滋贺県

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滋贺県
しがけん
地方 近畿地方
団体コード 025000-7
ISO 3166-2 JP-25
面积 4,017.36km²
※境界未定部分あり
総人口 1,401,073
推计人口、2008年10月1日)
人口密度 349人/km²
隣接都道府県 京都府三重県福井県岐阜県
県の木 モミジ
県の花 シャクナゲ
県の鸟 カイツブリ
他のシンボル
知事 嘉田由纪子
滋贺県庁
所在地 〒520-8577  滋贺県
大津市京町4丁目1番1号
电话番号 077-524-1121
外部リンク 滋贺県庁
滋贺県の位置
特记事项 :

滋贺県行政区画図

:市 / :町
滋贺県県旗

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Template (ノート 解説) 都道府県ポータル

滋贺県(しがけん、英称Shiga Prefecture)は、琵琶湖を取り囲んでいる近畿地方内陆県県庁所在地大津市

目次

[编集] 概要

面积は全国で10番目に狭く、内陆県では埼玉県に次いで狭い。可住地面积では大阪府より狭い。领域は令制国近江国と一致する。

面积の大半を山地琵琶湖とで占める。琵琶湖は県総面积の1/6程度である。滋贺県を指して「湖国」と呼ぶ例も多い。琵琶湖の存在により、内陆県の中で唯一渔港を持ち、その数も20港と、海に面する5府県より多い。琵琶湖は约1400万人の饮み水にもなっている。日本海が海上流通の中心だった明治以前には、若狭湾で陆扬げされた物资が琵琶湖を通じて当时の首都、さらには淀川経由で大坂方面へと运ばれており、内水系の重要港湾が数多く存在した。また、东海道东山道中山道)・北陆道の合流地域でもあり、陆上流通の要冲でもあった。そのため、近江商人と呼ばれる本県出身の流通业者が全国各地で活跃するに至った。

海上流通で汽船、陆上流通で鉄道が発达した明治以降、本県内での陆运と舟运、陆运同士などの积み替え需要が激减し、物流が通过するだけの県になってしまった。その后、トラック流通の兴隆で、近畿地方の流通拠点が设けられるようになり、それに伴って工场の进出も进んだ。これらの就业者や、従来からの京都市ベッドタウンの役割(京都都市圏)、さらに、JR西日本アーバンネットワークの影响もある大阪都市圏などのベッドタウンの役割も加わり、人口増加が见られる。そのため、「将来推计人口」が増加すると见られる全国でも数少ない県として、冲縄県とともに语られることがある。

なお、県名の「滋贺」は、県庁所在地の大津が属していた滋贺郡から取ったものである。

[编集] 地理

[编集] 位置

滋贺県の航空写真
甲良町付近の近江盆地

琵琶湖を中心にして、东を伊吹山地に、西を比良山地に、南を铃鹿山脉に、北を野坂山地に囲まれている。

[编集] 地形

[编集] 気候

南部は典型的な内陆性気候である。ただし、北部や西部では日本海侧気候の影响を强く受けており、それらの地域は豪雪地帯に指定されている。なかでも県最北端の余呉町は降雪量が多く、特别豪雪地帯に指定されている。1981年には余呉町中河内地区で积雪量6m55cmを记録している[1]

[编集] 自然公园

国定公园
県立自然公园
  • 三上・田上・信楽県立自然公园
  • 朽木・葛川県立自然公园
  • 湖东県立自然公园

[编集] 歴史

滋贺県は、古くから开発されて日本の国政に関わって来た地域であり、「近畿」の字の如く、「の近く」として発展した。

延暦寺横川中堂
安土城大手道
近江八幡市新町通り

[编集] 古代から平安时代まで

国造が分立した时代には、滋贺県はヤマト王権の领土に入っていた。平安京が建设される前には、近江京紫香楽宫が设置されたこともある。

大海人皇子大友皇子の皇位継承を巡る壬申の乱藤原仲麻吕の乱といった戦乱の舞台に度々なることもあった。

平安时代中期より佐々木氏が近江に起こった。この佐々木氏は、源頼朝関东で勃兴するとこれに积极的に加わり、近江一国の守护职を得た。以降、六角氏京极氏と分かれながら、佐々木一族は、戦国时代に至るまで近江国を支配した。南北朝期には、ばさら大名で有名な佐々木导誉(高氏)が出て京极家の势威を伸ばした。

本愿寺莲如の大布教が始まると、大津は一向宗色が强くなった。このため、これを喜ばない比叡山が度々攻撃を仕挂けた。比叡山东麓の坂本は、一向宗の坚田と経済的にも対立していたことから、両者の抗争は频繁であった。この后に莲如は、大津に一向宗拠点を构えたため、大津が栄えることとなった[要出典]

[编集] 戦国时代

戦国时代に入ると、北近江に浅井氏が台头する。形の上で京极氏を奉じた浅井氏は南近江を领する六角氏と抗争する。织田信长と结んだ浅井长政に至って六角氏を駆逐するが、后に将军の信长包囲网に加わって信长に抵抗、1573年に灭亡する。

近江国を支配圏に入れた信长は、根拠地として近江盆地安土城を建设する。信长の死后は、畿内を地盘とする羽柴秀吉と、北の庄(越前)を地盘とする柴田胜家の系争の舞台となり、近江北端部で行われた贱ヶ岳の戦いにおける秀吉の胜利で决着が着けられた。秀吉は初めての领地が长浜であった関系もあり、多数の近江国民を主に事务方として登用した。石田三成もその一人である。

しかしそのことによって生じた近江阀と秀吉出身地の尾张阀の対立が、旧不破関(近江国と美浓国の境)で行われた関ヶ原の戦いを促したとも言われる。[要出典]

[编集] 江戸时代

徳川家康は、徳川氏における精鋭军を率いる井伊氏を、関ヶ原に近い彦根に入封させて西国の抑えとし、北近江は彦根藩の领土となった。また、江戸时代にあった藩として、膳所藩(ぜぜ)、水口藩大沟藩西大路藩宫川藩山上藩三上藩、交代寄合の最上家の大森阵屋、交代寄合の朽木家の朽木阵屋があった。江戸时代初期には将军上洛用御殿が近江国内に水口城のほかに、永原御殿、伊庭御殿、柏原御殿があったが、3代将军家光以降、上洛も途切れ御殿も次第に老朽化して、廃れていった。

また、鎌仓时代から続く商工业が江戸时代には飞跃的に発达し、犬上・爱知・神崎・蒲生・高岛の各郡、特に近江八幡などからは近江商人を多く辈出した。

[编集] 近代

廃藩置県后、1876年8月21日敦贺県が分割され、岭南が滋贺県に编入したため、若狭湾に面していた时期もあった[2]。しかし、4年半后の1881年2月7日に、福井県が発足した际に、岭南が滋贺県から分离されたことにより、内陆県である现在の领域となった。

[编集] 人口

[编集] 年齢构成

年齢5歳阶级别人口
2004年10月1日现在推计人口
総计 [単位 千人]

年齢 人口
0 - 4歳 画像:g50.png画像:g05.png画像:g03.png画像:g01.png 70
5 - 9 画像:g50.png画像:g10.png画像:g01.png 72
10 - 14 画像:g50.png画像:g10.png 71
15 - 19 画像:g50.png画像:g10.png画像:g05.png画像:g01.png画像:g01.png 79
20 - 24 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png画像:g05.png画像:g03.png画像:g01.png 93
25 - 29 画像:g50.png画像:g30.png画像:g03.png 98
30 - 34 画像:g50.png画像:g30.png画像:g10.png 106
35 - 39 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png画像:g05.png画像:g01.png画像:g01.png 91
40 - 44 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png画像:g01.png画像:g01.png 85
45 - 49 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png画像:g01.png 84
50 - 54 画像:g50.png画像:g30.png画像:g03.png 98
55 - 59 画像:g50.png画像:g30.png画像:g03.png画像:g01.png 99
60 - 64 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png画像:g03.png 86
65 - 69 画像:g50.png画像:g05.png画像:g01.png画像:g01.png 68
70 - 74 画像:g50.png画像:g01.png画像:g01.png 62
75 - 79 画像:g30.png画像:g10.png画像:g03.png 51
80歳以上 画像:g50.png 59

年齢5歳阶级别人口
2004年10月1日现在推计人口
男女别 [単位 千人]

年齢
36 画像:g30.png 0 - 4歳 画像:r10.png画像:r10.png画像:r05.png画像:r03.png 34
37 画像:g30.png画像:g01.png 5 - 9 画像:r10.png画像:r10.png画像:r05.png画像:r03.png画像:r01.png 35
36 画像:g30.png 10 - 14 画像:r10.png画像:r10.png画像:r05.png画像:r03.png画像:r01.png 35
41 画像:g30.png画像:g03.png画像:g01.png 15 - 19 画像:r30.png画像:r01.png画像:r01.png 38
48 画像:g30.png画像:g10.png 20 - 24 画像:r30.png画像:r05.png画像:r03.png 45
50 画像:g30.png画像:g10.png画像:g01.png画像:g01.png 25 - 29 画像:r30.png画像:r10.png 48
54 画像:g30.png画像:g10.png画像:g05.png 30 - 34 画像:r30.png画像:r10.png画像:r03.png画像:r01.png 52
46 画像:g30.png画像:g05.png画像:g03.png画像:g01.png 35 - 39 画像:r30.png画像:r05.png画像:r03.png 45
42 画像:g30.png画像:g05.png 40 - 44 画像:r30.png画像:r05.png画像:r01.png 43
42 画像:g30.png画像:g05.png 45 - 49 画像:r30.png画像:r05.png 42
49 画像:g30.png画像:g10.png画像:g01.png 50 - 54 画像:r30.png画像:r10.png画像:r01.png 49
50 画像:g30.png画像:g10.png画像:g01.png画像:g01.png 55 - 59 画像:r30.png画像:r10.png画像:r01.png 49
43 画像:g30.png画像:g05.png画像:g01.png 60 - 64 画像:r30.png画像:r05.png画像:r01.png 43
33 画像:g10.png画像:g10.png画像:g05.png画像:g03.png 65 - 69 画像:r10.png画像:r10.png画像:r05.png画像:r03.png画像:r01.png 35
29 画像:g10.png画像:g10.png画像:g03.png画像:g01.png 70 - 74 画像:r10.png画像:r10.png画像:r05.png画像:r03.png 33
22 画像:g10.png画像:g05.png画像:g03.png 75 - 79 画像:r10.png画像:r10.png画像:r03.png画像:r01.png 29
17 画像:g10.png画像:g03.png画像:g01.png 80歳以上 画像:r30.png画像:r05.png 42

滋贺県と全国の年齢别人口分布図(比较) 滋贺県の年齢・男女别人口分布図
紫色は滋贺県
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 1,079,898人
1985年 1,155,844人
1990年 1,222,411人
1995年 1,287,005人
2000年 1,342,832人
2005年 1,380,361人
総务省统计局 / 国势调査2005年

[编集] トピックス

平成20年2008年)8月1日现在の滋贺県の人口において、调査を开始した昭和35年1960年) 以降初めて140万人を超える。1,400,115人。都道府県别のランキングで29位。

[编集] 行政

[编集] 歴代知事(公选)

详细は滋贺県知事一覧を参照