永井豪

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永井 豪
本名 永井 洁
生诞 1945年9月6日(63歳)
日本 石川県轮岛市
国籍 日本
职业 漫画家
活动期间 1967年 -
ジャンル 少年漫画
代表作 ハレンチ学园
デビルマン
マジンガーZ
キューティーハニー
バイオレンスジャック
受赏 第4回讲谈社漫画赏(『凄ノ王』)
  
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永井 豪(ながい ごう、本名:永井 洁(ながい きよし)、1945年9月6日 - )は石川県生まれの漫画家血液型O型[1]

石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年「目明しポリ吉」でデビュー。代表作に『ハレンチ学园』『デビルマン』『マジンガーZ』『キューティーハニー』など。少年漫画の世界に性やバイオレンスの表现を大胆に取り入れ、后続の漫画家に大きな影响を与えた。また1972年の『デビルマン』以降、多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっている。1980年、『凄ノ王』により第4回讲谈社漫画赏受赏。

2005年より大阪芸术大学キャラクター造形学科教授を务める。

目次

[编集] 経歴

[编集] デビュー

石川県轮岛市に生まれ、1952年から东京都豊岛区に育つ。豊岛区立大冢台小学校から豊岛区立西巣鸭中学校を経て东京都立板桥高等学校卒业。幼少期に手冢治虫『ロストワールド』を読んだことをきっかけに漫画家を志すようになる。

高校卒业后、早稲田大学を目指して予备校に通っていたが、3周间止まらない下痢に悩まされて大肠癌と思い込み、自分がこの世に生きていた证として漫画作品を残そうと决意[1]。のち大肠カタルに过ぎなかったことが判明して难なく完治したが、このときの决意をきっかけとして3ヶ月の浪人生活に终止符を打ち、1965年より石ノ森章太郎(当时、「石森章太郎」)のアシスタントとなる。石ノ森が持っていたSFテイストやキャラクターメイキングの方法论は非常に永井に近いものだったようで、石ノ森も自分が世に出た时期が早いだけで「同じ感性の中でものを探している」(『GO NAGAI ALL HIS WORKS』)と彼を评している。なおこの时期の石ノ森アシスタントには野口竜桜多吾作がいた。

永井自身はストーリーマンガ志望だったが、デビューの早道として比较的ページ数の少ないギャグ作品に挑み、アシスタント业の傍ら持込を続けていた。デビューは1967年、テレビアニメ『ちびっこ怪獣ヤダモン』(ピープロ)漫画化企画をきっかけとする。この腕惯らしとしてギャグ短编「目明しポリ吉」を『ぼくら』に発表、続いて『〜ヤダモン』の连载とともにギャグマンガをコンスタントに描く。

[编集] 転机

デビューの翌年(1968年)、新创刊された『少年ジャンプ』(后の『周刊少年ジャンプ』)に『ハレンチ学园』を発表。奇妙な扮装に身を包んだ教师たちとイタズラを爱する生徒たちの破天荒な日常を描いたこの作品は、本宫ひろ志作品と両轮で同志を牵引した。

この中で当时の小学生を中心とした流行风俗「スカートめくり」を扱った「モーレツごっこの巻」が、サブカルチャー一般に対し行われていたPTAの抗议活动に取り上げられ、子供に悪影响を及ぼすセクシュアルな作品の代表格として纠弾の対象となる。新闻纸上・テレビのワイドショーなどで名指しつつ、时に永井自身を目の前にして、本人曰く「人格否定まで」されるほどの纠弾活动だったという。

だが结果的にはこれが永井が时代を掴むきっかけとなる。『ハレンチ学园』で登场人物全てが戦争で杀しあう描写に始まり、『あばしり一家』(1969年-1973年)『ガクエン退屈男』(1970年)などこの时期の発表作品の中で、その纠弾活动そのものをメタフィクション的にパロディ化、権力が奋う「正义」とは自由に生きる个人を押しつぶすものとした上で、権力侧も抵抗する个人の侧も互いに奋うのは暴力だけという永井作品の根干を成す地狱絵図を描き出すことになる。

さらにこの时期、シリアスなストーリー作品も手がけ始め、差别とそれに対する复讐を描く「鬼-2889年の反乱-」(1970年)、アイデンティティ崩壊の危机を描く「くずれる」(1971年)、亲と子の绊が崩壊する「ススムちゃん大ショック」(1971年)などのいずれも人间自身の存在意义を问いなおすようなSFを発表した。その一方、常识を反転させて笑いに结ぶ永井ギャグマンガとしては最も先鋭化したものの一つ『オモライくん』(1972年)も描いている。それとともにSF作家の间で注目され、1970年のSF大会で筒井康隆を初代会长に永井豪ファンクラブが设立される。

[编集] 『デビルマン』 - アニメ企画者へ

永井の更なる飞跃となったのは、东映动画とNET(后のテレビ朝日)にてアニメ化された代表作『デビルマン』(1972年-)である。前年発表の『魔王ダンテ』を基にした作品との依頼だった。この作品では「神」が必ずしも「絶対善」ではないという着想が描かれていたが、アニメ『デビルマン』は、悪魔と合体しながら苦悩しつつ人间であろうとする斩新な设置の主人公をベースに、ヒーロー作品としてリメイクすることを依頼され企画したという(なお、当时『魔王ダンテ』の掲载志编集长であった内田胜の自着などによると、そもそもヒーローコミックとして位置付けていたという)。

アニメと同时にマンガ连载(『周刊少年マガジン』)されたこの作品では、悪魔による侵略・种族の存続を赌けたヒーローの戦いを描くゴシックホラー调から、连载中期以降は人间同士の信頼感という常识が崩れていく様を描く一种のポリティカルフィクションによる展开へと移っていく。同じ人间の手によるヒロイン杀害という、『ハレンチ学园』の时すら避けられていた冲撃的な结末をもって后にSFマンガのスタンダードと数えられる作品となった。

以后、永井を中心としたダイナミックプロの企画阵は、东映动画とのタッグで本格的な操縦者搭乗型ロボット作品のパイオニア『マジンガーZ』(1972年-)、妖怪モチーフの70年代的アップ・トゥ・デート『ドロロンえん魔くん』(1973年-)、戦うヒロインの草分け『キューティーハニー』(1973年-)、初の合体ロボット作品『ゲッターロボ』(1974年-、石川贤と共作)などの作品群を生み出し、ヒットキャラクターメーカーとして70年代を駆け抜ける。

ことに『マジンガーZ』では玩具メーカーバンダイ(ポピー)と出会い、玩具ブランド「超合金 (玩具)」をはじめとした商品展开と、マンガ・アニメ・グラフ记事などが连动した、メディアミックスでのマーチャンダイジングを讲谈社テレビマガジン』の志上企画として展开。この分野の推进役としても重要な役割を果たした。ここで毎回の企画记事を构成していたのが、ダイナミックプロとともにアニメ企画・版権管理会社として设立されたダイナミック企画である。无敌の「超合金」や无尽蔵な梦の「光子力エネルギー」などのパワーを表すガジェットは、万博前后の科学礼賛・成长幻想の産物だが、マンガもアニメも作品自体はそれに冷や水を浴びせるかのような描写がたびたびされ、その超人的なパワーを敌を倒すために使うか、自分の欲望の为に使うかは主人公の自由という、本质的には正义も悪も奋うのは暴力という一贯したテーマが见て取れる。

[编集] 『バイオレンスジャック』以后

永井とダイナミックプロのアニメが次々と放送される中、永井自身の漫画作品はむしろそれとは全くベクトルを别にしながら展开していた。1973年には、后に掲载雑志を変えながら2005年まで発表され続けている、地震で崩壊した世界が再生の道を探りながら混沌の暴力の涡にある『バイオレンスジャック』、それとは全く逆に个人の内面が现実世界に影响を与え鬼の世界を现出させる『手天童子』などの伝奇SFを描く。

その间にギャグマンガとしても、『オモライくん』の学园マンガ版として始まりながら、エロチックなギャグと悪乗りで暴走した挙句『デビルマン』のような人类灭亡をまたも起こす『イヤハヤ南友』(1974年-)や、「顔を隠して体隠さず」とマスクとマフラー以外は全裸という常轨を逸した究极のヒロインが戦う『けっこう仮面』(1974年-)、男子生徒が女子として学园生活を送って騒ぎを起こす『おいら女蛮』(1974年-)など、常识をあっけらかんと覆す世界も展开した。

1979年には青年マンガ志の诞生とともに、得意のエロチックギャグ作品『花平バズーガ』(原作:小池一夫)をいち早く连载。少年志では学园マンガという舞台で、初恋の相手がレイプという屈辱を受けるという性表现の限界に挑みながら、一个人の内的世界が现実を破壊しつくしてしまうという超能力マンガ『凄ノ王』を発表する。この『凄ノ王』により1980年讲谈社漫画赏を受赏。だがこの作品は主人公の怒りと悲しみが世界を破壊したところで唐突に终了、永井はそれを予め决めていた流れと语ったが、読者の间では必ずしもそう受け止めるばかりではなく、賛否両论であった。

このような読者の判断が賛否に分かれる例は、『デビルマン』とつながった『バイオレンスジャック』のラストや、讲谈社の企画主导で一种のパラレルワールドとして始まりながら永井の悪魔モチーフ作品を大きく缠め上げた『デビルマンレディー』の展开でも缲り返され、永井自身の言うように「先を决めずに」连载しながらその后の展开を読者の反応とともに创っていく永井の作风から生まれる特徴であった。

[编集] 世纪末から21世纪

1997年银座にて「永井豪原画展」、続く1998年「永井豪と世纪末展」という企画展が催され、それまでの漫画家・アニメ企画者としての永井の业绩が初めてまとまった形で再评価された。

またこれ以后、その卓抜したキャラクターを他作家の笔により展开させた『ネオデビルマン』(复数作家竞作)『AMON デビルマン黙示録』(衣谷游)、『キューティーハニー a GO GO!』(伊藤伸平庵野秀明)、『マジンガーエンジェル』(新名昭彦)などのプロデュース作品も生まれている。特に『ダイナミックヒーローズ』(越智一裕)は70年代の永井ヒーロー作品があえて东映动画のタッチで描かれるという试みがなされており、往年の作品の影响力を窥わせた。

永井自身は21世纪に入って还暦を迎えても、少年志から青年志と広く作品を発表、今まで描いてきたホラー调作品やギャグマンガ、ロボット作品などの他、『伊达政宗』『北条早云』『前田利家』といった戦国时代に実在した人物のマンガ化に挑むなど、旺盛なマンガ家活动を続けている。

[编集] 作风

永井は一般に「手冢以后」といわれる戦后期に新闻漫画、书店・贷本店作品といった様々な形态のマンガ作品を読者として経験した上で送り手となった最初の世代のマンガ家である。例えば自身も影响を受けたと语るように、手冢的なディズニーの影响下にある文法とともに、白土三平的な筋肉を持ち血の出るリアリティを持った形式も等価に受け取っている。永井のデビュー当时にあった他のマンガ文法と比较すると、永井のタッチはリアルとギャグ両方の要素を持った独特のデフォルメである。また贷本赤本时代の、単行本をまとめて「読ませる」タイプの作家とは异なり、主に周刊连载という形式で「引っ张る」作风をメインとしている。

1ページ内のコマ数が少なく(つまりコマ割りが大きめで)、コマ枠も登场人物も线が太い。时にはセリフや拟音ばかりか、登场人物までもがコマからはみ出す。1コマが见开き2ページにも及ぶこともある。ストーリー展开は速く、セリフも分かりやすく明快。メカや背景もリアルに描かれている。それでいて剧画ではない。こういった手法は、永井が通用にしたともいえる。

また、彼はギャグ漫画からはじめたせいか、シビアなストーリーの途中に、ユニークなキャラクター性を持った登场人物の行动や発言であったりなど、主人公すら巻き込んでしまうギャグのシーンを入れてしまうという事を初めて完成された形で持ち込んだ。

[编集] 作品リスト

[编集] 漫画作品

これらの他、短编が多数存在する。

[编集] 五十音顺

[编集] 外部原作者作品

[编集] ダイナミックプロ内原作付きないし共作作品

[编集] アニメ作品

[编集] 他作家との共作

[编集] その他

主に、マンガ本のアニメ化。1990年代末期に制作された、「デビルマンレディー」のTV放映を契机として、「ゲッターロボ・シリーズ」や「マジンガー・シリーズ」等、大人が见ても耐えうるビデオ(现在はDVD化)のみのアニメ作品の制作も顺次行われている。

[编集] 実写作品

[编集] TVドラマ・実写ビデオ等

[编集] 実写映画

[编集] 挿絵・イラスト

[编集] アニメ作品の特徴

1970年代から1980年代にかけての永井豪原作のアニメ作品の多くは、既に発表されたマンガ作品をアニメ化したものではない。まず、テレビアニメの企画が最初にあって、アニメ制作会社などからの依頼を受けた永井らがアニメスタッフと共同でストーリーや设置を考案し、原作者の役割を果たした。よって、テレビアニメの放映と并行して掲载された永井やダイナミックプロのマンガ家によって描かれたマンガ作品はいわゆる原作にはあたらない。当初のアニメ企画とは别个の作品となってしまった『デビルマン』は例外として、『マジンガーZ』『キューティーハニー』『ゲッターロボ』『ドロロンえん魔くん』はいずれも厳密にはテレビアニメの企画を元にしたコミカライズという位置付けである。

永井の作品のアニメは、明らかにロボットものを含めSF作品が多い。多少、子供向けになってしまっているものも、それら初期作品には多い。 最近のリメイク版ビデオ作品には、大人が见てもハードな内容のものもある。また、原作本自体や最近のビデオ版に焼き直した作品の中には、大人が见ても耻ずかしくない作品も少なくない。逆に、子供では理解の出来ない作品も多い。『マジンガーZ』が当时スペインでの最高视聴率80%を、『UFOロボ グレンダイザー』が、フランスで放送されたさいには最高视聴率100%を记録した、という逸话もあるほど、当时日本で放映されたTVアニメ作品ですら、诸外国にとっては、新鲜で画期的で、かつ、センセーショナルであった。

东映自体の企画なのか、永井やダイナミック・プロ侧の発想なのかは不明ではあるが、映画版のみの特别编『マジンガーZ対デビルマン』『グレートマジンガー対ゲッターロボ』などといった一连の诸作品も、当时の子供心をくすぐる企画であった。それまでは、こういった、异なった番组の主人公が、同じドラマのストーリーの中でからむという発想もあまりなかった。

[编集] ダイナミックプロ

永井の率いる漫画プロダクションが「ダイナミックプロ」である(1968年设立)。时期や作品により永井とダイナミックプロとの距离感は様々であるが、初期においては永井自身の志向で、最初の読者であり、作家性に激しく影响を与え合うプロ作家集団であり、アシスタントもするという位置づけだった。また、作品によっては永井名でありつつも、かなりシステマティックに互いの得意领分を担当しあいながら作られたものもある。极端な例では、「幻六郎」というプロ内の特定ユニットとしての集団ペンネームを用いた场合もある。

実际には、マンガ家だけでなく文笔家としての作家もダイナミックプロには所属しており、例えば永井の実兄である永井泰宇(高円寺博)や、永井豪ファンクラブからプロとなった団龙彦もマンガ原作者・作家としてダイナミックプロの一翼を担ってきた。

永井の多くの作品に「とダイナミックプロ」と付けられているのは、彼らプロ集団が全体として企画を形作り、作品を生み出す作家表现へと収敛してきたことを意味する。ただ、その関わり方としては、着想の1アイデアから场合によっては「原作」やペン入れ、通常のアシスタントなど多岐に渡り、一つのメソッドに基づいたものがあるというわけではない。

[编集] アシスタント経験者

[编集] 主な出演

[编集] 関连项目

[编集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

[编集] 脚注

  1. ^ a b 日刊スポーツ 漫画革命40年 永井豪特集