甲州街道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

甲州街道(こうしゅうかいどう)は、甲斐国山梨県)へつながる道。江戸幕府によって整备された五街道の1つである甲州街道が有名。

现在は国道20号がこの街道を継承している。特に新宿区四谷4丁目交差点よりも西の区间が、1962年4月25日东京都通称道路名として指定されている(设置公告番号15)。日野バイパスの全通により、2007年4月1日から国立市国立インター入口交差点~立川市日野桥交差点~八王子市高仓町西交差点が东京都道256号八王子国立线となった。

旧甲州街道・念珠坂(东京都八王子市里高尾町)

目次

[编集] 五街道の一つである甲州街道

江戸幕府によって整备された五街道の1つであり、江戸日本桥)から内藤新宿、八王子、甲府を経て信浓国の下诹访宿で中山道と合流するまで38の宿场が置かれた。甲州街道、甲州道中とも呼ばれた。中马による陆上运送が行われた。

江戸の町において阴阳道の四神相応で言うところの白虎がいる街道である。

[编集] 歴史

徳川家康の江戸入府に际し、江戸城陥落の际の甲府までの将军の避难路として使用されることを想定して造成された。これは、甲府城を有する甲府藩亲藩であることと、沿道の四谷に伊贺组・根来组・甲贺组・青木组(二十五骑组)の4组から成る鉄炮百人组が配置されており、鉄炮兵力が将军と共に甲府までいったん避难した后に江戸城夺还を図るためである。

参勤交代の际に利用した信浓高远藩高岛藩饭田藩である。それ以外の藩は中山道を利用した。下诹访宿から江戸までは甲州街道が距离はより短いが、物価が高いことや街道沿线のインフラ整备状况がその主な理由と言われる。尚、お茶壷道中は甲州街道を利用した。

この节は执笔の途中です この节は执笔中です。加笔、订正して下さる协力者を求めています。

[编集] 甲州街道の宿駅の一覧

日野宿本阵迹
驹木野宿迹碑
小仏宿迹付近
野田尻宿
犬目宿

平成の大合并により消灭した自治体に関しては旧自治体名も合わせて表记する。

  • 内藤新宿东京都新宿区
  • 高井戸宿(东京都杉并区)(※下高井戸・上高井戸と2つあり、半月ごとで交替)
  • 布田五宿(东京都调布市
    • 国领
    • 下布田
    • 上布田
    • 下石原
    • 上石原
  • 府中宿(东京都府中市
    • 新宿
    • 番(马)场町
    • 本宿
  • 日野宿(东京都日野市
  • 八王子横山十五宿(东京都八王子市
    • 十王堂宿(新町)
    • 横山宿
    • 八日市宿
    • 本宿
    • 八幡宿
    • 八木宿
    • 子安宿
    • 马乗宿
    • 小门宿
    • 本郷宿
    • 上野(上野原)宿
    • 横町
    • 寺町
    • 久保宿
    • 嶋坊(嶋野坊)宿
  • 驹木野宿(东京都八王子市)
  • 小仏宿(东京都八王子市)
  • 小原宿(神奈川県相模原市(旧・津久井郡相模湖町))
  • 与瀬宿(神奈川県相模原市(旧・津久井郡相模湖町))
  • 吉野宿(神奈川県相模原市(旧・津久井郡藤野町))
  • 関野宿(神奈川県相模原市(旧・津久井郡藤野町))
  • 上野原宿(山梨県上野原市(旧・北都留郡上野原町))
  • 鹤川宿(山梨県上野原市(旧・北都留郡上野原町))
  • 野田尻宿(山梨県上野原市(旧・北都留郡上野原町))
  • 犬目宿(山梨県上野原市(旧・北都留郡上野原町))
  • 鸟沢宿(山梨県大月市
  • 猿桥宿(山梨県大月市)
  • 驹桥宿(山梨県大月市)
  • 大月宿(山梨県大月市)
  • 花咲宿(山梨県大月市)
  • 下初狩宿(山梨県大月市)
  • 中初狩宿(山梨県大月市)
  • 白野宿(山梨県大月市)
  • 阿弥陀海道宿(山梨県大月市)
  • 黒野田宿(山梨県大月市)
  • 驹饲宿(山梨県甲州市(旧・东山梨郡大和村))
  • 鹤瀬宿(山梨県甲州市(旧・东山梨郡大和村))
  • 胜沼宿(山梨県甲州市(旧・东山梨郡胜沼町))
  • 栗原宿(山梨県山梨市
  • 石和宿(山梨県笛吹市(旧・东八代郡石和町))
  • 甲府宿(山梨県甲府市
  • 韮崎宿(山梨県韮崎市
  • 台ヶ原宿(山梨県北杜市(旧・北巨摩郡白州町))
  • 教来石宿(山梨県北杜市(旧・北巨摩郡白州町))
  • 茑木宿(长野県诹访郡富士见町
  • 金沢宿(长野県茅野市
  • 上诹访宿(长野県诹访市
  • 下诹访宿(长野県诹访郡下诹访町

[编集] 新旧の甲州街道

古道は现在の甲州街道(国道20号)と同一の部分もあるが、バイパスの完成などにより、并行する别の道となっている所がある。この场合、古い道を「旧甲州街道」などと呼ぶ。

起点は昔も今も日本桥で変わりはない。四谷大木戸、今日で言うなら四谷4丁目までの道筋も変わっていない。変わったことと言えば拡幅されたことと立ち并ぶ建物が高层ビルになったことぐらいだ。四谷大木戸から先で若干道筋が异なっている。今日の甲州街道は南寄りに走り新宿御苑の下をトンネルで通过する。かつての甲州街道は新宿通りと呼ばれている东京都道430号新宿停车场前线の方である。そして现在も店がある追分団子(追分とは分岐点の意)のある辺りで脇街道のひとつである青梅街道と分かれていた。

新宿御苑は高远藩内藤家の下屋敷迹でその一隅に宿场が设けられたので内藤新宿と言った。现在も御苑一帯は内藤町と呼ばれ町名に名残を残している。

环八を越えてすぐから京王线仙川駅の东方までは、旧甲州街道は国道20号と分かれて走っている。国道20号のほうは戦后つくられた新しい道筋である。

国领駅を越えたところで旧街道は再び20号と分かれる。旧街道、すなわち东京都道119号北浦上石原线には布田宿のあとがある。 东京都道229号府中调布线调布市下石原で新道から分かれて府中市本宿町で再び新道と合流しているが、この区间の中ほどにかつての府中宿があった。现在の京王线府中駅大国魂神社界隈である。

府中市本宿町を出た甲州街道が国立市に入るとすぐに国立インター入口交差点がある。ここから南侧に日野バイパスが分岐。国道20号はそちらを経由ルートとなり、以下に示す现甲州街道は东京都道256号八王子国立线に降格された。ただし甲州街道の通称はそのまま。つまり、ふたたび合流する八王子市高仓町西交差点までは甲州街道と国道20号は别の道である。

国立市谷保の谷保天満宫(やぼてんまんぐう)の北侧を通り日野桥交差点へ続く道筋は往时とほとんど変わっていない。ただ初期の甲州街道は天満宫の南侧を通っていたようだ。今日、甲州街道侧から天満宫にお参りするとダラダラした长い坂を下り、阶段を下って本殿に行き着く。南侧からなら入ってすぐのところに本殿がある。

今日の甲州街道は日野桥交差点で直角に左折しているが古い道は右手奥の奥多摩街道を少し进んだところで左に折れ、南に下がって多摩川を渡っていた。今日の东京都道149号立川日野线立日桥のやや下流のところで、「日野の渡し」という。日野宿が経営し、1925年(大正15年)に日野桥が挂けられるまでは日野町(现日野市)が経営に当たり料金を徴収していた。

现在の日野警察署の辺りから日野駅前东交差点まではかつての道筋のままである。日野宿の迹である。川崎街道を过ぎたところに本阵迹(旧佐藤彦五郎宅)が残っている。この建物は本阵としては东京都内で唯一现存するものである。荞麦屋として利用されていたものをNHK大河ドラマ新选组!』放映に合わせて日野市が买い取り一般公开されるようになった。その向かいの日野図书馆のところに问屋场と高札场が设けられていた。日野駅前东交差点を左折すると旧道となる。

八王子市に入るとすぐに高仓町西交差点がある。ここで日野バイパスと合流し、甲州街道はふたたび国道20号となる。现甲州街道は 浅川を大和田桥で渡るが、かつての大和田の渡しはより上流侧であったという。浅川を渡ると八王子横山宿である。

高仓町西交差点からの八王子市内は、ほぼ现在の国道20号と旧甲州街道は一致する。今日でも国道20号沿いには商店が并んでおり、八日町には「八日市宿迹」の碑が建つ。ただ、日本桥から11里を示す「竹の鼻一里冢」は国道20号よりやや北にある。これは初期の甲州街道はやや北寄りにあったことを示すものであると考えられる。

八王子横山宿は、八日市宿と横山宿を中心に15の宿があったため、八王子横山十五宿と呼ばれた。この宿は大久保长安が建设に尽力した街道中最大の宿である。八日市・横山・八幡などの地名は北条氏照八王子城の城下町、元八王子に由来するものである。また、八王子は徳川家康が武田氏の遗臣を召抱えて组织した八王子千人同心の本拠であったが、追分交差点付近に千人町という地名として名残を留めている。新旧の道が交わり、脇街道の阵马街道も分かれていく。八王子千人同心が日光勤番のために整备した日光脇往还もここから分岐する。 东浅川町、武蔵陵墓地へ向かう「多摩御陵入口」交差点の1つ先の信号で国道20号から右に分かれる路地があり、陵南大桥まで続いている。ここが旧甲州街道であり、八王子千人同心の屋敷であった家々が残っているため往时を偲ぶことができる。

相模湖方面へ抜けるルートは、现在では大垂水峠経由になっているが、かつては北寄りの小仏峠経由だった(中央自动车道中央本线は小仏峠の真下を小仏トンネルで通过している)。现在は小仏峠手前まで东京都道・神奈川県道516号浅川相模湖线となって続いている。沿道の驹木野には、「小仏関所迹」の碑がある。これは、もともと小仏峠にあった小仏関所(最初は富士见関所と言われたが、その后小仏関所となった)を、1616(元和2)年、驹木野に移したものである。驹木野移転后の関所も通称として小仏関所と呼ばれた。関所迹の公园は「驹木野宿迹」でもある。

东京都道・神奈川県道516号浅川相模湖线を西に进むと、中央自动车道圏央道を结ぶ八王子JCTが见える。ここを过ぎたあたりからが「小仏宿迹」である。道は景信山登山口付近から林道となり、次第に砂利道、登山道となる。この小仏峠までの登山道はハイカーも多く、舗装されていなかった时代の旧甲州街道を偲ばせる。

小仏峠は东京都神奈川県の県境となっており、この先は相模原市(旧相模湖町)である。小仏峠より先の旧甲州街道は中央自动车道の工事时に埋没してしまったため、登山道は底沢沿いに进み、国道20号の底沢桥へと続いている。底沢桥より国道20号を少し进むと、「小原宿迹」に着く。ここも日野宿同様本阵が残されている。神奈川県内唯一の本阵の建物で、相模湖町(当时)が买い取り一般公开している。毎年11月3日には「小原宿本阵祭」が开催され大名行列なども行われる。

神奈川県相模原市藤野町吉野で国道20号から左に分かれ、相模川を渡り相模川右岸の名仓地区を通る神奈川県道・山梨県道520号吉野上野原停车场线が旧甲州街道である。道は再度相模川を渡り、そこに架かる境川桥が、神奈川県と山梨県の県境である。山梨県侧である上野原市(旧上野原町)には相模国甲斐国の国境の防卫のために武田氏が筑いた「诹访の関」迹碑がある。

上野原市街地を抜けた甲州街道は、今では桂川の河岸段丘を急坂で下り左に折れ、鹤川→桂川沿いに进んでいる。かつての甲州街道は本町交差点の先にある国道20号・山梨県道・东京都道33号上野原あきる野线の分岐点の左手にある脇道に入り、さらに右に曲がって鹤川を渡り急峻な山间部を通って鸟沢に至る、ほぼ现在の山梨県道30号大月上野原线のルートである。一部は中央道の工事に际し埋没してしまったが、急峻な地形が仇となって整备を免れたところも多く、现在も往时の面影を残すものも多い。野田尻の东には甲斐・武蔵・相模の三国の境目に立てられた「长峰砦迹」がある。

今日の甲州街道は新笹子トンネルを通过するが、旧道は笹子峠を経由していた。现在、峠への道筋は山梨県道212号日影笹子线として残っている。また、この県道にほぼ平行して「笹子峠自然游歩道」がある。この游歩道が旧来の甲州街道にほぼ相当すると考えられる。街道を通る武士が武运を祈ったという「矢立の杉」もこの游歩道沿いにある。県道の顶上にある笹子隧道の直上が甲州街道最大の难所と言われた「笹子峠」(标高:1,096m)である。峠を越えると甲州市(旧・大和村)である。

上诹访宿からの道筋は、现在の诹访市大手の上诹访駅前の国道20号の北东侧を通り、吉田の松の前から山沿いの道として残っている。下诹访町境を越えて旧高木村(下诹访町高木)に入ってしばらくすると、南侧に诹访湖を见ることができる。旧高木村地区には通称「政屋」「桥本屋」と呼ばれた茶屋迹があり、明治天皇が巡幸の际に石を投げたと言われる石投げ场などがある。富部(とんべ)地区の五官地籍には、一里冢迹が残っている。诹访大社秋宫前を通过し、下诹访宿本阵の问屋场迹前(现在は聴泉阁かめやホテル前)で中山道に合流する。

この节は执笔の途中です この节は执笔中です。加笔、订正して下さる协力者を求めています。


[编集] その他の甲州街道

江戸と甲府を结ぶ新旧の甲州街道のほか、甲州へ向かう次の街道が甲州街道と呼ばれることがある。

[编集] 関连项目

他の言语