江の岛

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江の岛
座标 北纬35度17分59.91秒
东経139度28分43.1秒
面积 0.38km²
海岸线长 4km
最高标高 60.4m
所在海域 相模湾
所属国・地域 日本神奈川県
  
江の岛
全岛の航空写真。国土交通省 国土画像情报(カラー空中写真)を元に作成。
葛饰北斎「富岳三十六景」より相州江の岛

江の岛(えのしま、 江ノ岛)は神奈川県藤沢市にある周囲4km标高60mほどの陆繋岛である。このあたりの丘陵地と同様に凝灰砂岩の上に関东ローム层が乗る地质である。古来は引き潮の时のみ洲鼻(すばな)という砂嘴(さし)が现れて対岸の湘南海岸と地続きとなって歩いて渡ることができた。関东地震で岛全体が隆起して以降は地続き倾向にある。対岸の片瀬川河口付近の形状が时代とともに変迁し、満潮のときのみ冠水した时期、常时陆続きとなった时期とあり、砂嘴の位置も移动している。湘南のシンボルでもある。神奈川県指定史迹・名胜日本百景

目次

[编集] 歴史

[编集] 施设

[编集] 交通

江の岛弁天桥(左)と江の岛大桥
  • 1216年:干潮时に徒歩で江の岛に行けるようになる。
  • 1897年:村営(当时は川口村)で、初めて桥が架けられる。往复3銭徴収。
  • 1930年:桥が県営になる。往复2徴収。
  • 1949年3月:桥桁がコンクリート制、上部が木制の桥に改筑し、一般公募により「江の岛弁天桥」と命名。往复大人5、子供3円徴収。
  • 1958年:鉄筋コンクリート制(全长389m、幅4m)の现在の江の岛弁天桥が架けられる。
  • 1962年:自动车専用の江の岛大桥(神奈川県道305号江の岛线)が架けられ、江の岛弁天桥は人道桥となり、料金徴収を廃止する。

[编集] 鉄道

最寄り駅
利用目的によっては有用な駅。

[编集] バス路线

江の岛大桥のたもとにバスターミナルがあり、ほとんどのバスがここで折り返すが、江ノ电バス1往复のみ、さらに岛内を湘南港まで运行する。

[编集] 道路

国道134号より、江の岛弁天桥(歩行者、自転车専用)と自动车専用道路神奈川県道305号江の岛线(江の岛大桥)がある。

[编集] 江の岛の地域猫

地域猫の避妊费用を募る募金箱。(普段は募金箱の周囲に猫がたむろしているため、「危険だから(猫に)触れないように」と注意书きがされている)
観光客の前で无防备な姿を见せる猫。なお写真には写っていないが、お堂の脇に饵场がある(圣天岛付近にて撮影)

80年代顷から江の岛では舍てが急増し、现在では至る所で多数の野良猫を见かけるようになった。なお猫好きな観光客や钓り人がエサを与えるなどしたため、ほとんどの猫は人を恐れない。岛内の至る所で猫が无防备な姿でいるため、猫好きの人间もよく访れる。

一部でこれらの野良猫を観光资源ととらえて新たな江の岛名物とする动きがある。饵场をつくり猫に饵を与えたりする一方で、野良猫に避妊手术を行うための募金活动を行ったり、全岛に犬・猫を舍てないよう诉える看板を掲示するなど、これ以上野良猫が増えないような対策も并行的に进められている。いわば岛民一体になって野良猫の地域猫化を进めていると言えよう。

[编集] 地名表记

しばしば表记が揺れる「江ノ岛」と「江の岛」だが、1966年10月の藤沢市が行った住居表示の改订(この前后に行われた改订で藤沢市内の地名の送りがなは全てひらがなに统一された)により正式な地名としているのは「江の岛」である。これは时代によってその表记が「江乃岛」「江之岛」「江ノ岛」「江の岛」などと変わっていることにも起因している。 なお、江ノ岛电鉄小田急江ノ岛线の駅名はそれぞれ「江ノ岛駅」「片瀬江ノ岛駅」であるが、湘南モノレールの駅名は「湘南江の岛駅」となっている。一方、神社名は江岛神社で「えのしまじんじゃ」と読ませる。また、「柄岛」「絵岛」という表记も见られた。

[编集] 文化

[编集] 音楽

  • 『江ノ岛の曲』- 山田流筝曲1777年安永6年) 山田検校作曲。江戸で活跃した盲人音楽家、山田検校(1757年宝暦7年)- 1814年文化14年))の処女作品。この曲において浄瑠璃を取り入れた当时では新しいスタイルの筝曲を确立、山田流を创始した。初夏の江ノ岛の风景をうたい、贝の名を连ねた「贝づくし」や竜の口の伝説などを织り交ぜつつ弁财天の神徳を讃えた曲。
  • 『春の江ノ岛』- 筝曲、1935年昭和10年) 富崎春升(とみさき しゅんしょう) 作曲、笹川临风作词。江岛神社亥歳大祭に奉纳するため作曲された。江ノ岛、湘南ののどかな春景色と弁财天の神徳を咏っている。手事物形式で手事は二段あり互いに合奏できるほか、雅楽を模した「楽の手」が特徴的。作曲者により胡弓の手も付けられている。
  • 『七里ヶ浜の哀歌』(真白き富士の岭(根)) 作词:三角锡子 作曲:ジェレマイア・インガルス。1910年(明治43年) 1月23日に起こった逗子开成中学のボート転覆事故の追悼大法会のために、系列校である鎌仓女学校 (现 鎌仓女学院) の数学教师だった三角锡子がインガルス曲の讃美歌に作词し、鎌仓女学校生徒らにより、镇魂歌としてこの歌が初演された。后にレコード化され、楽谱も出版されたため、演歌师らにより大流行し、多くの国民に「江の岛」の存在を印象づけることとなった。
  • 『竜恋谱』(グランド・オペラ) 原作:渡辺俊 作:堂本正树 作曲:三枝成彰1979年3月、藤沢市民オペラの第4回公演(藤沢市民会馆开馆10周年记念公演)で福永阳一郎指挥により初演された。市民创作オペラと铭打ち、「江嶋縁起」から题材を得て市民の渡辺俊が応募した作品を堂本正树三枝成彰の手でグランド・オペラに仕上げたもの。

[编集] 関连项目

[编集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

[编集] 脚注

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  1. ^ 昭和9年、文部省告示第312号
  2. ^ 昭和35年6月29日、文化财保护委员会告示第33号