民族
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民族(みんぞく)とは一定の文化的特徴を基准として他と区别される共同体をいう。土地、血縁関系、言语の共有(国语)や、宗教、伝承、社会组织などがその基准となる。日本语の民族の语には、近代国民国家の成立と密接な関系を有する政治的共同体の色の浓いnationの概念と、政治的共同体の形成や、集合的な主体をなしているという意识の有无とはとはかかわりなく、同一の文化习俗を有する集団として认识されるethnic groupの概念の双方が十分区别されずに共存しているため、その使用においては一定の注意を要する。
目次 |
[编集] 翻訳にまつわる问题
日本语の民族という言叶には二つの主要な意味内容が存在する。一方はネーション(nation)であり、もうひとつはエトノス(ethnos:英ethnic group)である。
中国の古典では「民族」は一定のグループをなす人々の共同体を指す。近代的な、文化的な固有性というニュアンスでの「民族」の用例の最も早い例としては、六世纪の南斉书列伝三十五の「高逸伝・顾歓伝」中の「今诸华士女、民族弗革、而露首偏踞、滥用夷礼」(民族を氏族とする写本もある)という记述をあげることができる(なおこれは、士大夫やその子女までも中国の北朝の异民族の风俗に染まっていると述べている部分である)。しかし、この歴史书は南史编纂后は読まれる事が少なくなったと言われており、现代日本の民族概念に影响を与えている确证はない。これはあくまでも中国语における民族の语源を示すものであって、日本语の社会科学の概念としての民族をいかに定义するかの问题とは混同されてはならないだろう。
訳语としての「民族」は、nationに対するものであるとされている。しかし、西欧语としてのネーションの政治的自己意识、统合性、独立性、主権性といった概念をも含む语义とは、日本语としての「民族」は完全には一致せず、国家のなかの、あるいは国家以前の、同一文化集団、民族志学的な意味での、文化・生活様式を基准とした集団である种族にも同じように通用される。文化的・民俗的帰属意识と政治的同胞意识は必ずしも一致しないが、日本语の民族はどちらの区分による用例かはしばしば判然としない。
この区别は、同一文化集団は容易に政治的帰属意识を获得しうる为に日々动揺する。しかしこのことは、同一文化集団が政治的自己意识を获得する以前からあらかじめ潜在的にすでに「眠れる」nationであるということではない。事后的に、始めからnationであったことになるのである。
なお、当初は、nationの訳语としては「种族」や「人民」もひろく使用された。アダム・スミスの『国富论』に见られるように、国民の訳も用いられた。ヘボン『和英语林集成』(三版)はnationの訳语に、国民、人民だけをあげている。
もちろん、戦前において既にウッドロウ・ウィルソンの民族自决権の思想などが绍介されており、早い时期から民族がnationの訳语として用いられていた点にも注意すべきである。
现代日本语では、nationは民族、国民、国家、国民国家、ネーションなどと强调されている侧面に応じて訳し分けられる倾向にある。(よって本稿の内容も一部は必然的に国民の项と重复せざるをえない)
他方でethnic系统の语については事情は复雑であり、通用には民族と訳されることが多いが、学术的な文脉では必ずしもそうではない。エスニック・グループは、社会科学の分野では、エスニック集団などと訳し、民族という语を避ける场合も多い。(なお台湾などの中国语圏でも、民族nation概念に対して、ethnic groupは"族群"と訳され、民族との訳语を避けることが多く、日本でも族群概念を导入した论文もある。)日常语では何の问题もない「少数民族」という言叶も、社会科学では极めて问题含みの言叶として批判されることもある。
こうした日本语「民族」の暧昧な多义性を、现代において露呈してきたエトノスとネーションの暧昧で明确な区分の难しい、复雑な関系性を表现可能な言叶だとして肯定的に评価する立场もあるが、エトノスがネイションの下位区分として导入された点を重视し、両者を訳し分けるべきだとする考えもある。しかしその场合にも、民族を、どちらの语义にひきつけて定义し、新语をどちらに当てるかには、一致した见解は得られていない。したがって社会科学的な概念として民族概念を使用する场合には、それぞれの论者がいかなる意味で用いるのかを明らかにすべきだろう。その场合、単纯に原语をエトノス、エスニック・グループなどと音訳して使うという立场も便宜的ではあるがしばしば见られる态度である。
[编集] ネーションとしての民族
参照 国民
[编集] 语义の変迁
リーア・グリーンフェルド(『ナショナリズム』1992)によれば英语ではnationは以下のような五段阶の変化を経てきた。
- ローマ帝国时代にはnationは同一の地域からやってきた异邦人の集団を指した。(a group of foreigners)
- 中世には大学の成立以后、nationは意见を共にするグループを指すようになった。(a community of opinion)
- 続いて、nationは圣堂参事会(church council)のメンバーとの间に意味上の関系が生じ、エリートの含みを持つようになった。
- 十六世纪初期のイングランドで、nationは主権を有する人民(a sovereign people)を指すようになった。
- そうしてその他の国の人々がnationを自らを呼ぶのに用いるようになった后に、nationが指す対象は再度変わり、一群の特有の人々(a unique people)の意味になった。
元来、nationはラテン语において「生まれ」を意味するnatio(ナティオ)に由来する概念であり、gens(ゲンス)とならんで血统と出自の女神を意味した(ハーバーマス『事実性と妥当性〔下〕』邦訳275页参照)。家族より大きく氏族よりも狭い、「同じ生まれに帰属する人々」を指す言叶であった。
中世にはnatioという言叶はボローニャ大学やパリ大学をはじめとして、同じカレッジの构成员、または学生たちのグループを指した。かれらは同じ地域の出身で、同じ言语を话し、自分たちの惯习法に従うものとされた互助的な自治组织であった。しかしこれらは国家を基准としたものではなく、あくまでもゆるい地理的な基盘によるものであった。たとえば、1383年と1384年には、パリ大学で神学を学んでいたジャン・ジェルソンは二度にわたってフランス人学生団・同郷団(French nation・フランス生まれでフランス语を话す学生たち)の代表に选出された。パリ大学での学生のnatioへの分割はプラハ大学でも踏袭された。1349年の开校以来、ストゥディウム・ゲネラーレ(studium generale)は、ボヘミア、バイエルン、ザクセン(マイセン)、そして、ポーランドのnationに分割されていた。
中世后期から近世にかけてのヨーロッパでは身分制议会を构成して、必要に応じて国家の案件に同意を与える特権的な身分阶层を、集合的にnatioと呼んだ。この意味でのnatioは种族的な出自を问わず、身分や地位によって规定されるもので、高位圣职者や中小の贵族身分などからなっていた。この时期にはエスニックな种族的な意味合いは、主としてgensによって担われていた。
この王と国家の支配を分かち合うnatioの概念が、近世に絶対主义の成立とともに次第にgensと近づき、あるいは混同されていき、ひとつの言语的・文化的・血统的に规定されるgensが、ひとつのnatioを构成すべきという思想が成立していった。このnatioとgensの语义の融合の原因は、封建国家の机能不全のなかで、natioの范囲を広げることで広い同意を取り付けることが王権に必要とされたからである。そのためにnatioを特権阶层から一般民衆まで拡大する上で、gensの种族的な枠组みが援用された。
イングランドでも同様であったが、とりわけこの特権身分としてのnationの一般民衆への意味的拡大はテューダー朝において进行した过程であった。蔷薇戦争によって多くの贵族が没落したあとに成立したこの王朝の下にあって、新しく出现した贵族阶级はnationをpeople(民衆・庶民)へと意味的に接近・融合させた。このnationの再定义によって、主として成长しつつあった富农、新兴地主阶级、ジェントリなどに実质的には限られてはいたが、身分制に缚られず民衆もまた国政エリートへと上升しうるものとされ、原理的には主権に与かるnationの一部となった。
また、1611年の钦定訳圣书でユダヤの民を意味するヘブライ语goiがnationと訳されたこともひとつの契机となった。宗教改革の盛り上がりとともに、清教徒革命による议会の胜利を経て、国教会を形成するイングランド国民をひとつのあらたな契约の民nationとみなす倾向・用法がnationに宗教的一体性と种族的独自性という意味合いを付け加えた。
圣书の中のヘブライ人は、理念的・宗教的な一体性と平等性を并せ持ち、ひとつの神的な歴史を共有し、ひとつの国土(ホームランド)と运命的に结び付けられ、ひとつの法(十戒)のもとに结びつき、しかも、普遍的に拡大しうるものではなく、ある特异な、限定された个别的な集団として、他の同様の民族を许容するものであった。この时期のイングランド人は自らをnationとして想像する上でまさしくそのようなものとして理解しようとした。これが现在のnationが想像される様式にも大きな影响を及ぼしている。
[编集] 国民主义・民族主义
こうして元来「生まれを共にする集団」というようなゆるい意味での言叶が次第に特殊化していき、啓蒙思想においてジャン・ジャック・ルソーの社会契约説と一般意思、そしてかれの反普遍主义的な郷土爱の主张を経て、フランス革命を経て十九世纪に理念化されヨーロッパに拡大することとなった。(国民议会Assemblee nationale)しかしフランス革命は混乱に陥り、nationとしての一体感と平等の感情を事実として确立するにはいたらず、ナポレオン戦争へと至るテロルと戦争のなかで、そのnationは共和主义的なイデオロギー性と军事的な色彩を帯びた限定的なものであった。(ギリシア・ローマ的爱国主义の示范)
一方で、nationの基盘になるべき中央集権的な统一を欠いていたドイツにおいて、ヘルダーは言语・歴史・文化を共有する共同体としてVolkの概念を主张した。ロマン主义者やグリム兄弟やヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどに影响を与え、民俗学の成立に寄与した。かれのVolk概念はnationをエスニックに定义する倾向に强い影响を与えた。(エスニック・ナショナリズム、原初主义)しかしこの概念にはnationに含まれていた人民主権の意味は薄弱であった。のちにナチスが第三帝国で强调したのは人种主义的に解釈されたVolkであり、Nationは自由主义的な概念として非难の対象となった。
1808年にはフィヒテが『ドイツ国民に告ぐ』Reden an die Deutsche Nationの讲演を行ったがいまだ反応は钝かった。结局、やがてドイツ统一はナショナリズムによってではなくプロイセン国家主义によって遂行された。この歴史的・文化的・言语的で、宗教的平等理念と人民主権の意味合いの希薄な民族概念と権威主义的な国家主义という组み合わせは、とりわけ遅れて资本主义化した、より东方の诸国に一定の影响を持った。
こうして、「生まれと歴史を共にすると想定されたものたちによる独立への主张」とでもいうべきナショナリズムの成立と高扬は、このnationという概念に着しい政治性を帯びさせ、エスニックな意味合いと、人民主権的な意味合いとの间に内的な紧张をもたらした。こうした経纬により、フランスやアメリカのナショナリズムは、「过去の歴史の共有」ではなく、「これからの歴史の共有、その意志」という普遍主义的で时には同化主义的な性格を帯びることになった。(1882年エルネスト・ルナン『国民とは何か』Qu'est-ce qu'une nation?「nationとは日々の人民投票である」)
[编集] 客観的特徴による定义
こうして成立したnationを歴史学や政治学、社会学などが反省的に定义しようとしたとき、nationを区分すべき基准となる特徴を确定する试みがまずなされた。
「そこにひとつの独立の言语を见出すことができるところには、ひとつの独立のnationが存在する。」(フィヒテ)
nationを政治的独立を获得する独特な共同体として考える定义としては、まずヘルダーをあげることができる。ヘルダーはnationを一种の「特殊な言语と文化を备えた集団」とみなした。十九世纪のはじめ、フィヒテはこの考え方を推し进め、一个の独特の言语グループはかならず一个の独立のnationであり、自らの生活を持たねばならず、そしてまたその自らの生活を制御できなければならないと主张した。今世纪に入って、研究者は民族体の构成内容について、言语以外にもたくさんの客観的基准を付け加えた。共同の地域、血统、エトニ(族群。スミス、文化的な原初的共同体)、宗教、あるいは共同の信仰などである。(クリフォード・ギアツ、アントニー・D・スミス、ヨシフ・スターリンなど)
スターリンによる、1913年の论文『マルクス主义と民族问题』(МАРКСИЗМ И НАЦИОНАЛЬНЫЙ ВОПРОС Marksizm i natsionalnyi vopros)での定义は以下のようなものである。
- 「Нация(ナーツィヤ)とは、言语、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状态、の共通性を基础として生じたところの、歴史的に构成された、人间の坚固な共同体である。……これらすべての特徴が存在するばあいに、Нацияがあたえられるのである」
しかし、研究者の中にはこれらの客観的特质がnationの定义の十分条件をなすことを、はなはだしい场合には必要条件をなすことすら否定するものもいる。(Canovan 1996; Gellner 1983; Hobsbawm 1992; Renan 1994)
ホブズボームの説得力のある指摘によれば、もしも、nationに一个の定义を下さなければならないならばいわゆる客観的な条件はすべて适切な基准ではない。言语を例に挙げて、ホブズボームは资料に诉えている。イタリアが1860年に统一されたとき、正统な标准イタリア语を话せたのは全体の2.5%にすぎなかった。ほかにも、1789年のフランス革命の勃発时に半分以上のフランス人はフランス语を话せず、南フランス住民の殆どはオック语话者だった。いいかえるならば、いわゆる民族言语というものは、主としてナショナリズムの実践の结果なのであって、ネーションやナショナリズムの原因とみなすことはできないのである。そのうえ、こうしたnationを定义するのに用いられてきた「客観的」基准、言语、エトニ、その他のものも、それ自身が変化しうるものであり、明确な定义も欠いている。
われわれはゲルナーにこうした観察に関连した论点を见ることができる。
- 人间を分类する自然で神与の仕方としてのnation、ずっと遅れてやってきたが生得の政治的运命としてのnation、それは神话である。ナショナリズムは、时に先在している古い文化を取り上げて、それらをnationに変えて行くこともあるし、时にそれらを作り上げることもあるし、しばしば先在文化を完全に破壊することもある。よかれあしかれ、それが现実なのであり、通用に不可避の现実なのである。(『民族とナショナリズム』ゲルナー 加藤节 监訳 p82-83 原着1983 原文はnationは民族)
[编集] 主観的な意识による定义
nationの本质は主観的な意识(subjective consciousness)なのであって、それが政治的、文化的、生物学的なものであるかどうかにかかわらず、客観的に共有される特质にはよらないとする议论もある。
ヒュー・シートン=ワトソンは「ひとつのグループが相当部分を占め、みずからを一个のnationをなすべきと考えるようになったとき(consider themselves to form a nation)、あるいはかれらがすでに一个のnationをなしているかのように振舞うようになったとき(behave as if they formed one)、たちまちひとつのnationが存在するようになる」(Seton-Watson 1977, 5)と主张する。
エリック・ホブズボームも同様の立场をとり、nationを定义していう。「最初の作业仮説として、人々の十分に大きな集団があって、その成员が自らを「ネイション」の一员とみなしているのであれば」(regard themselves as members of a “nation”)、それをネイションとして取り扱うことにしよう」(ホブズボーム『ナショナリズムの歴史と现在』 邦訳 p10)
まさしくこうした意味において、アーネスト・ゲルナーは一方では、まず闘争がはじめにあって、そのあとに、nationがやって来ることができるということを主张し、他方ではまた、ひとつのnationはかならず、互いにひとつのnationに属しているとみなしている人々からなる必要があることを强调する。(Gellner 1983, 48-9)。
- nationとは人间の信念と忠诚心と连帯感とによって作り出された人工物なのである。(例えば、ある领域の住人であるとか、ある言语を话す人々であるとかいった)単なる范畴に分けられた人々は、もし彼らが、共有するメンバーシップの故に、互いにある相互的な権利と义务とを持っていると固く认识するならば、その时、nationとなる。ある范畴の人々をnationへと変えていくのは、お互いがそのような仲间であるという认知であって、何であれ、彼らをメンバー以外の人々から区别するような他の共通する属性ではないのである。(『民族とナショナリズム』ゲルナー 加藤节 监訳 p12 原着1983 原文はnationは民族)
実际、こうした现代の研究者がnationの主観的な构筑性を指摘するはるか以前に、こうした観点はいまでは古典となっている社会科学の着作のなかにはやくから现れていた。社会学の巨匠マックス・ウェーバーは民族体(nationhood)の间主観的侧面を强调し、グループのいわゆる客観的特质は、nationを定义するのには役に立たたず、そのため、nationという概念が、「価値的领域(sphere of values)」に属していることを発见するに至った。nationという概念は、主として、本质的に、「ほかのグループを前にしてもつ一种特别の连帯感情」の上に作り上げられている。(Weber 1958, 172)。
ルナンもまた1882年にはやくも指摘している。彼によれば、こうした条件、たとえば、共同の地理や地域、言语、种族あるいは宗教、そうした条件を持っているということは、少しもnationの存在の十分、あるいは必要条件とみなすことはできない。それに反して、nationは互いに関连した二つの要素をもっている。ひとつは、过去の记忆の豊かな遗産の共有(a common possession of a rich heritage of memories in the past)であり、もうひとつは、ともに暮らし、これらの遗産を受け継いでいこうという决意(a desire to live together and pass on the heritage)である。そのため、われわれがnationの本质について认识を深めようと思うのならば、こうした特别な歴史の意识から出てきた连帯感(solidarity)の探求を进めなければならない。そのため、nationは一种の道徳的形式(a form of morality)として理解されるべきなのである。(Renan 1994)。
[编集] 构筑主义的な総合的定义
たしかに上述の主観的な要素はnationの形成过程において重要な役割を演じていることは间违いないのだが、しかし、この主観的な意识による定义は、実际に采用するにははっきりと不十分な点が存在する。集合的な连帯感はほかのさまざまな社会的団体、家族や结社、商业组织に存在しうるもので、nationに限定されるものではない。主観的な意识は最低限の条件なのである。
解决の键はこうした主観的な要素が客観的な基础の上に构筑されると认识することである。现実の生活においては、nationのメンバーは、自分が集合的な连帯感によって繋がれて、ひとつの団体をなしているとはみなしていない。反対に、いくつかのそれ以外の要素を列挙する。共通の文化、祖先、歴史、政治制度、あるいは特定の地域への帰属意识などである。こうしたものによって彼らはひとつに结合されているのである。
政治学者でアジア研究者のベネディクト・アンダーソンの有名な「想像された共同体」(imagined community)を借りることで、この问题に前进をもたらすことができる。「nationとはイメージとして心に描かれた・想像された政治共同体である――そしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なものとして想像される」。アンダースンによればnationは一种の人工物(artifact)であり、一个の「想像された政治的な共同体(imagined political community)」である。しかし、このことは、nationが「虚伪の(fabricated)」存在であることを意味しない。采用すべき戦略は、想像の様式(style)、及びこの想像を可能にした制度(institutions)を用いて、この二つの点でのnationの特殊性を理解することなのである。后者についてアンダーソンが挙げている例は「印刷-资本主义(print-capitalism)であり、またそれによって出现した、nationを一个の社会学的な共同体へと変えた新しい文学のジャンルであるところの、新闻と小説である。(Anderson 1991)
- 実际には、しかし、日々顔を付き合わせる原初的な村落より大きいすべての共同体は(そして本当はおそらく、そうした原初的村落ですら)想像されたものである。共同体は、その真伪(falsity-genuineness)によってではなく、それが想像されるスタイル(the style)によって区别される。(アンダーソン『想像の共同体』原着 1991, 邦訳p17-18 太字は引用者による挿入)
スタイル以外でも、共同体を区别するその他の基准をわれわれは当然见出すことができる。たとえば、その规模の大小や、行政组织の阶层化の程度、内部での平等の程度などなどである。nationとナショナリズムを研究するうえで主要な目的は、nationにかかわる「想像された」集合的な连帯感の特殊な形式を见出すことである。クレイグ・カルフーンの提供する以下のリストは、多かれ少なかれひとつの共同体がnationとして想像されるための基础的条件になりうると思われるものをあげている。
- 境界线(boundaries):地域的なものか、人口的なものか、両者を合わせたものかは问わない。
- 不可分性(indivisibility):ひとつのnationはひとつの统合された単位(integral unit)であるという主张。
- 主権(sovereignty)あるいは主権への希求:他のnationとの间にある种の公式な平等関系が维持され、また通常は一种の自主性と、自给自足性が维持されていることが必要とされる。
- 合法性(legitimacy)の「上升(ascending)」的あり方:政府は大衆の意志(popular will)によって支持されている必要があり、最低限でも、「人民(the people)」あるいは「民族(the nation)」の利益に符合している必要がある。
- 集団の事务への大衆の参加(participation):nationのメンバーであるという身分を基础として一定の人々が动员されること。(戦争にかぎらず、民间の活动においても)
- 成员の身分(membership)の直接性:すべての个人はnationの紧密な部分として理解され、成员の间にもまた完全な平等が存在すること。
- 文化(culture):言语、共有の信仰、価値、さらに风俗习惯などを含む混合物。
- 时间的な深さ(temporal depth):nationは时间的な実在でなければならず、过去と未来の世代を含み、同时にその歴史を持つ。
- 共通の祖先(descent)あるいは种族的な特性。
- 特别な歴史(history)や、时には、特定の地域との神圣な関系。(Calhoun 1997, 4-5)
注意すべきことは、カルフーンが正确を期して述べていることであるが、これらの特徴はナショナルな「修辞(rhetoric)」なのであって、通常nationを记述する特徴として主张(claims)されるものなのである。実际、われわれは経験的な手段(empirical measures)に诉えてnationを定义することはできない。たとえば、主権が达成されているかどうか、内部が分裂しているか、一贯性が维持されているか、あるいははっきりとした境界线を引けるかどうか、ということをいうことはできない。逆に、nationは通例大いにこれらの宣言主张によって构成されているのであり、これらの宣言主张は単に记述的なものではなく、规范的なものでもある。これらの特徴は、ナショナルな感情(a sense of nationhood)の基础を提供するに十分でありうるが、しかし、ひとつとして絶対に必要な特徴というものはない(Calhoun 1997, 5)。异なるグループに対して、かれらが自分たちがひとつのnationを成す所以を主张するとき、そのことによって実际に、别の种类のグループが事実上建设されるのである。われわれはすべてのこうした主张を仔细に検讨し、これらの主张を、その人々を结び付けている一种の信仰として认识する必要がある。ケラスは、nationは定义可能であるとして、以下のような定义を提案している。
- 一定のグループをなす、みずからを歴史、文化、共同の祖先によって结び付けられた共同体であると感じている人々。nationは「客観的」な特徴を持ち、これらの特徴は、地域、言语、宗教、共同の祖先を含むことができ、また、「主観的」特徴として、特别な(nationality)に対する认识と感情をも含む。(Kellas 1991, 2)
[编集] エトノスとしての民族
[编集] エトノスの语志
英语でいうethnic group、あるいはロシア语やドイツ语などでエトノスといわれる用语は元来、古代ギリシアでポリスの住民であるデモスに対して、ギリシア人でもポリスを形成していない地域の住民や、非ギリシア人といった周辺の住民の种族的単位を呼んだ言叶に由来する(特にアリストテレス以降は非ギリシア人に限定して使う倾向が强まるという)。
この、ギリシア语ethnos、形容词形ethnikosは旧约のギリシア语訳圣书で、非ユダヤ人、异教徒を指すヘブライ语の訳に使われ、中英语でも、异教徒、异邦人を指した。そこから、近世には、英语では、アイルランド人などを、やや軽蔑的なニュアンスで呼ぶ言叶としても使われた。たしかに元来のギリシア语のエトノスには、より通用に或る一定のグループをなす人々、种族、民族、国民を指す意味があるのだが、民族学が命名される际にこのギリシア语が复活されたとき、そこに単に民族というだけでなく、异教徒、他者としての异民族というニュアンスが入っていたことは否めない。
大航海时代とそれに続く西欧による植民地化によって、西欧はさまざまな异なる文化・习惯を持つ人々に出会うこととなった。のとき、これらの异なる、西欧的な基准で「文明」を有しないとされた人々を指す言叶として使用された言叶の一つが、このethnicという语であった。まさしくエスノロジー(文化人类学)の対象がエトノスだった。
しかしエトノス(エスニック・グループ、エトニ)の用语が当初から用いられたわけではなく、文化人类学、民族学は、その対象となる人间集団を、多くの场合は、nationやpeople、volkの用语で呼んだ。明示的に、ネーションと区别された概念としてエトノスが导入されたのは比较的近年のことである。とりわけネーションがいまだ国家との一体性を强い含意としてもたなかったナショナリズム以前の时期には、ネーションやレースは、しばしば単にエスニックな意味合いで用いられた。
エトノスが社会科学の概念として导入された意味のなかには、とりわけアメリカや中国、ソ连などの「多民族国家」において、下位区分であるethnosが民族自决権を持たないという含意がある。もし、个々のethnosが民族自决権を持つなら、个々のethnosがnationとして独立することを主张することになる(このイデオロギーをエスノ・ナショナリズムethno-nationalismという)。ソ连や中国のような多くのエトノスethnosを包含した国では、ethnosに民族自决権を认めるならば、国家が分解してしまうという危惧が存在していた。このゆえに、nationと区别してethnosという语がさかんに用いられるようになった。
非西欧の异民族、国家内部の少数民族に対する、こうした、ナショナルな主権、政治性、民族自决権を认めない、あるいは度外视して扱う、という差别化の视线は、そうした文化人类学的な、非政治的という形での植民地主义的・政治的な视线の対象であった诸「民族」がナショナルな意识を身に着け始めるにつれて动揺し始める。
そこで、代わってえがかれるようになる図式のひとつが、エトノスが政治的に「进歩」してネーションを「获得」するという进化図式であった。しかしこの図式は、エスニックなものをネーションの「基盘」となるものとみなすという点で、ネーションについて批判された「本质主义」をエトノスに転化するものであると同时に、里口から「政治的な成熟度」のような西欧的な「文明」によるランク付けを保存する面もある。
ある人间集団をエトノスとして见つめ、ネーションとしてみないということは多くの场合、非常に政治的な、しばしば差别的な含意を持っているが、文化人类学的な分析视点にネーションがなじまない、过剰な概念であることは事実であり、また近年では、かならずしもナショナルな主张を行わないエスニック・グループも多く(国家・ネーションが、マルチエスニックであることを要求し、それが拟似的なエトノスとしての一体性・均质性を志向することを批判する、反同化主义でかつ非分离主义)、この区别の意义を単に政治的に批判することはできない。
[编集] 社会科学におけるエスニシティ、エスニック・グループの概念
エスニック・グループはもっとも暧昧な形で定义すれば、同族意识を持ち、同种の文化・伝统・惯习を有する人间集団である。しかしネーションについてと同様に、想定される出自・血縁関系や、同族であるという信念・伝承は、必ずしも客観的な事実には基づかない。ネーションとは异なり、エスニック・グループは、统一された政治的共同体を形成していることは必须ではなく(ネーションの场合、そのような分断状态は、强い例外状态の意识を呼び起こす。多くの宪法等に见られる「不可分の」ネーションという用语が典型的である。またこのことは、ネーションと特定の国土・ホームランドとの関连性をも示唆しているかもしれない)、その为の権利・主権があるとも通常はみなされない。(ただしエスノ・ナショナリズムは、エスニック・グループがネーションである、まだはネーションであるべきと考える)
1969年にフレドリック・バルトは『エトノス集団(エスニック・グループ)と境界』をあらわし、エスニック・バウンダリー论を主张した。かれはエスニック・グループを、相互作用の中で相手と自己を差异化する场とともに生起する帰属意识をその本质であると规定した。このとき、エスニック・グループの间の差异は、社会的に维持される相互作用の「场」であって、客観的・物质的な境界が存在する必要はないとされた。
このエスニック・グループの概念は国家の中の少数派诸グループを语るものとして七十年代に一般化した。しかし出自意识を伴う文化的マイノリティ・グループをエスニシティとして规定すると、同じ论理でネイションの多数派グループもまたエスニシティとして规定されることは避けられない。こうして、エスニシティ概念は、マイノリティ・グループばかりでなく、多数派にも、また国家を横断して存在するグループにも、次第に広く、文化的共通性と帰属・出自意识に基づく集団に援用されるようになった。
日本语の民族は、訳语としてはnationに由来しながらも国家の存在を前提としないため、多くの场合には、このような意味でのエスニック・グループと一致することとなった。
古典的な文化人类学のモデルにおける文化=习俗集団は「歴史を持たない」、「安定して孤立した」、社会として、自己完结的なシステムをなす共同体としてイメージされることが多かったが、エスニック・グループ研究の知见からフィードバックされ、従来のそうした无文字社会もまた、动的な相互作用の中で、むしろアイデンティティ意识によって成立していて、「本质主义的」な规定の困难な面もまた存在することが明らかになった。とはいえ、环境に适応して分化した生活様式という従来言われたような意味でのエスニック・アイデンティティの「基盘」がまったく无视できるということではない。
[编集] 関连する用语
- 民族性(ethnicity)
- 民族意识(racial/national consciousness)
- 民族音楽(ethnic music)
- 民衆音楽(folk music)
- 文化人类学(民族学、ethnology)
- 民族国家(nation-state)
- 民族自决(national self-determination)
- 民族主义(ナショナリズム)(nationalism)
- 民族主义者(ナショナリスト、 nationalist)
- 国语
- 民族衣装
- 民族料理
[编集] 関连项目
[编集] 外部リンク
- 民族・民族集団
- Ethnicity and Nationalism (英语)
- 世界民族博覧会
- 『文明学序説』第7章:民族
- 东欧・中央ユーラシアの近代とネイションI
- 东欧・中央ユーラシアの近代とネイションII
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