军服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
军服(ぐんぷく、英:Military uniform)とは军队の构成员(军人)が着用する制服をいう。広义においては近代以前の戦闘员の服装も含むが、通常は近代国家以降のそれをいうものであり、本项では后者の意味の范囲内において记述する。
军队の服制は、时代や国において非常に差があるが、通用には次のようになっている。但し、以下の记载はあくまでも代表的な军服についてであって、各国の军に対する位置づけによって差异が大きい。
なお、
- 戦闘时に着用する服装全般については戦闘服を参照。
- 各国の军服については各国军服関连记事一覧を参照。
目次 |
[编集] 総説
[编集] 変迁
西洋においては、封建制度の时代には军装が统一されることはなかったが、17世纪以降常备军の整备が进められたことで制服の统一も図られるようになった。制服着用のはしりはグスタフ・アドルフのスウェーデン军であると言われる。また、16世纪顷から铳の普及により甲冑が意味をなさなくなり、軽装となっていった。兜もすたれ、二角帽子などが使用された。当时の军服は、火薬の硝烟が漂う戦场の中で指挥官が部队を识别するため、派手な色合いのものが多かった。ただし、南北戦争の南军では灰色系统の军服を采用する部队が多かった。
普仏戦争の顷までは派手な军服を使用している国が多かったが、铳の长射程化と命中精度の向上に伴って、派手な色の军服では狙撃を受けやすくなり、第一次ボーア戦争の顷から薄青・灰色・カーキ色系の上下の军服(戦闘服)に移行していった。
第一次世界大戦が始まると、革制ヘルメットやシャコー帽或いは通常の军帽は野炮の弾丸の破片等に対して无防备であることから、革制ヘルメットやシャコー帽は廃止され、通常の军帽と并用する形でスチールヘルメットの着用も进んだ。
第二次世界大戦中、アメリカ军は、通常勤务服たる常装と戦闘服装とを分离した。第二次世界大戦后、各国とも常装と戦闘服装とを分离するようになっていった。また、立襟(立折襟)から背広型への移行が进んだ。
日本军においては、第二次世界大戦中、戦闘服装の分离は进まず、陆军では通常勤务服兼用のままで终戦を迎えた。海军では「略装」(褐青色の背広型)を「第3种军装」として使用した。
|
三角帽子をかぶった退役军人(2004年顷) |
二角帽子をかぶったナポレオン・ボナパルト |
フランス军风军装をする徳川庆喜(1886年-1887年) |
|
|
19世纪后半の米海军提督(マシュー・ペリー) |
19世纪后半の米陆军将军(ウィリアム・シャーマン) |
||
|
19世纪后半の米陆军将军(南军のロバート・E・リー) |
1916年当时の米国陆军将校。立襟乗马ズボン(ドワイト・D・アイゼンハワー) |
||
|
第一次世界大戦顷の背広型军服の英国陆军将军(ホレイショ・キッチナー) |
1945年当时の米英ソ军の军服(ヤルタ会谈にて、ポツダム三巨头) |
[编集] 种类
现代の军服は概ね下记のように分类できる。
- 正装(最上级の仪礼服装、英:Full dress)
- 礼装(式典:dress uniform/ceremonial uniform 英:No.1 dress 他 米陆军:Dress blue)
(夜会、英:No.10 dress 他 米军:Evening dress、Mess dress)
- 通常勤务服・常装(外出、内勤、英:Service or Ordinary duty uniform 米军:Service Dress Uniform)
- 戦闘服装(戦闘时に着用する服装、英:Combat dress 米军:BDU―Battle Dress Uniform)
军队に制服が定められるようになった当初は军服の种类分けはなく、戦场でも社交の场でも同じ服を使用していた。その后、兵営内や外出时に着用される通常勤务服(略装)は使用されるようになったが、仪式や社交の场で着用される正装・礼装と演习や戦场で着用される戦闘服装は装具を変えるだけで同じ服を使用していた。各种の军服が用途によって使い分けられるようになったのは19世纪后半になってからであり、19世纪末から20世纪初头顷に服装体系が整えられた。
现代では常装と戦闘服を区别している国が大半であるが、正装用の服は廃止される倾向にあり、礼服或いは通常勤务服に所定の装具を着装することにより正装としている国が増えている。
夜会服は旧共産圏诸国等制定していない国も多く、将校用のみ制定されている场合も多い。また、下士官・兵用が制定されている场合も支给されることはほとんど无い。しかし、世界的に正装が廃止される倾向にあることから、夜会服の位置付けは高くなっている。
军服は军队组织の性质及び伝统から、下士官・兵には支给され、将校は自费で购入するのが通用であるが、戦时大动员ともなれば一部の支给が省略されることも多く、ドイツでは第二次世界大戦の勃発により礼服が支给されなくなった。军事予算の少ない小国では现在でも通常勤务服兼用戦闘服しか支给しないこともある。
军服と兵器の区分は国や时代によって様々であり、アメリカ军では帽子は被服だがヘルメットや防弾チョッキは兵器扱いである。第二次世界大戦でアメリカが采用したM1ヘルメットのように、ライナー部分が被服で外侧の金属部分が兵器という复雑な扱いをされていた事例もある。日本では昭和7年にヘルメットは兵器から被服に扱いが変わり、名称も鉄兜から鉄帽へ変わった。
[编集] 陆军制服概説
国によって様々なので単纯化することはできないが、世界的な陆军军服の変化の趋势では、第一次世界大戦顷に、诘襟から折襟や开襟(背広)型の军服に移行し、第二次世界大戦顷にベレー帽が普及するようになった。现代陆军では、常装は开襟型でネクタイを着用することが多く、緑又は茶色系统の色が主に用いられる。礼装は伝统的な形状が多く立襟(诘襟)を采用している国も残っている。また、近卫部队は帽章や军装が特别なものとされていることも多い。
靴については、徒歩の将兵は主に编上靴に脚绊等を着用していたが、将校は乗马に适するように拍车付の长靴を使用することも多かった。しかし、第2次世界大戦顷には自动车による移动が主体になり、长靴は廃れていった。その结果、现代では兵科阶级を问わず、平常勤务には短靴が、戦闘时には半长靴が多く用いられることとなった。
|
ドイツ连邦军ヴォルフガンク・シュナイダーハン陆军大将 |
|||
[编集] 海军制服概説
海军では黒・ネイビーブルー・白色が主に用いられる。海军では各国共通で阶级により服装の形状が异なっていることが多い。士官の场合、冬服は黒系统のダブルの背広で袖に阶级章たる金线が入り、夏服は白の立襟(诘襟)で阶级章は肩章となっている。下士官の场合、冬服・夏服共に士官と同じであるが阶级章が上腕に付される。水兵の场合、水兵帽にセーラー服が用いられる。また、士官・下士官の帽章も、イギリス海军に仿って中央に锚を置きその周囲を植物の叶で囲み上部に王冠(日本の场合は桜花)等を付すものが多い。
|
ロシア海军将校服(夏季)の着用例(アレクサンドル・コルチャーク) |
|||
|
仏海军士官の夏季略服(2005年顷) |
[编集] 空军制服概説
空军は陆军の服制と同じような诘襟、折襟も一部あるが、大半の空军で背広型の军服が用いられている。色は大空を连想させる青系统のものが多く用いられる。帽章には鹫などの鸟や翼、飞行机のプロペラや翼の意匠が用いられることが多い。
[编集] 海兵队
海兵队を、陆海军とは别个独立の军种として设けている国はさほど多くはないが、设けている场合は独自の制服が定められることも多い。海军风の制服を着用する场合と陆军风の制服を着用する场合があり、国によって大いに异なる。西欧の海兵队は海军が出来る以前、徴用した船に乗り込んだ陆军部队から発祥した国もあり、そのような国の海兵队は独自の陆军风军服を着用している。アメリカ海兵队の场合、夜会用礼装を除いて陆军型(通常勤务服は褐茶色)を用いている。ネクタイとワイシャツの色は同じである。
|
式典用礼装のイギリス海兵队 |
[编集] 世界各国の军服
军服は一般社会に于ける服饰の流行と戦闘形态の変化に対応するための実用面での要求によって変迁してきた。そのため、各时代に于ける军服はその时代に文化の中心となっていた国や新しい军事制度を确立した国が他の国へ影响を与えて来た。
世界各国の军服のうち海军は各国がほぼ共通して19世纪のパックス・ブリタニカを支えた海军の影响を受けており、20世纪に入って作られた军种である空军には国によるデザインの差が比较的少なく(「海军制服概説」「空军制服概説」参照)、また戦闘服装は装饰性を排し机能性を重视した结果、似たようなデザインとなっている。一方、陆军の礼服(概ね19世纪~20世纪初头までの军服が踏袭されている)および勤务服には军服のデザイン(服全体の仕立て、生地の色、帽章、襟章、阶级章等)における国ごとの伝统や个性、或いは复数国间の影响関系が顕着に现れている。
フランスは17世纪の近代军制导入から19世纪中半まで陆军の制度について各国の手本であり、ヨーロッパ文化の中心でもあった。19世纪末から20世纪前半にはドイツ陆军の制度が多くの国に影响を与えた。そして、20世纪半ば以降はアメリカと旧ソ连が军事制度の手本であり、社会・文化面でも他の国に影响を与える存在でもある。そのような訳で、军服に関してはこれらの国が以下のように各国へ影响を与えてきた。
- イギリス(海军が世界各国に影响。陆军・空军・警察が旧植民地関系。军服を含む现代の服装体系を确立。)
- フランス(陆军が19世纪半ばまで各国の模范であった。旧植民地関系、アメリカ。)
- ドイツ(陆军が19世纪后半~20世纪前半に各国の模范となる。枢轴国関系、イギリス及びロシア)
- アメリカ(冷戦时代に自由主义阵営に影响)
- ロシア(旧ソ连)(泛スラブ主义の影响、冷戦时代に社会主义阵営に影响、ソ连解体后に成立した诸国)
[编集] 日本の影响
日本陆军自身は当初フランス军の影响が强かったが、后にドイツ军の军装の影响が强くなる。もっとも、日本の国际的地位が向上するにつれて独自の部分が强くなる。また、日本海军はイギリス海军の影响が强かった。しかし、绀色长立襟ホック留ジャケットはイギリス海军ではなく、フランスの影响である。
これらの日本军の军装の影响は、日本から政治的・军事的援助等を受けた辛亥革命后の各种军阀、満州国军や中华民国维新政府その他に比较的顕着に见られる。
中国人民解放军では1955年から65年にかけて、ベトナム人民军では1950年代~70年代后半にかけて(ほぼ南北统一以前の「ベトナム民主共和国」の时期に相当)、肩章と并用して襟章によって阶级が表されたが(主として立折襟の勤务服と开襟の戦闘服に使用)、そのパターンは旧日本陆军の「九八式军装」の襟章に近いものがある。[1][2][3]これらの例が実际に日本军を参考にしたものか、偶然の类似なのかは不明である。しかし、旧日本军の中国大陆からの撤退に伴う大量の余剰武器や装备を创设间もない中国人民解放军が运用した影响を指摘する説もある。いずれにせよ第二次大戦中「抗日戦争」を戦った军队の军服に、かつての仇敌に近いデザインが取り入れられたのは兴味深い。
[编集] アメリカの影响
详细は军服 (アメリカ合衆国)を参照。
アメリカ军は戦闘服を中心に第二次大戦后の世界の军服にもっとも强い影响を与えた国のひとつであるが、第二次大戦后独立し、同时に东西冷戦下でアメリカと强い関系を持った国々には、礼服、勤务服を含めてアメリカ军の影响が强い。例:韩国、台湾、フィリピン、旧南ベトナム(ベトナム共和国)等。日本の自卫队の制服も、旧日本军からのデザイン上の连続性を最小限にとどめるという配虑も手伝い、アメリカ军の制服をモデルにしている。1991年には、陆上自卫队の常装を旧军のカーキ色に近い茶灰色からアメリカ陆军と同様の緑色へ変更した。
[编集] イギリスの影响
详细は军服_(イギリス)を参照
かつてイギリス领であった、あるいはその実质的な支配下にあった国々の军服にはイギリス军の影响が强い。例:アジア州のインド、パキスタン、イラク、ヨルダン[4]等、アフリカ州のエジプト、リビア、ケニア、ウガンダ[5]、南アフリカ等、アメリカ州のカナダ等、オセアニア州のオーストラリア、ニュージーランド等。
また香港は现在中国の特别行政区であるが、一国二制度がとられている関系で、同地の警察官の制服はイギリス领时代のデザインをほぼ踏袭している(帽章等のデザインに変更あり)。[6]
イギリスはフランス革命によってフランス宫廷が无くなり、その后のナポレオン戦争に胜利したたため、19世纪以降の西欧社会に于ける服装体系の整备を主导してきた。そのため、デザイン面ではドイツ风を取り入れることが多かったが、新しい种类の军服の采用やその体系化に関してはイギリスが世界をリードしている。
[编集] フランスの影响
详细は军服_(フランス)を参照。
19世纪后半までの、フランス陆军が近代陆军の模范とされた时代には、世界各国の军服にも、ケピ帽が制帽に取り入れられるなどフランスの影响が强かった。例:明治期の日本陆军、南北戦争期のアメリカ军等。
フランス领であった、あるいはその実质的な支配下にあった国々の军服にはフランス军の影响が强い。例:アフリカ州のアルジェリア、カメルーン、ガボン、中央アフリカ等。
また、现在でもアメリカ陆军の军服がフランスの影响を残していることから、アメリカ系の军服を采用している多くの国は间接的に影响を受けていると言える。
[编集] ドイツの影响
详细は军服 (ドイツ)、军服 (ドイツ诸邦)を参照
|
イラク戦争中の米军の鉄帽 |
ドイツ式の军服は伝统的に质素であったため、絶対王制の衰退と共にそのデザインが他の国にも采用されるようになった。そして、普仏戦争に胜利したため、ドイツ军は19世纪末から20世纪前半までの世界の军事・军制に多大な影响を与えた。そのため、日本陆军など同时期の各国の军服に(部分的なものも含め)少なからず影响を及ぼした。しかし、第二次大戦の败戦とナチス・ドイツのマイナスイメージもあり、大半の国でデザインの変更が行われ、第一次世界大戦以降のドイツ式军服の影响をとどめる例は少ない。
19世纪末から第二次大戦前までドイツ军をモデルに军近代化をはかった南アメリカ诸国のなかには、礼服や勤务服、また式典等で着用するヘルメットに、现在でもドイツ军の影响をとどめる国がある。例:チリ[7][8][9]、ボリビア[10]等。 军服_(南アメリカ)も参照。
イギリスを始めとするヨーロッパ诸国には19世纪以前からドイツの影响を受けていた国が多く、その当时からほとんど変更されていない正装や礼装には特に影响が残っている。そのため、イギリスの影响を受けた国にも间接的に受けた影响が残っている。
ロシアも帝政时代から影响を受けており、旧ソ连时代にも影响を受けた。 旧ソ连军と社会主义诸国の军服(「ロシア(ソ连)の影响」参照)に多く见られた、以下の要素はかつてのドイツ军と类似している。
- 折襟の上着、乗马ズボン、长靴。
- 将官用上着の襟の赤い縁取り、赤い台布に金の刺繍(国を象徴する植物の叶など)を施した将官用襟章。
- 将官用ズボンの太い赤い2本の侧线。
- 制帽において、円形または楕円形の帽章を囲む叶模様刺繍、将校用のモール编みのあごひも、斜めに付くひさし。
- 海军において、水兵制帽に略式の帽章(円形章等)がつく、夏服やコートに用いられる肩章に陆军に似たパターンのものが用いられる。
东欧诸国の多くや中国は第二次大戦前以前にもドイツの影响を受けていたため、ソ连経由の间接的影响と直接的な影响があると思われる。
また、1980年代から世界各国で采用され始めたケブラー树脂制ヘルメットが、両耳~后头部を覆う形状から「フリッツヘルメット」(英语圏での「ドイツ兵」の俗称から)と通称されたり、同様に各国で采用されている迷彩パターンが、第二次大戦中にドイツ军が开発・使用したものの1つに类似、现代の最新の戦闘服が偶然にせよかつての「ドイツ军」に似た外観を呈しているのは兴味深い。
[编集] ロシア(ソ连)の影响
详细はロシア・ソ连の军服を参照
ソ连军がロシア军から引き継いだもっとも顕着な军服の特徴の1つである肩章は、第二次大戦后の社会主义阵営の国々の多くに影响を与えた。例:モンゴル、北朝鲜、中国(1955~65年、1988年~)、ルーマニア、アルバニア(1945~66年)、キューバ、南イエメン等。
一方、东ドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリーでは戦前との连続性の强い阶级章が导入された。またブルガリアはソ连式の阶级章を导入したが、先述の戦前のブルガリア军自体にロシア军の影响が强かったので(戦中はこれとドイツ军の折衷とも言うべきデザインであった)、その意味では伝统の踏袭とも取れる。また独力で内発的に抵抗戦争と革命を达成したとの自负の强い国々では、ソ连式の阶级章と别の独自のパターンが并用されたり、后者にとって代わられたりした。例:ユーゴスラビア、アルバニア、中国、ベトナム、キューバ等(うちアルバニアと中国では1960~80年代に阶级制度と阶级章自体が廃止)。
1991年にソビエト连邦が解体して后のロシア军の军服は、ソ连军の军服から「ソ连」「共産主义」につながる意匠(赤い星等)を排除する一方、1943年に复活した「ロシア军」の要素と第二次大戦后に新しく加えられた要素(开襟ネクタイ式の上着や迷彩服等)をほぼそのまま踏袭したものになっている。ソ连解体后に新たに加わった要素としては、従来の楕円形の帽章の上に付く「双头の鹫」(东ローマ帝国の后継者と自任するロシアの象徴)の帽章などがあげられる。
ロシア以外の旧ソ连诸国の军服のうち、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン等の国々では旧ソ连との连続性(ロシア军との共通性)が强い。他方、ソ连への并合に対する反感が根强かったバルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)等では独自色の强い军服が采用されている。
旧ソ连诸国ではないがソ连の影响の强かったモンゴルでは従来のソ连军式の军装から米军式の军装に近いものへと変わった。
北朝鲜では朝鲜戦争期はほぼソ连军そのままの肩章式の军装であったが1950年代以降、中国の影响を受け襟章式の折り襟の服がメインとなり肩章は开襟式のパレード服などで主に用いられる。
その他、ロシア(ソ连)军から各国の军服に広まった军服の要素としては、ヘッドホンを内蔵し缓冲パッドをつけた戦车帽、水兵や特殊部队兵士が着用する、白地に青の横缟のシャツ等がある。
[编集] 共産主义国の军服の特徴
ソ连军が原型を作った「共産主义の军队」の军装に比较的共通性して见られる特徴は、次のようなものである。ソ连军のものはドイツの影响も强いので、ドイツ型军服の派生の一种とも评価できるが、特有の点もある。
- 军服全体の仕立てと着用のパターンは、立襟もしくは折り襟に5个のボタンの上着(その上に帯革と负い革を着用)、乗马ズボン、长靴を履くというのが最も通用。
- 统合军的色彩が强いため、海军や空军も陆军に似た军服が采用されることが多い。
- 生地の色はカーキー色、襟章や肩章、制帽の鉢巻(腰、胴部ともいう)等に用いられる色は、陆军は赤、海军は黒または绀、空军は空色、治安组织・国境警备队は緑が多く用いられる。
- 帽章には、革命と共産主义を象徴する赤または金色の星、农业または农民を象徴する鎌あるいは麦や稲の穂、工业または労働者を象徴するハンマーあるいは歯车といった意匠が用いされる场合が多い。
- これらのパターンが、中国、ベトナム、ユーゴスラビア、アルバニア等、独力で内発的に抵抗戦争と革命を达成したとの自负の强い国々(これらの国々の多くはその后、内外政策においてソ连と距离を置くかまたは対立するに至った)の军服に、より典型的に取り入れられたのは兴味深い。
|
朝鲜人民军地上军の制服 |
朝鲜人民军地上军の制服 |
||
[编集] その他の国の影响
[编集] オーストリア
ドイツ连邦一の大国であったオーストリアの军服は他のドイツ诸邦に影响を与えており、现在でもその名残が见られる。
山岳部队で用いられていたつば付きの戦闘帽(防寒用の耳あてを折り返して前部のボタンで留めているのが特徴)は、第一次大戦后にドイツ、ハンガリー、中国[11]で戦闘服用の略帽に影响を与えた。
[编集] トルコ
オスマン帝国时代にトルコ军の军帽として采用されたフェス帽は、トルコ国内ではトルコ革命にともなって廃止されたが、旧オスマン帝国领の国(エジプト等)や、ヨーロッパの军队でムスリム系住民を兵士に编成した场合(オーストリア・ハンガリー帝国、イギリスやフランスの植民地军、ナチス・ドイツの武装亲卫队等)に、しばしば军帽として采用された。
また、ハンガリー軽骑兵用の上着から世界に広まったドルマン(Dolman)はトルコが起源である。