田岛山十一ヶ寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田岛山十一ヶ寺(たじまさんじゅういっかじ)は、东京都练马区にある、浄土宗田岛山の寺社で构成する寺町。
目次 |
[编集] 概要
浅草の誓愿寺塔头(たっちゅう)寺院が、现在地へ移り、通りの左右に连なって构成。いずれも、寺号は誓愿寺で、本山は知恩院である。
[编集] 构成寺院
[编集] 仁寿院
にんじゅいん。练马4-25-9。庆长2年(1597年)に、本莲社心誉祖源和尚が开基。本尊は、阿弥陀如来。
[编集] 迎接院
こうじょういん。练马4-25-6。寛文年间(1661年-1673年)に、浄可比丘(じょうかびくに)が开基。本尊は、阿弥陀如来。
[编集] 本性院
ほんしょういん。练马4-25-5。莲誉台休(れんよだいきゅう)和尚が开基。本尊は、阿弥陀如来。
[编集] 得生院
とくしょういん。练马4-25-3。龙誉(りゅうよ)上人が开基。本尊は、阿弥陀如来。
[编集] 九品院
くほんいん。练马4-25-1。庆长年间(1596年-1615年)に、本莲社正誉秀覚(しょうよしゅうがく)和尚が开基。本尊、诸仏として、阿弥陀如来、六朝慈母観音、荞麦喰地蔵がある。
[编集] 快楽院
けらくいん。练马4-26-15。文禄3年(1594年)に、翁誉文公和尚が开基。本尊は、阿弥陀如来。
[编集] 宗周院
そうしゅういん。练马4-26-17。寛永年间(1624年-1644年)に、仰莲社求誉古闲(こうれんしゃくよこかん)和尚が开基。本尊、诸仏として、阿弥陀如来、呑龙上人御分身がある。
[编集] 仮宿院
けしゅくいん。练马4-26-17。文禄4年(1595年)に、音誉(おんよ)上人が开基。本尊は、腹帯阿弥陀如来。
[编集] 受用院
じゅよういん。练马4-26-17。1626年(寛永3年)に、清誉(しょうよ)上人が开基。本尊は、阿弥陀如来。
[编集] 称名院
しょうみょういん。练马4-26-21。寛永年间(1624年-1644年)に、称西(しょうさい)上人が开基。本尊は、阿弥陀三尊。
[编集] 林宗院
りんそういん。练马4-26-22。元和3年(1617年)に、林宗上人が开基。本尊は、阿弥陀三尊。
[编集] 文化财
[编集] 小野兰山墓
当初、浅草にあったが、昭和2年(1927年)に、迎接院が浅草から移ったことに伴い、现在の迎接院墓地内へ移葬された。墓石には、考古学者の屋代弘贤がまとめた事迹が刻まれている。墓志铭にも、事迹がある。
东京都指定有形文化财(歴史资料)(「小野兰山墓及び墓志」として、平成20年(2008年)2月21日指定。东京都指定旧迹の「小野兰山墓」(大正13年(1924年)2月5日指定)を种别及び名称変更した。)および练马区登録史迹(昭和63年(1988年)登録)
[编集] 池永道云墓
当初、浅草にあったが、昭和2年(1927年)に、受用院が浅草から移ったことに伴い、现在の受用院墓地内へ移葬された。
东京都指定旧迹(昭和7年(1932年)7月1日指定)。练马区登録史迹(平成元年(1988年登録))。
[编集] 泽村宗十郎墓
泽村宗十郎 (初代)、泽村宗十郎 (3代目)(沢村田之助)、泽村宗十郎 (5代目)、泽村宗十郎 (7代目)、泽村宗十郎 (8代目)の墓が受用院にある。
[编集] その他着名人の墓
千叶周作(仁寿院)、青地宗白(医师)、植村淇园(儒学者)、燕栗园千寿(狂歌师)、冈部覚弥(日本美术院#正员。林宗院)、千金斉春芳(狂歌师)、土屋安亲(奈良安亲。林宗院)、岸本由豆流(林宗院)、小沢卜尺(俳人)、马场存义(俳人)。
[编集] 荞麦喰地蔵
将军延命厄难减除荞麦喰地蔵尊。元は西庆院にあり、昭和2年(1927年)から九品院。古くは、武家の信仰も深く、将军地蔵とも呼ばれた。
[编集] 歴史
- 文禄3年(1594年) - 相模国小田原に、誓愿寺が开祖。
- 文禄年间 - そば喰い地蔵を、誓愿寺境内に安置する。
- 文禄4年(1595年) - 仮宿院が、音誉上人(春察)により三州刈谷土井家の菩提所として创建される。
- 庆长元年(1596年) - 东誉上人が徳川家康より神田豊岛町(现在の须田町柳原付旧お玉ヶ池畔)に1万坪の土地を赐り、殿堂を移して元本坊誓愿寺を创建した。このとき塔头として仮宿院、得生院、徳寿院(现在は多磨霊园に移転)、西庆院(现在は九品院に合并)、快楽院を设けた。
- 庆长4年(1599年)9月 - 誓愿寺塔头として九品院が开山。
- 明暦3年(1657年) - 明暦の大火により消失し、再び徳川家の命により浅草田岛町に移転、本坊塔头を创建し、新たに本性院、宗周院、长安院、実昭院、长寿院を创建した。
- この间徳川家の外护、特に桂昌院のための菩提として御朱印3百石および别院屋敷として麻布田岛町(现在の北里研究所の地)等に土地を赐り、また代々本住职の牌所(隠居所)として仁寿院、称名院等が塔头として创立され、さらに常念仏道场として迎接院が创立した。
- 元禄11年(1698年) - 塔头として、快楽院、仁寿院、迎接院、林宗院、称名院、徳寿院、本性院、宗周院、得生院、西庆院、仮宿院、九品院、长安院、受用院、宝照院があった。
- 享保年间(1716年-1736年) - 徳川家十人衆(当时の御用商人)并びに土井家、本多家、狩谷家が各塔头を宿坊として外护に当った。各宿坊はそれぞれ有力な外护を持ったが、いずれも本坊の支配下にあり、各住职は本坊に轮番出勤する制度であった。
- 天保年间(1830年-1843年) - 悪疫流行时には、门前市をなす程の盛况だった。
- 途中、寺院の入れ替わりがあり、塔头は16院となった。
- 明治维新 - 改革により、御朱印地は、国に没収され、本坊の维持が困难となり、各院は本坊より别れて、各々ひとつの寺として独立し、従来の宿坊制度の各取次檀家は、各院所属の檀家となった。
- 明治末年 - 西庆院が、九品院に合并される。
- 大正12年(1923年) - 関东大震灾により、全院が焼失。
- 大正14年(1925年) - 関东大震灾后の区画整理に伴い、本坊の誓愿寺が、现在の府中市(多磨霊园正门前)に移転。现在は、誓愿寺と田岛山十一ヶ寺に関系はない。
- 昭和2年(1927年) - 墓地を现在地に移す。
- 昭和3年(1928年) - 塔头寺院(现在の田岛山十一ヶ寺)が、田岛町仮屋から现在地へ移転。
[编集] 所在地
- 东京都练马区练马4丁目25および26

