漫画

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漫画(まんが)とは、狭义には笑いを企図した絵をいう。これは「戯画カリカチュア)」の概念と近い。また広义には、必ずしも笑いを目的としない「剧画」「ストーリー漫画」「コミック」(これも元来は、笑いと関系のある语)と呼ばれるものをも含む。

「漫画」という言叶は、1798年に発行された絵本『四时交加』の序文では、山东京伝により「気の向くままに描く」という意味の言叶として使用されている。1814年葛饰北斎北斎漫画により、戯画风のスケッチを指す「漫画」という言叶は広まった。现代的な意味で初めて「漫画」という用语を使用したのは、北泽楽天である。[1]

外来语である「アニメーション」(アニメ)という言叶が70年代后半に一般化する前には、アニメ作品、テレビアニメアニメ映画及び児童向けのドラマ特撮作品を含む)も「漫画」「まんが」「マンガ」と呼んでいた。(例「东映まんがまつり」「まんが日本昔ばなし」など)このため中高年を中心に今でもアニメや特撮番组を漫画、あるいはテレビまんがと呼ぶ者もいる。

ビジネスの世界では漫画絵のことをしばしば「ポンチ絵」と呼ぶ。これは、イギリスの风刺漫画雑志パンチをもとに日本国内で创刊された、日本最初の漫画雑志『ジャパン・パンチ』を语源する。

目次

[编集] 漫画の形式

漫画は、现时性と线上性とが复合した一连の絵である。现时性とは「その全てを一望して把握できること」、线上性とは「流れの中で部分を辿り、把握していくこと」である。法隆寺の落书きのような卑俗な笑いから、フランス革命前夜のビラのような体制への嘲笑であったり、また时に、ゴヤのような人间存在を揺るがす鋭いブラックユーモアであったりする。その歴史は长く、时代・地域・社会层によりさまざまな形で存在してきた。形式は极めて多様であり、厳格な定义は殆ど意味をなさない。

漫画は、简略化と事象の抽象化が特徴とされる。

[编集] 定义

ウィンザー・マッケイ 『Little Sammy Sneeze』
ウィンザー・マッケイ 『Little Sammy Sneeze』

少なくともあるメディアが「漫画」と呼ばれるための十分条件は次の4つであると言ってよい。これらを満たすメディアが漫画と呼ばれる事に违和感はないと思われる。

  1. 视覚情报をとして提示する(文章による説明ではない)。
  2. 絵は话の展开を动的に描写し、情报の本质部分を占める(挿絵とは异なる)。
  3. 聴覚情报は人物のセリフは文字として、音が拟音として表现される。ただし、音楽は拟音ではなく絵やコマの行间のようなもので表现される场合が多い。
  4. コマフキダシなど独特の形式に沿っている。

漫画では情报伝达に占める絵の重要性がきわめて大きく、情景や人物の动作などはその絵を提示する事で表现される。视覚芸术の一分野に位置づけられるが、一つの画面で完结しない「时间の継起性」において、时间の一瞬を切り取った(近代以降の)絵画とは区别され、一つの画面(フレーム)がコマを指すのか纸面を指すのか不确定なところに、フレームが一つしかない映画との区别がなされる。

本记事においては漫画と表记されているが、「マンガ」や「まんが」と表记される场合、これらの表记は意図的に用いられている场合もある。个々の评论家研究者によって定义は异なるが、漫画は一コマ漫画のような风刺的なもの、マンガはストーリーをともなうもの、といった区别が见られる场合がある。

漫画と他のメディアの比较
メディア 视覚情报の表现 聴覚情报の表现 画像の连続性
漫画 絵を提示 声は文字化
音は拟音
动的
絵本 絵の提示と文章での説明 声は文字化
音は文章表现か拟音
静的・挿絵的
小説 文章のみで説明
(挿絵が入る场合がある)
声は文字化
音は文章表现か拟音
なし(挿絵は静的)
オーディオドラマ 音声のみで説明 声も音も直接提示 なし
映画・アニメ・ドラマ 映像を直接提示 声も音も直接提示
テロップによって表现されることもある
动的・実时间的
纸芝居 絵を提示 声は読み手の発声
音は読み手の発声による文章表现か拟音
静的・挿絵的
絵画 絵を提示 なし 静的

[编集] 歴史

漫画発祥の时期と场所については、主に漫画の定义に依存する多数の异なった説が存在する。スコット・マクラウドを含む多くの研究者や文献は、エジプトのヒエログリフ、日本の絵巻物、ヨーロッパのステンドグラス、コロンブス到达以前の中央アメリカ大陆の絵物语、バイユーのタペストリーなどを、漫画の起源として挙げている。 しかしながら、ロジャー・セービンは、この见解は漫画を芸术形式として正当化するために、歴史的资料を漫画の系谱に位置づけようとする企てであると反论している。

现在の漫画(MANGA)の表现方法では、手冢治虫の「新宝岛」で使われた映画的表现が后の漫画家たちに大きな影响を与え、日本の漫画の表现技法として定着している。详细については日本の漫画日本の漫画の歴史へ。

[编集] 古代と中世

戯画的漫画は、その大衆的性格から(また时に体制批判的な内容から)、美术が権力者や宗教に従事していた古代や中世には、积极的に残される努力はされなかった。それ故に、作例がかなり限られてくる。日本の现存する最古の漫画の作例では、法隆寺に残された漫画が上げられる。また、古代エジプトの漫画としては、権力者を动物化して表现した漫画が広く知られている。これは壁画や壷絵等、复数残されている。古代ギリシアでも、壷絵には、割と多くの戯画的表现を见出すことが出来るが、古代世界で多くの漫画がのこされているのはポンペイである。この古代ローマ时代の地方都市は、町が、ある日突然に灰に埋もれたことから、普通では残ることのないような极々日常的な絵画や落书きの类まで残されている。これらは偶然に残されたこと、庶民的性格、おおらかな性の表现といった点で似ている。

また、宗教において写本画のごくごく目立たぬ部分に落书きがあったり、また、后期中世を通じて大量に流布していた木版画には、民衆的ユーモアを确认することができる。日本の仏典の端には、写学生の気晴らしと思われる漫画などが见られる。また、ゴシック末期の例えば、ショーンガウアーやボッスの作品には、様々な戯画的世界が见られる。 宗教関连では、仏教では、釈迦一代记曼荼罗が描かれた。これは、釈迦の両亲から、像の梦の妊娠に始まって、出家、涅盘までを、中央の釈迦を中心に、左下から反时计回りに展开したものである。一方、キリスト教では、イエスの物语を语り継ぐことが信仰の中心となったこともあり、十字架の道(Via Crucis)が多くの教会の内部(巡礼に仿うために、各柱の下)に描かれた。これは、イエスの死刑宣告から复活まで、14コマ+1コマで描くものであり、イエスやピラト、マリア、シモン、ベロニカなどのキャラクターが定型的に描かれる。これらを原点として、仏教でも、キリスト教でも、さまざまな时间的な物语が、絵や雕刻、ステンドグラスのコマ、ないし连続的展开によって説明される形式が确立されていた。ただし、当时の民衆は文字が読めない场合が多かったために、説明は、宗教家の活弁によって补われる必要があった。

后に日本では、日本における漫画の起源とも言われる信贵山縁起伴大纳言絵词鸟獣戯画等、絵巻物の杰作が生み出された。これらのうちには、现代でもなお通用する漫画的表现が见られる。

[编集] 近世

ルネサンス美术は、极めて多様な作例を残している。特に、16世纪以降は、美术に従事するものは个性的であることが优れていると考えられ、そのために、表现の幅が広げられた。レオナルド・ダ・ヴィンチは、奇妙・奇怪なものに非常に関心を示し、彼の手稿には、多くの戯画が残されている。レオナルドの兴味は、マニエリスムを予感させる。そしてもまた、民衆的な笑いのセンスが、芸术的な形に现れた时代でもあった。后期ルネサンスやマニエリスムには、下卑た笑い、エロティックなもの、世相批判的なもの、そういったまるでフランソワ・ラブレーの世界が、美术に展开し、枚挙に暇がない。それは漫画と密に通じている。代表的な美术家としては、ピーテル・ブリューゲル(父)、ジャック・カロジュリオ・ロマーノルーカス・クラーナハ(父)などがいる。カロや、クラーナハの场合、当时飞跃的に発展しつつあった印刷技术との関连においても重要である。

ウィリアム・ホガースによる连作『The Rake's Progress(道楽者のなりゆき)』(1733年)の最后の一枚
ウィリアム・ホガースによる连作『The Rake's Progress(道楽者のなりゆき)』(1733年)の最后の一枚

「コミック・アートの歴史」を着したR. セービンは、漫画は本质的に印刷媒体と関连付けられているという主张の下に、印刷术の発明により漫画の形式が具体化されたとの见解に立っている。したがって、印刷术に先立つすべての漫画のバリエーションは、あくまで漫画の先行形式であり、漫画の系谱に属するものとは见なせないとするのが、セービンの见解であった。

漫画の形式を备えていると见なせる、现在残されている初期の作品はフランシス・バーローによる『A True Narrative of the Horrid Hellish Popish Plot(恐るべき地狱のようなカトリック阴谋事件についての真実の物语)』(1682年)である。ウィリアム・ホガースの『The Punishments of Lemuel Gulliver(レミュエル・ガリヴァーの受难)』(1726年)も漫画と类似した形式を持つ初期の作品であるが、エディ・キャンベルは、これらの作品は漫画と言うよりも、风刺画の连作ではないかと反论している。この时期の特笔すべき制作者としては、トーマス・ローランドソン、ジャン・ヴァンデルフフト、ジェームズ・ギルレイ、ジョージ・クルックシャンクがいる。ローランドソンとギルレイは、それ以前に用いられていた见出しによるセリフの记述から、フキダシによる记述法を生み出したことにより特记される。

一例として、当时の政治を风刺したローランドソンの1782年の作品は、コマ漫画の初期の変化形であると见做せる。ローランドソンの作品により、絵物语としてのコマ漫画の形式が広まった。

[编集] 19世纪

ロドルフ・テプフェールによる絵物语『Histoire de monsieur Jabot(ジャボ氏物语)』(1833年)
ロドルフ・テプフェールによる絵物语『Histoire de monsieur Jabot(ジャボ氏物语)』(1833年

スイスの画家ロドルフ・テプフェールは、19世纪初期の漫画史における重要人物である。絵画とその下に添えられた説明文から成るテプフェールによる一连の挿絵つき読み物は、ヨーロッパとアメリカの様々な地域で出版された(ただし、この読み物にはまだフキダシは含まれていなかった)。当时の着作権法の不在により海贼出版されたこれらの翻訳版は、両大陆で漫画という形式を持つ作品のための市场を整えた。[2]

1845年に、テプフェールは自书『Essay on Physiognomics(人相学试论)』の「picture story(絵物语)」で、彼の考えを形式付けている。「絵物语を构筑し、しばしば淀となって沉んでいる素材から可能性を余さず引き出してやるのに、名匠の业を身に付ける必要はない。絵物语の构筑は、単に铅笔画で軽佻浮薄なカリカチュアを描き出すことではない。また、単に世间の噂话を物语にすることでも、駄洒落を絵画化することでもない。あなたは実际にある种の演剧を発明し、企画に沿った形で部品を配置し、全体を満足な形に整えねばならない。ただジョークを书き缀ったり、対句を缲り返したりするだけでは駄目なのだ。それが优れたものであるにせよ、劣ったものであるにせよ、真面目なものであるにせよ、马鹿げたものであるにせよ、狂ったものであるにせよ、正常なものであるにせよ、あなたは『本』を作るのである」[3]

美术史家エルンスト・ゴンブリッチは、テプフェールを新たな絵画言语の発明者として认识している。これは読者自身の想像力によって补われる、省略された表现形式であった。

ジョン・リーチによる风刺漫画『Substance and Shadow(実体と影)』(1843年)
ジョン・リーチによる风刺漫画『Substance and Shadow(実体と影)』(1843年

19世纪には、新闻纸上での风刺漫画が人気を博した。1841年、イギリスで风刺漫画雑志『パンチ』が创刊された。1843年に、『パンチ』は当时フレスコ画の下絵(カートゥーン)展示会を行っていたイギリスの国会议事堂を揶揄して、志上に掲载された风刺漫画を「カートゥーン(cartoon)」と名付けた。この用语は漫画を表す通用な英语となり、现代でも使われている。同种の风刺漫画雑志として、ヨーロッパ大陆ではドイツの『フリーゲンデ・ブレッター』やフランスの『シャリバリ』があり、アメリカ合衆国では『ジャッジ』と『パック』が人気を博していた。

1865年に、ドイツでヴィルヘルム・ブッシュによる『マックスとモーリッツ』が新闻纸上で発表された。この絵物语は漫画の重要な先駆作品であると考えられている。

この顷から中国では漫画の形式が整い始め、1927年には完成した。

1884年にイギリスで雑志形式により出版された『アリー・スローパーの半休日』は、特定の主人公(アリー・スローパー)による最初の连载漫画として评価されている。1890年には、イギリスで更に二册の漫画雑志『コミック・カッツ』と『イラストレーテッド・チップス』が登场した。これらの漫画はアメリカでも新闻连载された。これらの作品により、定期刊行雑志としてのブリティッシュ・コミックの伝统が确立された。

通用な基准による、特定の登场人物が登场する最初の成功した连载漫画は、アメリカのリチャード・F・アウトコールトによる连载一コマ漫画『ホーガンズ・アレイ』(1895年)か、ドイツ系アメリカ移民のルドルフ・ダークスによる连载コマ漫画『カッツェンジャマー・キッズ』(1897年)であった。『ホーガンズ・アレイ』の主人公であるイエロー・キッドの人気は连载された新闻の売り上げ拡大に贡献し、その他の连载漫画の诞生を促した。この漫画ブームは、大衆芸术としての漫画の始まりを示すものであった。

[编集] 20世纪

アメリカ合衆国において漫画を示す用语である「コミックス(comics)」は、ユーモラスな物语を特徴とした初期のコミック・ストリップ(新闻漫画)に用いられた形容词「滑稽な(comic)」に由来する。1929年に、アクション漫画である『バック・ロジャーズ』と『ターザン』の连载开始により、コミックはその分野を拡大し始めた。更に多くの漫画が诞生する内に、「コミックス」という用语は、やがて作品の内容よりも形式を指す用语となっていった。

又、1929年にはベルギーの新闻『ル・ヴァンティエーム・シェクル(20世纪新闻)』付録の白黒漫画で、タンタンが初登场した。タンタンの物语は1930年に『タンタンソビエトへ』の一册にまとめられ、ユーロピアン・コミックスのコミック・アルバムの形式で出版された。

その他にも、1929年には新闻漫画を再版した『ザ・ファニーズ』が出版されている。この漫画はアメリカ合衆国においてニューススタンドで発売された、最初の4色印刷の漫画として评価されており、タブロイド判のサイズで印刷されていた。この判型は当时の新闻の日曜版と混同されやすく、売り上げを伸ばせなかったため、36号で廃刊となった。

现在のアメリカン・コミックス形式で出版された最初の漫画は、日曜版のタブロイド判サイズを二つ折りにした形式による、『ファニーズ・オン・パレード』であった。ニューヨークのイースタン・カラー・プリンティング社で働いていたハリー・L・ウィルデンバーグとマックス・C・ゲインズにより、広告用の景品として1933年に出版されたこの雑志の成功は、同种の景品雑志出版の呼び水となった。やがてゲインズは余った雑志に10セントの価格を表示したカバーを挂けて、ニューススタンドで贩売することを思い付き、それらをすべて売り切った。これにより、イースタン社はニューススタンドで贩売される漫画雑志『フェイマス・ファニーズ』を1934年5月に创刊した。

1935年までの漫画は、主に当时のパルプ雑志に影响された独自の素材を利用していたが、この顷から漫画外の素材が漫画に用いられるようになった。ウィル・アイズナーは漫画外の素材を漫画に持ち込んだ漫画家であり、漫画外の素材を漫画に适用すべく改良し、漫画の文法を発明した事により高く评価されている。アイズナーにより案出された漫画の手法としては、场面を突然に切り替える「ジャンプ・カット」などがある。

アメリカでは1938年に、『アクション・コミックス』第1号でスーパーマンが初登场し、アメリカン・コミックスの黄金时代と呼ばれる期间が到来した。また同年にベルギーでは、バンド・デシネの特徴である周刊形式の漫画雑志『スピルー』が创刊された。

第二次世界大戦后の日本では、手冢治虫の「新宝岛」で使われた表现技法が后の漫画家たちに大きな影响を与え、现在まで日本の漫画の表现技法として定着している。详细については日本の漫画日本の漫画の歴史へ。

[编集] 各国の漫画

[编集] 関连项目

ウィキメディア・コモンズ

[编集] 参考文献

  1. ^ 清水 勲 『日本 漫画の事典』 p53-54およびp102-103 ISBN 4-385-15586-0
  2. ^ Beerbohm, Robert (2003) The Adventures of Obadiah Oldbuck Part III. The Search For Töpffer In America. Retrieved on May 30, 2005.
  3. ^ Weiss, E. Enter: The Comics, University of Nebraska Press, Lincoln, pp.4. (1969)

[编集] 外部リンク