琴光喜啓司

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琴光喜 啓司
四股名 琴光喜 啓司
本名 田宫 啓司
爱称 タミヤ、タミヤン、ミツキ
生年月日 1976年4月11日
出身 爱知県冈崎市
身长 181cm
体重 149kg
BMI 45.48
所属部屋 佐渡ケ岳部屋
得意技 右四つ、寄り、押し、上手出し投げ、下手投げ、内无双
成绩
现在の番付 大関
最高位 大関
生涯戦歴 496胜302败40休(58场所)
幕内戦歴 417胜279败40休(49场所)
优胜 幕内优胜1回
十両优胜1回
幕下优胜1回
殊勲赏2回、敢闘赏4回、技能赏7回
データ
初土俵 1999年3月场所(幕下60枚目格附出)
入幕 2000年5月场所
趣味 钓り、パチンコ
备考
金星3个(武蔵丸3)
2008年9月29日现在
  

琴光喜 啓司(ことみつき けいじ、本名:田宫 啓司(たみや けいじ)、1976年4月11日 - )は爱知県冈崎市出身(生まれは、同県豊田市)で佐渡ケ岳部屋所属の现役大相扑力士である。得意手は右四つ、寄り、押し、上手出し投げ下手投げ内无双。最高位は东大関身长181cm、体重156kg。趣味は钓りパチンコ。好きな食べ物は鶏の唐扬げ四股名は「光る相扑で観客を喜ばせる」という思いを込めて、「琴圭杰(ことかけつ)」「琴吉胜(こときっしょう)」「琴光喜」の3つの候补の中から选んで命名された。极度の近视で、土俵外では眼镜姿がトレードマークだったが、レーザー治疗を受け视力を大幅に回复させている。爱称は「タミヤ」、「タミヤン」、「ミツキ」。

目次

[编集] 来歴

[编集] 入门まで

トヨタ自动车相扑部监督の次男で、小学生から相扑を始め、高校は强豪鸟取城北高校へ相扑留学、2年生で高校横纲となり、将来を嘱望されるようになる。さらに日本大学へ进学し、本格的に才能が开花。ちなみに大学时代のチームメイトだった高见盛は、中学生时代からのライバルでもある。日大相扑部在籍中に27个のタイトルを获得し、佐渡ケ岳部屋に鸣り物入りで入门した。

若松(现・高砂)亲方(元大関・朝潮)には、高校卒业时から声をかけられていた。近畿大学OBの亲方が両亲と同郷(高知県)のためである。

[编集] 幕下付出、関脇へ

平成11年(1999年)3月场所、日大同期の加藤(后の高见盛)、高濵(后の濵锦)とともに幕下60枚目格付出初土俵。初土俵以后负け越し知らずで、平成12年(2000年)5月场所に初土俵から8场所目で入幕するも、场所直前の怪我で全休。再入幕の场所で、いきなり13胜2败というあわや事実上の新入幕优胜かという成绩を挙げ、三赏を総ナメにする。この场所西前头9枚目の位置だったが、1横纲武蔵丸)3大関出岛雅山武双山)を破ったことが评価されたか番付运が良かったか、小结を飞び越して関脇に升进した。事実上1场所での三役升进で阴の最短记録である。

[编集] スピード出世で大関挑戦へ

平成13年(2001年)9月场所は13胜2败をあげ、幕内在位7场所目という史上3位のスピードで初の幕内优胜を果たした(しかし优胜パレードはアメリカ同时多発テロの影响で自粛)。この场所を含め以后连続3场所の通算成绩は34胜11败(9月场所は13胜、11月场所は9胜、翌1月场所は12胜)を挙げたものの、当时大関が4人いたことや3场所前が平幕であったこと、および2场所前が9胜であったこと(平成以降に大関升进した力士は、を除いてすべて2场所前は10胜以上である)、また14日目に当时平幕の武雄山(琴光喜と同じ爱知県の豊桥市出身)に败れたことなどの原因により、相扑内容を问われて大関升进は见送られた。翌3月场所は13日目の取组中に下骨折するなど8胜に留まり、5月场所は公伤适用とならない全休だったため翌7月场所には平幕へ陥落、大関获りは完全に振り出しに戻った。

最初の大関获りの失败后は、怪我もあり低迷が続いた。また、平成15年(2003年)5月20日には痛めた右手术。时折优胜争いにからむ活跃を见せるが、上位では安定した成绩を続けられず负け越しも多かった。平成17年(2005年)5月场所小结で13胜をあげ、翌7月场所では地元での升进が期待され异常な热気につつまれたが、自灭して终盘巻き返したものの7胜8败と散々な成绩であった。翌9月场所は、东小结で9胜6败と胜ち越して再び関脇に复帰する。しかしそれ以降の8场所中7场所までが8胜7败という胜ち越しギリギリの成绩で、辛うじて関脇の地位を守り通すという状态が続いた。

[编集] 悲愿の大関升进

この间、弟弟子・琴欧洲の大関升进后と同様、前半は好调ながら后半急に失速するパターンが何场所も连続して続いていたが、平成19年(2007年)3月场所では10胜5败と约2年ぶりで2桁の胜ち星をあげた。そして翌5月场所も関脇の地位で12胜3败と活跃し、自身初の连続2桁胜利を达成。

そして翌7月场所、地元爱知で四度目の大関挑戦を迎える。かつては佐渡ヶ岳部屋の先辈力士である长谷川琴锦同様に、最强の関脇で终わってしまうのかと悬念されていたが、师匠の交代や琴欧洲の大関升进、琴奨菊の成长といった身辺の出来事に刺激される中、一时期の低迷を脱して成绩も安定感を増して来ていた。ここ3年余にわたって、三役の地位をほぼ守り通す中、関脇での连続2桁胜利を达成し、満を持しての大関挑戦となった。

その7月场所は初日から顺调に胜ち星を积み重ね、10日目には新横纲の白鹏を破り、初日からの连胜记録を自己最多の10とする。そして14日目にこの场所での13胜目と、関脇の地位で3场所通算35胜をあげ、悲愿の大関升进を决定的なものとした。しかし千秋楽、1败の状态で胜てば优胜の可能性があるという稀势の里戦に败れ优胜ならず。花道で涙をぬぐうシーンはファンの感动を诱った。场所后、理事会の承认を経てついに悲愿の大関升进を果たす。二代目増位山の31歳2ヶ月を1ヶ月上回る歴代最年长(年6场所制になってから)の新大関、また新入幕から所要44场所での升进という史上2位のスロー升进、日本人としては平成13年(2001年)11月场所后の栃东以来、约5年半ぶりの新大関となった。

7月25日に行われた大関の升进伝达式の口上は、亲方が原文を考え、それを自身がアレンジすればいいものだと勘违いしていた。慌てて佐渡ヶ岳亲方(元関脇・琴ノ若)に相谈すると「バカヤロー!」と一喝された。その注目の口上は「谨んでお受けいたします。いかなるときも力戦奋闘し相扑道に精进いたします」であった。大関升进伝达式后の记者会见で目标の大関について讯かれた际には、初土俵から大関升进まで91场所かかった雾岛(现・陆奥亲方)の名前を挙げ、豪快な吊り出しや同じ大関としての魅力や憧れを语った。この升进伝达式には相扑协会の计らいで先代佐渡ヶ岳(元横纲・琴樱)も同席したが、その弟子の晴れ姿を见たわずか三周间后の8月14日、先代はこの世を去った。

新大関の同年9月场所は优胜を期待されたが、10日目までに4败を吃して优胜争いから脱落、10胜5败に终わった。翌11月场所前には胆石を患っていることが判明し、稽古不足となったが、千秋楽に横纲白鹏を破るなど10胜を挙げる。场所后に胆石の除去手术を行った。

2008年1月场所はその手术による影响もあってか、千秋楽の给金相扑で安美锦に胜って8胜7败とようやく胜ち越し。3月场所は初日から3连败のスタート、8日目では2胜6败と苦しい星勘定となる。それでも、13日目に横纲朝青龙を上手出し投げで破り、対朝青龙戦の连败记録を28でストップさせた。14日目は横纲白鹏に败れ7胜7败となったが、千秋楽に千代大海を下し8胜7败で辛うじて胜ち越しを决めた。

翌5月场所も2日目から11日目まで白星と黒星の交互が続いて波に乗れなかった。13日目に横纲白鹏に胜ち琴欧洲の援护射撃で见せ场は作ったものの、3场所连続の千秋楽胜ち越しで8胜7败に终わった。

大関として初めて迎えた地元7月场所は、全胜で走る白鹏を追いかけ、优胜に准ずる11胜4败という成绩を挙げた。翌9月场所も11胜4败。现在、幕内连続胜ち越し记録は现役トップの19场所を継続中である。

[编集] 略歴

  • 初土俵…平成11年(1999年)3月场所
  • 新十両…平成11年(1999年)11月场所
  • 新入幕…平成12年(2000年)5月场所
  • 新三役…平成13年(2001年)1月场所
  • 幕内初优胜…平成13年(2001年)9月场所
  • 新大関…平成19年(2007年)9月场所←7月场所后に升进

[编集] 取り口

右四つ得意で右の下手が命纲。足腰は强く、差し身もよくて、両差し、あるいは右下手左前裈の形で一気に寄るのが理想。このように本来の相扑はスピード感のあるものなのだが、紧张に弱く考え込んでしまう性格から大事な一番で胜ち味が遅くなりがちである。突っ张りはないが、相扑の技术も一级品である。相手の突きを腕で跳ね上げる技术、廻しを切る技术は高く评価されている。内无双、出し投げなどの小技も駆使する。

[编集] エピソード

  • 横纲朝青龙とはライバルであり、大関争いをした时期もあった。土俵上では互いに闘志をむき出しにし、热戦が缲り広げられた。しかし琴光喜が両肘を故障したあたりから一気に水をあけられ、2008年1月场所终了时点で対朝青龙戦はついに28连败と幕内対戦成绩での连败记録のワースト记録にあと一つとなり(ワースト记録は栃光北の湖に対して吃した29连败)、対戦成绩は琴光喜の6胜31败となってしまったが、同年3月场所で5年半ぶりに胜って食いとどめた。
  • 普段は明るい性格で、バラエティ番组にも频繁に出演している。また、タレント中山秀征とは家族ぐるみの付き合いがあるという。
  • プロ野球中日ドラゴンズファンでも知られ、ナゴヤドームでの始球式を务めたことがある。同チームの立浪和义选手と亲交があることで有名。大関升进の伝达を受けた2007年7月25日にも中日対阪神タイガース戦をナゴヤドームで観戦していた。また、千叶ロッテマリーンズのファンである浅香山亲方(元関脇・琴锦)に诱われ、パ・リーグではロッテファン。
  • 新宿歌舞伎町キャバクラで泥酔し路上で転がっているところを周刊志に写真を撮られたことがある。
  • 额が极端に狭く、时津洋普天王と并ぶ狭さであると言えよう。また额の狭さのせいもあってか、大银杏を结うまでの所要年数が同期の高见盛と比べると长かった。
  • 爱子内亲王は相扑好きで有名だが、特に琴光喜がお気に入りらしい。皇太子徳仁亲王が「爱知に行く」と言ったら、「琴光喜のところ?」と寻ねたという(爱知県は琴光喜の出身地であるため)。
  • 公称身长は182cmであるが、実际の身长は180cmで、2cmサバを読んでいたことを自らテレビ番组のインタビューの中で明らかにした。
  • 2001年5月场所6日目の武双山戦で水入りとなったが、それでも决着がつかなかったため二番后に取り直しとなった。これは1978年3月场所7日目の旭国 - 魁杰戦以来23年ぶりの珍事だった。取り直しの一番では武双山に寄り切りで败れた。
  • 2004年5月场所から2005年1月场所まで5场所连続で小结に在位した。5场所连続小结在位は麒麟児(后の大関大麒麟)、土佐ノ海と并び歴代1位タイ。
  • 2006年5月场所から2007年1月场所まで5场所连続で雅山とともに関脇を务めた。5场所连続同じ力士が関脇を务めたのは131年振り。
  • 2007年7月场所をもって、関脇在位が22场所となった。これは部屋の先辈である长谷川と琴锦、また魁皇(现・大関)の21场所を抜いて歴代1位である。
  • デヴィ夫人から化粧回しが赠られている。
  • 団长 (安田大サーカス)は高校の2年先辈にあたる。団长の方は既にそのとき有名人だった琴光喜には恐れ多くて近寄れなかったというが、琴光喜の方は高校の学园祭で団长のコントを见たこともあるらしい。安田大サーカスが『第41回 上方漫才大赏』で奨励赏を受赏した时もプレゼンターとして駆けつけた。
  • 2008年に行われた初めてのモンゴル巡业は乗り継ぎ先のソウルで急性虫垂炎と诊断されて巡业は不参加となった(后に病名は尿管结石に订正された)。
  • 2008年9月场所前に婚约を発表した。

[编集] 幕内での场所别成绩

  • 通算成绩(2008年(平成20年)9月场所终了现在)
496胜 - 302败 - 40休场
优胜1回、殊勲赏2回、敢闘赏4回、技能赏7回、金星3个[1]
琴光喜啓司
一月场所
初场所(东京)
三月场所
春场所(大阪)
五月场所
夏场所(东京)
七月场所
名古屋场所(爱知)
九月场所
秋场所(东京)
十一月场所
九州场所(福冈)
2000年
(平成12年)
x x 休场 (十両) (十両) 东 前头 #9
13﹣2
2001年
(平成13年)
西 関脇
4﹣11
 
西 前头 #3
10﹣5
东 小结
9﹣6
西 関脇
6﹣9
 
东 前头 #2
13﹣2
西 関脇
9﹣6
 
2002年
(平成14年)
东 関脇
12﹣3
东 関脇
8﹣7[2]
 
休场 西 前头 #6
7﹣8
 
东 前头 #7
12﹣3
 
西 関脇
8﹣7
 
2003年
(平成15年)
西 関脇
9﹣6
 
西 関脇
6﹣9
 
东 前头 #2
0﹣5﹣10[2]
 
东 前头 #13
9﹣6
 
东 前头 #6
11﹣4
 
西 前头 #1
6﹣9
 
2004年
(平成16年)
西 前头 #4
13﹣2
西 関脇
7﹣8
 
西 小结
9﹣6
 
东 小结
7﹣8
 
西 小结
8﹣7
 
东 小结
10﹣5
 
2005年
(平成17年)
东 小结
7﹣8
 
东 前头
9﹣6
 
东 小结
13﹣2
西 関脇
7﹣8
 
东 小结
9﹣6
 
西 関脇
8﹣7
 
2006年
(平成18年)
东 関脇
8﹣7
 
西 関脇
8﹣7
 
东 関脇
8﹣7
 
西 関脇
8﹣7
 
西 関脇
8﹣7
 
西 関脇
9﹣6
 
2007年
(平成19年)
东 関脇
8﹣7
 
东 関脇
10﹣5
 
东 関脇
12﹣3
 
东 関脇
13﹣2
西 大関 #2
10﹣5
 
东 大関
10﹣5
 
2008年
(平成20年)
西 大関
8﹣7
 
西 大関
8﹣7
 
东 大関
8﹣7
 
西 大関
11﹣4
 
东 大関
11﹣4
 
x
各栏の数字は、「胜ち-负け-休场」を示す。    优胜 引退 十両・幕下

三赏 : =敢闘赏、=殊勲赏、=技能赏     その他 : =金星
番付阶级 : 幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口

幕内序列 : 横纲 - 大関 - 関脇 - 小结 - 前头(「#数字」は各位内の序列)


[编集] 主な力士との幕内対戦成绩

2008年9月场所终了现在

力士名 胜数 负数 力士名 胜数 负数 力士名 胜数 负数
旭天鹏 20 11 旭鹫山 11 3 鹤竜 3 2
栃乃洋 17 7 武雄山 5(1) 2 玉春日 4 0
时津海 3 5 霜凤 4 4 春日锦 3 1
海鹏 5 3 安美锦 15 4 把瑠都 3 0
闘牙 5 3 北胜力 9 3 豪栄道 2 1
隆乃若 6 3 高见盛 7 3 若ノ鹏 3 0
武蔵丸 3 7 岩木山 6(1) 8 豊响 1 0
贵乃花 0 4 朝赤龙 9 5
出岛 15 9 垣添 8 6
雅山 23(1) 13 豪风 7 1
武双山 10 7 黒海 13 6
千代大海 16 20 白鹏 8 15
魁皇 21(1) 14(1) 露鹏 8 5
若の里 17 13(1) 安马 9 9
贵ノ浪 3 6 普天王 6 2
栃栄 5 0 稀势の里 10 6
朝青龙 7 32 时天空 7 6
栃东 14(1) 10 豊真将 5 1
土佐ノ海 7 6 豊ノ岛 7 3
玉乃岛 13 6 栃煌山 2 0
※カッコ内は胜数、负数の中に占める不戦胜、不戦败の数。太字の力士は现役。

[编集] 主な成绩

2008年9月场所终了现在

  • 通算成绩:496胜302败40休(58场所)
  • 幕内成绩:417胜278败40休
  • 幕内在位:49场所
  • 三役在位:30场所(関脇22场所、小结8场所)(関脇在位は歴代1位)
  • 大関在位:7场所
  • 各段优胜
    • 幕内最高优胜:1回(2001年9月场所)
    • 十両优胜:1回 (2000年9月场所)
    • 幕下优胜:1回 (1999年7月场所)
  • 三赏:13回
    • 殊勲赏:2回(2000年11月场所、2001年9月场所)
    • 敢闘赏:4回(2000年11月场所、2002年9月场所、2004年1月场所、2007年7月场所)
    • 技能赏:7回(2000年11月场所、2001年3月场所、2001年5月场所、2001年9月场所、2002年1月场所、2005年5月场所、2007年7月场所)
  • 金星:3个(武蔵丸3个)

[编集] 改名歴

  • 田宫 啓司(たみや けいじ)
  • 琴田宫 啓司(ことたみや -)1999年3月场所-1999年9月场所
  • 琴光喜 啓司(ことみつき -)1999年11月场所-
※初期の四股名は田宫であったが、この四股名を土俵で使用することはなかった。

[编集] 脚注

  1. ^武蔵丸3个
  2. ^ a b 途中休场

[编集] 関连项目

[编集] 外部リンク

先代:
白鹏翔
大関
(在位:2007年9月-)
次代:
-