年に精密工学科と改称された。さらに1963年に精密机械工学科と改称された后、2000年のシステム创成学科设置に伴い廃止されたが、2006年度入学者より再び设置された。精密工学科も后述のシステム创成学科と同様に、プロジェクト演习がカリキュラムに组み込まれている。
电子・情报系学科
电気电子工学科、电子情报工学科の2学科は合わせて「电子・情报系学科」と呼ばれており、电子・情报系A(情报系)、电子・情报系B(物理系)の2コースに分かれて教育を行っている。进学振分けもこのコースごとに行われている。
1886年の工科大学设置と同时に电気工学科が设置され、1958年に电子工学科が设置された。2008年4月の工学系研究科・新领域创成科学研究科の専攻再编に合わせて、これら2学科は统合され、电気电子工学科となった。また、电子情报工学科は1991年に设置された。
なお、2008年以前は「电子・情报系3学科」または「电気系3学科」と総称されていた。电子・情报系3学科は电子・情报系A(エネルギー・グローバルシステム)、电子・情报系B(情报・通信・メディア)および电子・情报系C(ナノ物理・情报エレクトロニクス)の3コースに分かれており、それぞれが电気工学科、电子情报工学科および电子工学科に対応していた。进学振分けもこのコースごとに行われていた。
これら2学科の教育カリキュラムも机械系と同様、共通している部分も多く、特に3年生前半までは共通の授业科目となっている。
応用物理系学科
物理工学科、计数工学科の2学科は合わせて「応用物理(学)部门」と呼ばれており、物理学・数学を基础とした工学分野の教育研究が行われている。进学振分けは学科ごとに行われ、计数工学科の2コースへの振分けはその后3年次进学までに行われる。
両学科の前身は、1949年の新制大学设立时に设置された计测工学科である(旧制大学时代には、1945年に计测工学科、1946年に応用数学科が设置されていた)。计测工学科は1951年に、物理工学コース、计测工学コースおよび数理工学コースの3コースからなる応用物理学科となったが、1962年には物理工学科および计数工学科に改组された。このうち计数工学科には数理工学コース、计测工学コースの2コースが设置されたが、2001年の情报理工学系研究科设置に合わせて、それぞれ数理情报工学コース、システム情报工学コースに改称された。
システム创成学科
システム创成学科は、精密机械工学科(2006年より精密工学科として再设置)、船舶海洋工学科(旧・船舶工学科)、システム量子工学科(旧・原子力工学科)・地球システム工学科(旧・资源开発工学科←鉱山学科)の4学科を廃止して、2000年に设置された学科である。旧学科の教员が讲义・演习を担当するが、単に4学科で行われていた学问を1つの学科で扱っているわけではなく、工学全体を统合した教育内容になっている。知能社会システムコースのように文系领域にまたがった教育を行っているコースも设置されている。学科设置当初は、
- A:环境・エネルギーシステム(E&E)、B:生体情报システム(BIS)、C:シミュレーション(SIM)、D:知能社会システム(PSI)
の4コースで构成されていたが、2006年度进学者より
- A:环境・エネルギーシステム(E&E)、B:シミュレーション・デザイン(SIM)、C:知能社会システム(PSI)、D:知能设计(PID)、E:知能メカトロニクス(PIM)、F:数理社会デザイン(DIS)
の6コース制に変更された。2008年度进学者からは现在の3コース制となっている。
システム创成学科の教育の特徴としては「プロジェクト」が挙げられる。プロジェクトは2年生后半から4年生までの各学期に开