毎日放送
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| 种类 | 株式会社 |
|---|---|
| 略称 | MBS |
| 本社所在地 | 〒530-8304 大阪府大阪市北区茶屋町17番1号 |
| 电话番号 | 06-6359-1123 |
| 设立 | 1950年(昭和25年)12月27日 (新日本放送株式会社として设立) |
| 业种 | 情报・通信业 |
| 事业内容 | 一般放送事业など |
| 代表者 | 代表取缔役会长 山本雅弘 代表取缔役社长 河内一友 |
| 资本金 | 40亿7249万円 |
| 売上高 | 695.13亿円(2007年3月期実绩) |
| 従业员数 | 648人(2006年9月30日现在) |
| 决算期 | 毎年3月 |
| 主要株主 | ソニー・放送メディア 4.45% りそな银行 4.43% 三菱东京UFJ银行 4.43% |
| 主要子会社 | 放送映画制作所 100% MBS企画 100% スペースビジョンネットワーク(GAORA)43.1% |
| 関系する人物 | 高桥信三、斎藤守庆 |
| 外部リンク | http://www.mbs.jp/ |
| 特记事项:1958年6月1日に新日本放送株式会社から商号変更。 | |
株式会社 毎日放送(まいにちほうそう)は、1951年に开局し新日本放送として设立された近畿地方の中波(AMラジオ)・テレビジョン放送事业者である。略称 MBS(エムビーエス)。英称 Mainichi Broadcasting System, Inc.。放送対象地域は近畿広域圏。
新闻などのラテ栏では、テレビ放送の场合「毎日テレビ」または「毎日放送」と表记されるケースが専らで、「MBSテレビ」表记は何故かあまり见かけないが、スポーツ报知(大阪本社版)では2007年からラジオのみ「MBS」の表记で掲载されている。「MBS毎日放送」とも表记される事もある。
映画などの制作委员会のクレジット表记では、「毎日放送」と「MBS」の両方が使用されている。明确な使い分け基准はみられないが、蛙男商会の作品ではほぼ「MBS」と表记されるなどといった倾向はある。
なお、不动産担保证券や廃局になったアメリカ合衆国のラジオ局のw:en:Mutual Broadcasting Systemは、略称は同じだが无関系である。
- ラジオ放送についてはMBSラジオを参照。
目次 |
[编集] 本社・支社・支局所在地
| 毎日放送のデータ | |
|---|---|
| 英名 | Mainichi Broadcasting System, lnc. |
| テレビ放送対象地域 | |
| ラジオ放送対象地域 | 近畿広域圏 |
| ニュース系列 | JNN |
| 番组供给系列 | TBSネットワーク |
| ラジオ系列 | JRN・NRN系 |
| 略称 | MBS |
| テレビ爱称 | 毎日放送 MBS 毎日テレビ MBSテレビ |
| ラジオ爱称 | 毎日放送ラジオ MBSラジオ |
| テレビ呼出符号 | JOOR-(D)TV |
| ラジオ呼出符号 | JOOR |
| 呼出名称 | テレビジョン放送 まいにちほうそう (デジタル)テレビジョン ラジオ放送 まいにちほうそう |
| テレビ开局日 | 1959年3月1日 |
| ラジオ开局日 | 1951年9月1日 |
| 本社 |
〒530-8304
大阪府
大阪市北区茶屋町17番1号
|
| 演奏所 | 本社と同じ |
| テレビ亲局 | 大阪(生驹山) 4ch |
| ラジオ亲局 / 出力 | 大阪(高石) 1179kHz / 50kW |
| ガイドチャンネル | 4ch |
| リモコンキーID | 4 |
| デジタル亲局 | 大阪(生驹山) 16ch |
| 主なアナログ中継局 | 中継局参照 |
| 主なデジタル中継局 | 姫路 16ch |
| 主なラジオ中継局 | 京都 1179kHz |
| 公式サイト | 公式サイト |
|
特记事项 : |
|
- 本社
- 邮便物の差し出しは邮便番号のみで届く(専用邮便番号となっている)。
- 一部の番组には「番组専用邮便番号」が存在する。下记にその例を示す。
- 『MBSタイガースナイター』(ラジオ番组)→〒539-0007
- 『ちちんぷいぷい』→〒539-0028
- テレビのメールアドレスは「(番组名)+@mbs.jp」。
- ラジオのメールアドレスは「(番组名)+@mbs1179.com」。
- 〒554-0031 大阪府大阪市此花区桜岛二丁目1番33号 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン内
- 〒565-0815 大阪府吹田市千里丘北1番2号
- 东京支社
- 〒107-6328 东京都港区赤坂五丁目3番1号 赤坂Bizタワー28阶
- 2008年2月12日より、パレスサイドビルディング(东京都千代田区一ツ桥一丁目1番1号・毎日新闻社东京本社内)から赤坂TBS旧局舎再开発计画である复合施设『赤坂サカス』の中核をなす高层ビル「赤坂Bizタワー」に移転。生放送対応のラジオスタジオを设置しており、东京での番组制作などで使われる他、テレビ番组の収録にも使われる。茶屋町本社と东京支社は常设回线で结ばれており、东京支社内でMBSのテレビ(ローカル番组のみ)・ラジオ放送がリアルタイムで视聴することが出来る。在阪准キー局の东京支社が在京キー局の本社周辺に支社を构えているのは、MBSと日本テレビ系列の読売テレビ(汐留の日本テレビの本社近くの汐留シティセンター10阶にある)の2局のみであるが、赤坂BizタワーはTBSが所有している土地・建物であり、MBS东京支社はTBSの敷地内に支社があることになる。
- 名古屋支局
- 海外支局
[编集] 会社情报
- 代表取缔役会长は山本雅弘(前社长)、代表取缔役社长は河内一友。
- 东京放送 (TBS)、RKB毎日放送、テレビ东京、FM802の大株主である。
- RKB毎日放送とは繋がりが强く、かつてはラジオ番组の共同制作や共同セールスを行ったり、テレビでは肠捻転时代も九州朝日放送の编成から外れた自社制作番组を贩売またはスポンサードネットしていた他、健康保険组合を共同で设立するなど姉妹会社の様相を呈している。なお、デジタル放送におけるリモコンキーIDも同じ「4」となっている。
- 在阪放送局中、同社と読売テレビ、関西テレビ の3社が各々の在京キー局(TBS、日テレ、フジ)の大株主となっている。なお、読売テレビと関西テレビは元来持ち合いの目的でキー局株を取得したものだが、毎日放送は事情が异なり、1977年に経営が悪化した毎日新闻社から肩代わりする形で株式を取得したものである。
- 在阪放送局中、同社と朝日放送、関西テレビの3社は各々の在京キー局(TBS、テレ朝、フジ)より开局が早い。これは、この三社とキー局三社とは设立当时それぞれが全くの无関系だった事による。一方、読売テレビとテレビ大阪はそれぞれのキー局の意向で设立されたため、キー局よりも遅い开局となっている。
- FM802には、ニッポン放送とともに主要株主として设立に携わっている。设立时にはニッポン放送から编成、毎日放送から営业の责任者が出向していた。
- これまで自社の大株主には东京放送 (TBS) が入っていなかったが、2005年10月以后に取得した模様。
- 2007年1月30日、58亿円の第三者割当増资(普通株式290万株)を実施した。引受先は电通や东レ、TBSなど既存株主のほかコクヨや大和ハウス工业など计15社。调达资金はスタジオや制作・事业机能の茶屋町本社付近への集约や、地上デジタル放送対応に充てる。新株の発行価格は2000円。结果、资本金は増资额の半分の29亿円分増加し11亿7200万円から40亿7249万円となった(残る29亿円は资本准备金に组入れ)。
- テレビのJNNでは「五社连盟」にも加盟する基干局の一社であり、またTBSの大株主でもあることから、同系列での発言権・影响力はTBSと并び强いものとされる。
- ラジオネットワークはJRN、NRN双方に加盟している。ラジオネットワークには基干局・准キー局は厳密には存在しないが、JRNではTBSラジオ・MBS・RKBが设立时から干事社とされ、NRNではネットワークラインへの送出し可能な设备を持ち、基干局に近い扱いを受けている。
- 株式等の状况
(平成19年1月30日)现在
- 会社が発行する株式の総数…普通株式 60,000,000株
- 発行済株式…普通株式 23,449,800株
- 大株主の状况
(平成19年1月30日)现在 括弧内は、持株比率を示す。所有株式数(千株)
- 株式会社ソニー・放送メディア (4.45) 1,172
- 株式会社りそな银行 (4.43) 1,166
- 株式会社三菱东京UFJ银行 (4.43) 1,166
- 株式会社三井住友银行 (4.43) 1,166
- 株式会社东京放送 (4.36) 1,150
- 日本电気株式会社 (3.36) 885
- 株式会社大林组 (3.20) 842
- 野村ホールディングス株式会社 (3.19) 840
- 日本生命保険相互会社 (2.94) 774
- 第一生命保険相互会社 (2.82) 744
- 上位10位以外の株主の状况
- 株式会社电通 650,651株所有
- 関西电力株式会社 606,809株所有
- 东レ株式会社 561,619株所有
- 大阪瓦斯株式会社 507,781株所有
- 株式会社毎日新闻社 496,325株所有
- 株式会社みずほコーポレート银行 428,216株所有
- 京阪电気鉄道株式会社 318,169株所有
- 近畿日本鉄道株式会社 289,110株所有
- 株式会社博报堂DYメディアパートナーズ 270,862株所有
- コクヨ株式会社 250,000株所有
- 株式会社池田银行 233,000株所有
- 大和ハウス工业株式会社 200,000株所有
- みずほキャピタル株式会社 100,000株所有
- 毎日放送が株式を保有している放送局
括弧内は、贷借対照表の価格を示す。
- 株式会社东京放送 536万2千株所有(169亿4300万円)
- 株式会社テレビ东京 51万8050株所有(24亿6000万円)
- アール・ケー・ビー毎日放送株式会社 99万株所有(13亿6700万円)
- 株式会社BS-i 6万8千株所有(3亿9400万円)
- 株式会社広岛ホームテレビ(テレビ朝日系) 5万株所有(2500万円)
- 株式会社FM802(JFL系) 2820株所有(3亿400万円)
- 株式会社テレビユー福岛 1000株所有(1亿1000万円)
- 株式会社あいテレビ 800株所有(4000万円)
- 株式会社WOWOW 350株所有(9200万円)
※テレビ东京と広岛ホームテレビの株式を所有しているのは、いわゆる「肠捻転」の名残である。上记にはないが、冈山放送(フジテレビ系列=関西テレビ放送も株保有)や瀬戸内海放送などのかつて肠捻転时代のNETテレビ(现在のテレビ朝日)系列だったテレビ局にも资本関系が残っている。
[编集] 沿革
- 1950年(昭和25年)12月27日 - 「新日本放送株式会社」设立。
- 1951年(昭和26年)9月1日 - ラジオ本放送开始(JOOR)。中部日本放送より半日遅れて本放送开始。民放では日本で2番目。
- 1951年(昭和26年)9月3日 - 现在も続く民放ラジオ最长寿番组『歌のない歌謡曲』放送开始。
- 1956年(昭和31年)12月1日 - 朝日放送、朝日新闻社、毎日新闻社と合弁で大阪テレビ放送(现在のABCテレビ)を开局。
- 1958年(昭和33年)6月1日 - 社名を「株式会社毎日放送」に改称。
- 1959年(昭和34年)3月1日 - 地上アナログテレビジョン本放送开始(JOOR-TV)。东京・フジテレビ、福冈・九州朝日放送と同日开局。日本教育テレビ(NET、现在のテレビ朝日)・フジテレビとネットワークを结ぶが、翌年日本教育テレビ(NET。现在のテレビ朝日)に一本化された。
- 1959年(昭和34年)3月6日 - 长寿纪行番组『真珠の小箱』放送开始。
- 1959年(昭和34年)10月5日 - 长寿番组『皇室アルバム』放送开始。
- 1960年(昭和35年) - 大阪府吹田市の千里丘陵に2阶建ての「千里丘スタジオ」完成。番组制作机能を移転。
- 1963年(昭和38年)10月6日 - 全国ネットのクイズ番组『アップダウンクイズ』放送开始。1985年(昭和60年)の放送终了まで22年间に亘って放送された看板番组であった。
- 1964年(昭和39年) - TBSラジオ(当时・东京放送)、RKB毎日放送と暂定ラジオネットワークを结成。翌年のJRN(Japan Radio Network)発足へと繋がる。
- 1965年(昭和40年)5月2日 - TBSラジオをキーステーションとしたラジオネットワーク、JRNに加盟。
- 1965年(昭和40年)5月3日 - ニッポン放送と文化放送をキーステーションとしたラジオネットワーク、NRN(National Radio Network)に加盟。
- 1967年(昭和42年)4月1日 - テレビのカラー本放送开始。大阪地区では4番目。
- 1967年(昭和42年)10月2日 - 深夜ラジオ番组『歌え!MBSヤングタウン』(现在のMBSヤングタウン)放送开始。
- 1969年(昭和44年)7月3日 - 桂三枝が司会のバラエティ番组『ヤングおー!おー!』放送开始。吉本兴业の若手お笑い芸人の登竜门として、明石家さんま、岛田绅助らを辈出した。
- 1969年(昭和44年)10月1日 - 东京12チャンネル(现在のテレビ东京)とマイクロネットを结び、NETテレビとのクロスネット局となる(~1975年3月30日まで)。
- 1971年(昭和46年)12月31日 - この日を最后にNET(现在のテレビ朝日)の『23时ショー』のネットを打ち切り、金曜日分の制作からも撤退。地方からの问题提起として话题を撒く。
- 1972年(昭和47年)10月9日 - ラジオの生ワイド番组『ごめんやす马场章夫です』放送开始。
- 1974年(昭和49年)4月8日 - ラジオの生ワイド番组『ありがとう浜村淳です』放送开始。
- 1974年(昭和49年)4月1日 - テレビニュースネットワーク、ANNに加盟。これより先、1970年4月よりニュースタイトルは『ANNニュース』となっていた。
- 1974年(昭和49年)- ラジオニュースの编集権が毎日新闻社から毎日放送に移管。ニュースタイトルを『毎日ニュース』に変更。
- 1975年(昭和50年)3月31日 - テレビのキー局をNETから东京放送(TBS)に変更。テレビネットワークの“肠捻転”が解消される。朝日放送に代わって、五社连盟(北海道放送、东京放送、中部日本放送、毎日放送、RKB毎日放送)、JNNにそれぞれ加盟、『东芝日曜剧场』の制作にも参加。また当日から近畿広域圏のJRNのニュースネットワーク担当局が朝日放送から毎日放送に移管した。
- 1976年(昭和51年)1月5日 - 近畿広域圏では初のローカルワイドニュース『MBSナウ』放送开始。
- 1977年(昭和52年)5月15日 - ラジオの周波数を1210KHzから1180KHzに変更。
- 1978年(昭和53年)11月23日 - 国际电気通信连合(ITU)の取り决めにより、周波数が9kHzステップへ移行。それに伴い、午前5时をもってラジオの周波数を1180KHzから1179KHzに変更。
- 1980年(昭和55年)4月 - 近畿広域圏初のローカル・ドキュメンタリー番组『映像80』放送开始(2007年现在、番组タイトルは『映像'07』)。
- 1982年(昭和57年)2月11日 - 第1回『毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク』を実施。毎年初春の风物诗として毎年2月に开催。现在は、年およそ2回行われている。
- 1982年(昭和57年)9月19日 - 『ヤングおー!おー!』放送终了。
- 1983年(昭和58年)4月7日 - 全国ネットのクイズ番组『世界まるごとHOWマッチ』(东京支社制作、东京での収録)放送开始(大桥巨泉、石坂浩二、ビートたけし他出演)。『アップダウンクイズ』と共にMBSの看板クイズ番组であった。
- 1984年(昭和59年)1月25日 - 毎日放送のアナウンサーが総出演のバラエティ番组『あどりぶランド』放送开始。放送局のアナウンサー総出演のバラエティ番组の先駈けとなった。
- 1985年(昭和60年)10月6日 - 『アップダウンクイズ』放送终了。
- 1986年(昭和61年)3月 - 『选抜高等学校野球大会』を国内テレビ初のサラウンド放送実施。
- 1990年(平成2年)4月5日 - 『世界まるごとHOWマッチ』放送终了。
- 1990年(平成2年)7月 - 社名ロゴタイプを现在のものに変更。但し、MBSのロゴは従来通り。新しいデザインによる社旗(三色旗)、社章(バッジ)制定。
- 1990年(平成2年)9月1日 - ラジオ开局40周年を机に大阪市北区茶屋町に15阶建ての新本社・放送センター完成、同区堂岛(毎日新闻大阪本社ビル)にあった登记上本店机能と吹田市の千里丘放送センターの机能の一部を移転・统合。9月1日からテレビは2日间、ラジオは5日间にわたって开局40周年・新社屋放送开始记念の特别番组を制作・放送。
- 1992年(平成4年)3月15日 - 午前9时、ラジオのAMステレオ放送开始(TBS、文化放送、ニッポン放送、ABCと同时)。
- 1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震灾発生。テレビ・ラジオとも、当日午前からすべてのCMをおよそ2日间中止し、その放送枠に安否情报や生活情报を挿入。CM再开后もミニ番组などを休止し同様の情报を1月28日まで连日放送。
后に、震灾当时のラジオ放送を活字にまとめた『阪神大震灾の被灾者にラジオ放送は何ができたか 「被灾していない人への情报はいらない!」と言い続けた报道者たち』(ISBN 4810422259)という本が出版されている。 - 1998年(平成10年)3月18日 - 『あどりぶランド』放送终了。
- 1999年(平成11年)10月11日 - 夕方の情报生番组『ちちんぷいぷい』放送开始。
- 2000年(平成12年)9月29日 - 『MBSナウ』放送终了。同年10月2日より『VOiCE』へとリニューアル。
- 2001年(平成13年)3月31日 - ユニバーサル・スタジオ・ジャパン内にMBSスタジオ in USJ完成。
- 2003年(平成15年)9月26日 - 『ごめんやす马场章夫です』放送终了。
- 2003年(平成15年)10月7日 - なんばパークス内にラジオ局のサテライトスタジオとなるパークスラジオパラダイスをオープン。
- 2003年(平成15年)12月1日 - 午前11时 地上デジタルテレビジョン放送开始(JOOR-DTV)。この际、社长・山本雅弘(当时、现・会长)の提案で、地域に根ざした放送局を目指す「スーパーリージョナルステーション」にすることを宣言。
- 2004年(平成16年)3月1日 - アナログ・デジタル统合マスター(NEC制)运用开始。
- 2004年(平成16年)3月27日 - 『真珠の小箱』放送终了。
- 2004年(平成16年)7月 - 在阪放送局主体のイベントとしては初となるオーサカキングを大阪城公园一帯で开催、40万人を超える人出となる。好评につき、以降毎年开催されている。
- 2007年(平成19年)8月25日~9月2日 - 2007年世界陆上选手権大阪大会をJNN・JRN系列で独占中継。制作协力として参加した。
- 2008年(平成20年)2月6日 - 千里丘ミリカセンターがオープン。
- 2008年(平成20年)2月12日 - 东京支社が赤坂Bizタワーに移転。
[编集] テレビネットワークの移り変わり
- 1959年(昭和34年)3月1日 - 准教育局として开局。ラジオ东京(KRT、现在のTBSテレビ)のフルネット局として开局を目指していたが、KRT侧に拒否され、その后フジテレビ(CX)とのネットワーク関系树立を目指すも断念。结果、日本教育テレビ(NET。现在のテレビ朝日 (EX) )主体でのネットを余仪なくされる。しかし、この时点ではCX・KRTの一部番组をネットしていた。また制作番组の一部は、CXにもネットされた。
- 1960年(昭和35年)2月1日 - 朝日放送(ABC)が四社连盟(1ヵ月后には五社连盟)に添加したためKRTの番组を手放す。ただし、『毎日新闻ニュース』のネット受けという形でKRTとの関系は残る(※毎日放送は开局以来东京放送の番组をネットし続けていた事になる)。同年4月1日よりキー局NETテレビのニュース番组をネット受けして共同制作する事になるが、その番组は朝日テレビニュース社制作による『NETニュース 朝日新闻制作』であった。しかし、毎日放送はタイトルを差し替えて『MBSニュース』として放送していた。「朝日」放送があるにも拘わらず「朝日」新闻制作のニュースが、近畿地区では「毎日」新闻系の局に流れ、また近畿地区のニュースは「毎日」放送が取材した物が「朝日」新闻ニュースとして全国に放送された。これがいわゆる「肠捻転ネット」である。また、CXの番组が関西テレビ(KTV)に移行したため、キー局をNET(现在のテレビ朝日 (EX) )に统一。
- 1967年(昭和42年)6月 - 民间放送教育协会に加盟。
- 1969年(昭和44年)10月1日 - 东京12チャンネル(现在のテレビ东京(TX))ともネットを结ぶ。NETテレビのみだった全国ネット番组を、一部东京12チャンネルへ切り替えて関西唯一のキー局宣言をする。このためNETテレビとの関系が悪化し始める。ただ、毎日放送は、日本教育テレビ(现在のテレビ朝日)と东京12チャンネル(现在のテレビ东京)とのクロスネット局时代も日本教育テレビ(现在のテレビ朝日)が优位で、东京12チャンネル(现在のテレビ东京)とは、非报道関系の番组の一部ネットにとどまった。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - この日から全国ニュースにANNのタイトルを冠し、『ANNニュース』として差し替えなしで放送する。『ANNニュース』は3ヶ月前に开始していたが、毎日放送はANNのAを「オールニッポンのA」ではなく「アサヒのA」と误解し、発足后も差し替えを継続していた。また、この日から4年间「协力・朝日新闻」とクレジットされている事に难色を示したため正式加盟をしなかった。
- 1974年(昭和49年)4月1日 - ANNに正式加盟。
- 1974年(昭和49年)11月18日 - TBSから、「1975年(昭和50年)3月31日から朝日放送(ABC)に代わりネットを开始する。」との通告を受ける。
- 1975年(昭和50年)3月31日 - 东阪ネット再编。ANNを脱退し(※ABCに引継ぐ)、东京12チャンネルとのネット関系を絶つ(※KBS京都・サンテレビジョンを経てテレビ大阪。但し、テレビ大阪开局までは番组贩売扱いでの放送を継続)。JNN・五社连盟に加盟し、NET系列局から开局以来からの念愿であったTBS系列局となる。これにより肠捻転解消。
- 1992年(平成4年) - 民间放送教育协会を脱退。KBS京都・サンテレビ・テレビ和歌山・ラジオ関西・和歌山放送を経て、ABCが引き継ぐ。
[编集] 设立
第二次世界大戦终结から间もない1947年、GHQが「放送基本法」と「电波三法」(放送法・电波法・电波监理委员会设置法)の立法措置を指令し、1950年6月に施行された。これを契机に「民间放送」の设立が日本各地で相次ぎ、施行前の1950年4月21日、民间放送会社16社に予备免许が下りた。そのうちの一つ、新日本放送株式会社(しんにっぽんほうそう、略称 NJB、英称 New Japan Broadcasting System,Inc.)は、関西政・财界の支持の下、毎日新闻社と京阪神急行电鉄(现:阪急阪神ホールディングス)と日本电気を中心に设立された。実际に创立の中心となったのは、毎日新闻社を依愿退职した高桥信三であった。民间放送の将来性と必要性を説き、コネクションをフルに利用して出资者や番组スポンサーを募集。设立途中で出遅れた朝日新闻社の横枪(机上案に过ぎなかった朝日放送との合并工作)を顽として拨ね付け、朝日侧との激しい公聴会(现在でもその録音が残っている)のやりとりの末、渐く新日本放送の开局に漕ぎ着けた。
[编集] 民放初の试験电波発射
1951年7月8日、22时00分~22时30分、日本の民间放送として初めて试験电波を発射。监理局の指示によりアナウンス「NJB」と「JOOR」、レコード音楽のみ。7月12日、26日にも実施。
1951年8月15日、サービス放送开始。12时00分、14时00分、16时00分、18时00分、20时00分から各1时间放送。